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続こんぺいとう  作者: 大平麻由理
第五章 しれん
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187.哀しみとの決別 その1

 遥が再び本田邸に出入りするようになって十日ほど経ったころ、しぐれは少しずつ従来の笑顔を取り戻し、彼の運転する車に同乗して外に出るようにもなった。

 映画にも予定通り出演することを決め、リハビリも兼ねて、出来る限り外出するように心がけていたのだ。


 ただし髪も短くなり、化粧も日常生活では全く施さなくなったため、幸いにも雪見しぐれであることは誰にも気付かれずに済んだ。

 遥も髪色を黒に戻し、地味な服装で出歩いているため、もはや当時の噂を覚えている人はもういないのか、振り返る人は誰一人いない。


 空いた時間を見つけては、しぐれと過ごすように心がけている遥は、次第に距離が近くなるしぐれに親愛の情を感じ始めてもいた。

 いや、努めてそうなるように心がけていたのかもしれない。

 柊のことが忘れられるのなら、もうどんな手段を使ってもかまわない、とまで思えるようになっていた。


 ロスに行って柊と話をしようと決心したのも束の間、ようやく立ち直り始めたしぐれを残して旅立つわけには行かない。

 伊藤小百合を始め、本田先輩にもしぐれのことを頼むと言われ、もう後に引けない状況になっている。


 遥は自分の取るべき道が何であるのか、ずっと問い続けてきた。

 このまま、しぐれと共に人生を歩むのが、自分に課せられた定めなのだろうか、と……。



 昨夜は寂しがるしぐれを一人に出来ず、一晩中そばに付き添っていた。

 時折、何かを思い出したかのように震えて泣きじゃくるしぐれを、優しくなだめるように背中をなでて落ち着かせ、ずっと彼女の手を握ったままベッドの脇の椅子に腰掛けていた。

 しぐれはベッドの中から遥を見上げ、夜通し、彼の子どもの頃の話を聞かせてくれとせがむ。


 遥が小さい子どもの頃、仕事を持っていた母と仕事が忙しく出張がちな父に代わって柊の両親に育てられていたことから、時間を追って順に話して聞かせる。

 ずっと運動が好きで、様々なスポーツに親しんだが、あまり芳しい成績を挙げられなかったこと。

 勉強もあまり好きではなかったこと。

 祖父の家業を継ぐ継がないで、様々な葛藤があったこと。

 そして、柊と将来を約束した時のことなど、しぐれが知りたがったことはすべて包み隠さず話した。


 考えてみれば、普通の恋人同士というのは、時にはそうやってお互いの過去を語り合いながら、より一層、親近感を増してゆき、心が寄り添っていくものなのだろう。

 遥には今までそういった経験がなかった。

 柊にはそんなことを聞かれることもなく、遥もまた彼女に聞く必要が無かった。

 それもそのはず。全てと言っていいほど、遥の歩んできた人生は柊のそれと重なるのだ。

 訊くことも訊かれることもなかったのは必然の結果だった。


 誕生日の祝いも、家族旅行も。

 学校での様々な行事も、そして初めての恋も……。

 遥の人生すべてが柊の人生だったという事実は、何が起ころうと消し去ることはできない。

 しぐれがどのように、それらを受け止めるのだろう。

 遥の胸中は複雑だった。


 遥はしぐれに思い出を語りながら、いつの間にか柊のことばかり考えている自分に気付く。

 これは、あってはならないこと。

 しぐれという、これから一緒に生きていくかもしれない人物を前にして、他の女性を思うなんてことは、決して許されることではない。


 ところが、そんなこともすべて包み込むような、慈愛にあふれた眼差しを向けるしぐれに甘えるように、遥の心は、尚も遠い海の向こうのかつての恋人へと思いを馳せることをやめない。

 そして浮遊する遥の意識を引き戻すかのように、とろんとした視線のしぐれが、もっと話を聞かせてとねだる。


「ねえ、堂野君。もう少し聞いてもいい? 」


「ええ、いいですよ。次は何でしょう……」


 しぐれの手をそっと握り返し、彼女の問いを促す。


「あのね、あなたが大輔と初めて会ったのはいつか知りたいの。 いくつの時だった? 」


 しぐれも遥の向こうに誰か別の人物を見ているのだろうか。

 普通の恋人同士ならば絶対に交わされることのない会話が、二人の濃密な時間(とき)をも確実に侵食し始める。


「十二歳だったかな? 中学一年の時でした。同じクラスにはならなかったから、あまりあいつのことは知らない……」


 柊を奪われるかもしれないという恐怖と常に背中合わせだったあの頃。

 大河内のことなど考えたくも無かった自分と、彼が気になって仕方ない自分がいた。

 結局、ほとんど大河内と接点を持たなかった中学時代が、今となっては悔やまれる。


「そう、なんだ……。でも、何でもいいから、彼のこと教えて。どんなに小さなことでもいいの」


 しぐれの目が涙でうるみ始める。

 大河内のことが知りたくてたまらないのだろう。

 しぐれは何を思ったのか、突如起き上がり、遥と向き合うように、ベッドのふちに腰掛けた。


「しぐれさん、起きても大丈夫ですか? 」

「ええ、大丈夫よ。それより、大輔のこと。早く教えて」


 遥の手をしっかりと握り、何度か上下に揺らして催促する。


「大河内のこと、ですね……。そうだな、悔しいが俺と違って、あいつは万能でしたよ。品行方正、性格も温厚、勉強もスポーツもなんでもこなす。絵に描いたような、スーパー中学生でした。俺はまだその頃は勉強もイマイチだったし、背も低くてチビで、取り得は逃げ足の早さだけだった……」


 しぐれがふふっと笑った。


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