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続こんぺいとう  作者: 大平麻由理
第五章 しれん
185/269

185.壊された心 その1

「まあ、堂野君。よく来て下さったわね。雄太郎から連絡もらって、今か今かと待ってたのよ。本当に嬉しいわ」


 女優ではなく母親の顔をした伊藤小百合が、精一杯の笑顔で遥を出迎えた。


「こんにちは。ご無沙汰してます」

「お元気そうでよかった。前にしぐれに会いに来てくださった時には、私の外出と重なってしまって、ゆっくりお話できなかったものね。雄太郎から聞いたかもしれないけど、実は私……。徐々にだけど、仕事を再開したのよ」

「あ、はい。そのように伺っています。お身体の方は大丈夫なんですか? 」

「ええ、すっかりね。もともと、そんな重病じゃないんだし、ほとんど、ずる休みみたいなものだったの。ここだけの話よ。皆には内緒ね。おかげさまで、リフレッシュできたし、貧血ぎみで疲れやすかった身体も、以前よりましになったわ。血液検査の数値もよくなってきてるの」

「それはよかったです。これからも小百合さんのご活躍を期待していますよ。僕も四月からテレビ局勤務が決まっていますので、また機会がありました時には、いろいろとご指導をお願いいたします」


 遥は人生の先輩である伊藤小百合に深々と頭を下げた。


「まあ、堂野君ったら。そんな他人行儀なことはもういいから。さあ、顔をあげてちょうだい」


 まるでいつもと変わらない空気が流れているようにも思える本田邸本宅の応接間で、遥は伊藤小百合自らが淹れてくれたコーヒーを勧められた。


「で、あなたもご存知のとおり、しぐれのことなんだけど……」


 さっきから場をなごませようと、努めて明るく振る舞ってきた伊藤小百合が、ようやく本題を切り出した。


「先輩からだいたいのことは聞きました。しぐれさん、本当に部屋から出ないんですか? 」

「そうなの。前にあなたがここにいた時に使ってもらってた部屋があるでしょ? しぐれったら、ずっとあそこにこもったままなのよ。食事も一日に一度口にすればいい方で、ここにいる私ですら、何日も顔を合わさない時もあるの。もう、心配で心配で。あの子の両親も昨日ここに来たんだけど、結局しぐれには会えずに帰って行ったわ」


 小百合は包み隠さず、遥に今のしぐれ状況を伝えてくれた。

 もう後は、あなたしか頼る人がいないのよとまで言われ、遥自身も困惑を隠せない。

 家族ですらなすすべがないというのに、他人である遥に何ができると言うのだろう。

 佐山の動きが気になり駆けつけてみたが、話を聞けば聞くほど彼女に会うのは困難なように思えてきた。


「それがね、駆け出しの若手俳優からも毎日のように電話がかかってきてて。それもあの子にはプレッシャーみたいなのよね。でも一番の原因はやっぱり大河内さんのことじゃないかしら。うちにも二人でよく遊びに来てて、とても仲が良かったのよ。なのにどうして別れちゃったのかしら。若い人のことは、私にはもう手に負えなくて……」

「わかりました。では、しぐれさんに直接聞いてみます。あの部屋ですね? 」

「ええ。堂野君に心を開いてくれるといいんだけど……」


 遥はダメもとで、大学二年の時に住ませてもらっていたなつかしい部屋の前にゆき、ドアをノックした。


「しぐれさん。俺です。堂野です。ちょっと訊ねたいことがあって来ました。ここ、開けてください」


 そこにいるだろうしぐれに向って、ドア越しに声をかける。

 あくまでも感情的にならないよう、あえて小さめの声でゆっくりと話しかけた。


「しぐれさん。聞こえてますよね? ……佐山のことが原因ですか? もしかして、俺のことも関係してるんじゃないですか? 違いますか? 」


 遥が佐山の話を持ち出した瞬間、ドアの向こうで変化が起きた。

 確かに人の動く気配がしたのだ。

 すると、カチャッという音と共にゆっくりとノブが回り、ドアが開いた。

 遥はそこに立っているしぐれを見て、あまりにも変わり果てた姿に絶句する。


 室内は、簡易なベッドとドレッサー代わりの机があるだけの小さな洋間だ。

 他に荷物は何もない。

 フローリングの冷えた床に素足で立っているしぐれの長くて美しかった髪は、肩の下くらいでばっさりと切られていた。

 ブラシをあてた痕跡すらどこにも見当らないくらい毛先は乱れ、艶もない。

 化粧も施していない青白い肌は、到底雪見しぐれのそれではなかった。


「しぐれさん……」

「堂野君。来てくれてありがとう。あたし、とても人前に出られる格好じゃないけど、あなたに伝えておきたいことがあるの。どうぞ、中に入って……」


 しぐれは抑揚のないか細い声で、遥を部屋の中に招き入れた。

 遥の背後でその一部始終を見ていた伊藤小百合が、両手で口元を押さえ、嗚咽を漏らしていた。



「堂野君。佐山がね、少し前からあたしに付き合って欲しいって、交際を迫ってるの」


 彼女の部屋に足を踏み入れた遥は、ベッドに力なく腰掛けたしぐれの口から、ほぼ予想通りの状況を聞いた。


「佐山が言うにはね、あたしと堂野君が付き合っていたのはでたらめで、あなたには柊さんが、あたしには大輔がいたのを知っているって……」


 遥はピクっと眉を上げた。

 まさか佐山がそこまで知っているとは、思いもしなかったからだ。

 佐山の狙いが誰にあるのか……。

 遥は急に心拍数が上がったのを感じ取っていた。


「そうですか。あいつ、そんなことまで調べていたんだ」

「そうみたい。記者とも繋がってるようなの」

「あいつのやりそうな事だ。佐山は、昔から俺のことが気に入らなかったみたいで、かなり根に持っていましたから……」

「あなたのことが気に入らない? どうして? 佐山の方が仕事歴は長いんじゃなかった? なのにどうして……」

「なぜか、目の敵にされることが多くて。素人同然な俺にどうしてそこまで絡んでくるのか、納得がいかない毎日でした。まあ、一緒の雑誌の仕事で顔を合わせることも多かったので」

「そうだったのね」

「そして俺の所属事務所がしぐれさんのいる大手事務所に吸収合併されてから、余計に佐山の態度が硬化して、暴言を吐かれることも多くなりました。本来ならば、あいつが手にするはずの仕事が、かなり俺に回ってきたみたいなので、おもしろくなかったのでしょうね」

「あなたも苦労したのね。何も知らなかった……」

「でもね、しぐれさん。表面はニコニコしていて内心は何を思っているかわからないって人よりも、数段佐山の方が扱いやすかったのも事実ですから。あそこまで敵対心をむき出しにしてくれると、こっちもわかりやすいし、回りの人間もうまくフォローしてくれますからね。で、今度はあなたにちょっかいですか? 」


 しぐれはふふっと力なく笑うと、視線を落とし、二度ほどため息をついてだるそうに話し始めた。


「ちょっかい程度なら、あたしも放っておくわ。でも……。佐山は本気よ。大輔のことも徹底的に調べあげてるって言ってた。大輔と柊さん、つまり、あたしの元カレとあなたの元カノがロスで頻繁に会ってるってことまでつかんでるみたいなの。あたしが佐山と付き合わなければ、それなりの手段を取るとまで言ってる。堂野君とあたしの関係は偽りで、あなたと柊さんの過去の同棲のことをマスコミに売るって。そして柊さんは、あたしの彼、大輔を奪った魔性の女として世間に公表するとまで言うの……」

「あいつ、柊のことまで世間にさらすつもりなのか? なんてやつなんだ! 」


 遥が突然大きな声を発して、怒りを露わにした。


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