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続こんぺいとう  作者: 大平麻由理
第五章 しれん
179/269

179.恋のベクトル その1

 研究室の窓にかかった薄汚れた化繊のカーテンの隙間から、朝日が遠慮がちに差し込む。

 遥はぶるっと身振いしながら寝ていたソファから身を起こした。

 足元を見れば、書類や段ボールがあちこちにに散乱している。

 室内の壁は手の施しようがないほど黄ばんで今にもはがれそうだ。

 昨日遥が自分でつるした新しいカレンダーだけが、銀色に輝く美しい雪景色を写し出していた。


「うっ、さぶ……」


 ソファに座った姿勢のまま頭から毛布をかぶり、隙あらば閉じようとする瞼を必死でこじ開けて、今日が何の日であるのかを思い巡らせる。

 遥は一人で新年を迎えたのだ。

 それもあろうことか、情緒のカケラすらも見当らない、無機質極まりない大学の研究室で。


 他の仲間達は、昨夜の大晦日のうちに一人残らず帰省してしまった。

 唯一の暖房器具であるガスファンヒーターも壊れて、使い物にならない。

 底冷えのするこの部屋では、新年の挨拶をする相手などいるはずもなく。


「おまえだけだな、俺のそばにいれくれるのは……」


 蒸気口からゆらゆらと白い湯気を立てている湯沸しポットに、自嘲気味に語りかける。

 手に持ったカップに湯を注ぎ、インスタントコーヒーをスプーンでかき混ぜた。

 小さな焦げ茶色の塊がひとつだけ溶けきらずに、水面をくるくる回わりながら浮いている。

 遥はフッと小さく息を吐き、ごくりとそれを飲んだ。


 昨年、雪見しぐれに聞かされた大河内の海外転勤のことが、遥の脳裏から片時も離れない。

 しかし、今さらロスに乗り込んで、柊を日本に連れ戻す資格は自分にはないと理解している遥は、出来る限りそのことは考えないように意識を保ち、修士論文の作成に取り組んできた。


 遥のチームは中国・東南アジアの為替レートと日本経済の関係をテーマに研究をしている。

 パソコンの液晶画面を睨みながら、刻々と移り変わるレートのデータを読み取っていかなければならない。

 とにかく膨大な資料の分析にとてつもなく時間がかかり、あれこれ悩んでいる暇もなかったとうのが正直なところである。


 シャッとカーテンを開ける音や、パタンパタンと戸の開閉音が聞こえてくるところをみると、新年早々、同じような人間が建物内に何人か存在しているのがわかる。

 遥はただそれだけのことで安堵し、ここにいるのが自分ひとりではないことにほっと胸を撫で下ろす。


 昨夜ソファに横になる前にその辺に投げ出して、書類に埋もれていた携帯を探し出した。

 モデル事務所にいた頃の知り合いからのメールが、深夜の零時前後から次々と入り始め、読むことすら面倒になった遥は、携帯の電源を切っていた。

 せめて、実家の祖母にだけでも新年の挨拶をしようと電源をオンにしたとたん、次々とメールの着信履歴が表示されていった。

 するとその中に、あの日以来連絡を取り合うことも無かったしぐれからのメールを発見した。

 素早くそれを開いて目を通してみる。




 堂野君、あけましておめでとうございます。

 実は、大輔が明日、帰国することになりました。

 彼が私に話があると言っています。


 仕事の都合で、2時に町田で会う予定です。

 あなたの家からは少し遠いけれど。

 どうしても堂野君に来てもらいたくて、こんなお願いをしています。

 大輔を説得するのを手伝って欲しいの。

 私は別れたくない。絶対に彼とは別れない。


 だから、お願い。助けて。

 いつも無理ばかり言ってごめんなさい。

 場所は町田の住宅街にある……




 遥は読み終わるや否や、行きますと返信した。

 もちろん、しぐれの力になるために会いに行くのだが、それ以上に、大河内と柊の関係を確かめたい気持ちに駆られたのだ。

 仮に大河内が柊とすでに再会し親密になっていたとしても、それを柊が受け入れたのならば、遥にはもうどうすることもできない。

 けれど知りたかった。真実を自分の目で確認しておきたかった。


 次の日、遥はデータ処理に手間取ってしまったため、出遅れてしまった。

 約束の時刻に間に合うよう東名高速を使い、横浜町田のインターを目指す。

 ナビの指示通りにたどり着いた待ち合わせ場所は、木々がおい茂る公園近くの閑静な住宅街で、そこがカフェであるなど誰にも気付かれないような、そんなひっそりとした店だった。

 ここからそう遠くないところにテレビ局の撮影所がある。

 しぐれはここを撮影の合間の休憩所として普段から使っているのかもしれない。


 遥は駐車場に車を停め、本当にここが指定された場所なのか、まだ半信半疑のまま、恐る恐る中に入っていった。


 店のオーナーだろうか。

 髪を一つにまとめた四十代くらいの落ち着いた感じの女性が、遥を日の当たる庭に面した個室に案内してくれた。

 そこには少し表情を強張らせた雪見しぐれが、すでにコーヒーカップを手に、席に着いていた。


 遥を見るなり、しぐれは静かにカップをソーサーに戻した。

 サラサラと前に落ちてくる髪を耳に掛け、精一杯の笑顔を彼に向けながら立ち上がった。


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