172.信じてる その1
「牧田さん。まさかとは思うけど。この車、成田に向ってるんじゃ……。違いますか? 」
遥の問いかけにわずかに上半身を揺らした牧田は、口を閉ざしたまま前方の長距離トラックに引き離されないように、ぐんぐんスピードを上げていく。
そして、ひとつ大きく息をつくと、妙に明るい声でこう答えるのだ。
「パーキングに寄らずに、イッキに行っちゃうから。道が空いてて良かった。久しぶりよ、空港に行くのは」
空港。やっぱり牧田は成田に向っていた。
なぜ? どうして彼女が今この時間に空港に向う必要があるのだろう。
遥は自問自答を繰り返すが、たどり着くこたえはただひとつだ。
今日は柊が渡米する日。
そう、日本から飛び立ってしまう日だ。
だから牧田は成田に向かっている……。
柊のことは本田以外、誰にも口外していない。
ならば、牧田がどうやってこのことを知ったのか。
ロックをかけている携帯を覗かれる可能性は限りなく低い。
それにいくらマネージャとはいえ、牧田はそのようなことは絶対にしないと言い切れる。
だとすれば、急な仕事というのは、空港、もしくはその近辺での撮影があるということかもしれない。
それならば成田に向かうこともなんら不思議はない。
だが牧田は言った。
今はプライベートな時間だと。
ガゾリンも自費で満タンにした……と。
これにはきっと何か裏がある。
情報収集に並ならぬ才能を発揮する牧田のことだ。
彼女なら、柊の動向くらい簡単に探れるのだろう。
遥はこのカーチェイスのからくりを暴きにかかった。
「牧田さん、誰に聞いたんですか? 何か知ってるんでしょ? 」
自分の推理にほぼ間違いはないと決定付けた遥は、カマをかける気などさらさらなく、強気で問い詰める。
「ええ? ああ……。そうね、あたしがなんで成田に向ってるのかってことよね? それはもちろん、あなたの気持ちのわだかまりを取り除いて、すっきりしてもらうためよ。もう今日しかチャンスは残されてない」
「わだかまりなんて何もありませんよ。誰に入れ知恵されたんだか……」
やはりこの人は、柊の渡米を知っていた。
だとすると、実家へコンタクトを取ったとしか考えられない。
なかなか真髄に触れようとしない牧田は、再び黙り込む。
前方に車がつながり始め、少しスピードが落ちてきた。
牧田は、あら、と困ったようにつぶやき、再び口を開き始めた。
「あのね、夕べあなたのお母様から電話をもらったの。そしたらどう? 柊さんが今日シカゴに発つって言うじゃない! 彼女がそこまで真剣だっただなんて、想定外だもの。なのに堂野君ったら、お母様に返事もしてないって……。お母様、心配してらしたわよ。だから、あたしが責任持って空港まで連れて行きますって約束したの。空港で彼女を引き止めるも良し、見送るも良し。あなたが自分の気持ちに素直になって、すべてをぶつけて欲しいの」
「……ったく余計なことを。大袈裟なんですよ、お袋は」
「そんなことないわ。あたしだって母親の端くれ。お母様の気持ちが痛いほどよくわかったの」
「牧田さん、だから言ってるじゃないですか。柊、いや、あいつのことはもういいって。何も関係ないですから。それに誰が見てるかわかりません。会うなと言ったのは、あなたたちじゃないですか」
昨夜からあれほど彼女のことばかり考えていたのに、口からでるのはその反対のことばかりだ。
本当は今すぐにでも飛んでいきたいくらい、柊に会いたくてたまらないのに。
「最近の堂野君、誰が見たって変よ。仕事にしても、打ち込んでるフリをしてるだけだってこと、あたしが気付かないとでも? スタッフが影で、あなたのこと何て言ってると思う? 」
遥の顔が瞬時に歪んだ。
スタッフにまで見抜かれていたのかと思うと、さすがに自分のプロ意識の低さにあきれるしかない。
「雪見しぐれに生気を吸い取られて、抜け殻になっているだの、昔の女の後始末に苦労してるだの、果ては、先輩モデルのイジメにあって、脅されているだの……。まあどれも全くのハズレではないにしても、ちょっとひどすぎない? そうやって噂を真に受ける人も出てきて、結局足もとをすくわれるのがオチ。あたしだって、そんな話聞きたくない。だから……」
「…………」
「今日、柊さんとちゃんと会って、あなたの気持ちをぶつけて欲しいの。それでダメでも、いいじゃない。もしかしたら、何か流れが変るかもしれないし……」
「変らないです。もう今更何も変らないですよ。……次のインターで高速を出て、東京に戻りましょう。俺、運転代わりますから」
素直に行きますと言えない自分がもどかしくもあったが、今さら会ったところで柊の決意が変わるとも思えない。
意味がないとわかっている行動を続けるほど、遥も牧田も時間に余裕があるわけではないのだから。