16.怪我の功名 その1
やなっぺが話してくれた遥の言い訳は、すぐには信じられないほどのそれはそれはひどい内容のものだった。
温厚で誰からも信頼されていたあの是定先輩が、皆を裏切ったのだ。
こんな理不尽な話、どうして信じられるだろう……。
昨日遥が言ってた大物との会合には、こんなからくりがあったのだ。
遥の部屋について来た里中先輩の本当の彼氏は、なんと、是定先輩だった。
サークル内での恋愛はチームワークを乱す危険性があるということで、あまり公言しないのが鉄則らしい。
遥も何も言わなかったし、今日までそのことは知るよしもなかった。
サークルの代表も務める是定先輩は、偶然にもわたし達と郷里も近く、いつもいろいろと気にかけてくれて、面倒見のいい人だった、はずなのに……。
昨日遥が穿いていた細身のビンテージ物のジーンズを譲ってくれた、その人だ。
是定先輩はサークルの顔でもあり、演出も手がけ、劇団の要とも言える才能あふれる人物だ。
なら、そんな立派な人がなぜあんなことをしたのだろう。
自分の演出家としての将来を手に入れるために、彼女である里中先輩と後輩の遥を、本人たちに無断で他の劇団に移籍させようとしたらしい。
自分が劇団を辞めた後、おまえたちを残して行くのが心配だから、などともっともらしい理由までつけて、水面下で話を進めていたのだ。
そして、遥が演出家希望なのを知っているにもかかわらず、最近の彼の人気を逆手にとって、俳優として他劇団に売り込みを掛けていたというのだからこれまたびっくりだ。
その見返りに、是定先輩自身だけが、今人気急上昇中でテレビや映画にもひっぱりだこの俳優を多数抱えている某有名劇団への移籍が決まっていたらしい。
おまけに今秋、遥の初の演出になる予定だった作品も、移籍先に持ち込む手はずになっていたとも。
その移籍の橋渡しを請け負っていたのが、昨日遥が会うと言っていた大物と言われる人だ。
これで全て納得がいく。
昨日の遥の素人離れした格好も、他劇団への売り込みを想定しての是定先輩の演出だったというわけだ。
愛する人の手によって他の劇団に自分が売られていると気付いた時の里中先輩のショックは、想像を絶するものだったに違いない。
でも里中先輩は、恋人である是定先輩の将来を思えばと、その場で移籍を認めたという。
ところが同席していた遥が、いち早く怪しい雲行きを察知して、本田先輩を呼んだことで話が急展開したらしい。
劇団内では浮いた存在で、あまり深入りしたくないと思わせるような一匹狼的存在の本田先輩が、この窮地を救うヒーローになるだなんて、誰が想像しただろう。
世の中、本当に何が起こるかわからない。
人は見かけで判断してはいけないということを、身を持って学んだ瞬間だった。
もし、この理不尽なクーデターまがいの移籍が実行されていたら、サークル代表と看板女優、知名度アップ中の新進演出家のいない劇団は、つまり実質上解散状態になり、他の団員は見捨てられ消滅していくという構図が出来上がる。
本田先輩はそのからくりを暴き、未然に最悪の事態を防いでくれたのだ。
団員の引き抜きは別に珍しいことではないらしい。
この世界で生き残るためには、たとえどんな手を使ってもし烈な戦いを勝ち抜いていくだけの強い精神力が必要だということは、よくわかる。
だからと言って、このような汚い手を使うのは到底許されないこと。
自分の願望を叶えるために仲間を陥れるだなんて、卑劣極まりない行為だ。
普段何も言わない本田先輩が、怒りを露わにしてその夜の話し合いを中断させると、自分は是定と仲介役の大物と言う名の黒幕に話をつけるから、里中を頼む……とそう言って、遥に先輩を託したという。
思いつめたようにうな垂れる里中先輩を、到底一人その場に残しておくわけにもいかず、彼女を落ち着かせるためにもう一軒店に付き合ったあと、遥の家に彼女を連れ帰ったということらしい。
そのまま放っておくと、どこかから身を投げかねないほどに憔悴しきった里中先輩の様子を目の当たりにした遥は、家に連れ帰ることしかもはや手立てはなかったのだと、やなっぺが力説する。
わたしが出て行った後、遥の家にやって来た本田先輩に、彼女を連れ帰ってもらったということだ。
それ以降も遥は、他の団員と連絡を取ったり、本田先輩ともう一度会って今後のことを話し合ったりと、朝まで東奔西走していたため、わたしのところに行けなかったと、声を落としていたらしい。
遥は最後まで劇団のことを考え、本田先輩との約束を守り通しただけだった。
とんだ茶番劇に遥自身も巻き込まれていたというのに、恋人に裏切られ茫然自失になってしまった先輩を助けるべく手を差し伸べた彼に、落ち度はない。
わたしはこの時、ふと、ある二つの点と点が結びつくことに気付いた。
本田先輩は里中先輩のことが好きなのではないだろうかと。
そして遥もそれを知っていた。
何もかも承知の上で遥が夕べの茶番に臨んでいたのだとしたら……。
元来、風来坊の本田先輩が、まるですぐそばで待機していたかのように話し合いの場にすっと現れたことからしても、それは証明できる。
遥と本田先輩はこうなることをすべて予測していて、身体を張って立ち向かったのだろうか……。
それにしても、本田先輩って、いったい何者?
今回の事件でかなり頼りがいのある人だと思うようになったけれど、やっぱり近寄り難い存在であることには変わりない。
ああ……。やっぱり遥に会いたい。
さっきまであんなに怒り心頭で、彼のことが許せなかったはずなのに、もう彼が恋しくなっている。
今すぐ会ってわたしの早とちりを謝りたいと思ってしまう。
神様、お願いです。
できることなら、直ちに彼のところへ。
今すぐ彼の元へ連れて行ってください。
祈ってみたところで、そんな身勝手な願いが叶うはずもなく、遥へ会いたい想いだけがどんどん膨らんでいく。
「……というわけ。まあ、柊が誤解するのも無理ないけどね。だって、きちんと説明しなかった堂野が一番悪い! 」
やなっぺがきっぱりと言い切った。
ネット小説ランキングPG12恋愛部門にて、昨日(2007年11月22日)、初めて1位になりました。
みなさま、読んでいただき、そして投票していただきまして、本当にありがとうございました。