15.遥なんか大嫌い その3
遥が謝ってくれたからと言って、はいそうですか、わかりました、ではまた仲良くしましょう、と簡単に済む問題ではない。
あのあとすぐに先輩を家に帰したと言うけれど、あの泥酔状態で本当に先輩がすたすたと家に帰ったなんて証拠はどこにもない。
わたしは携帯を握り締め、呼吸が静まるのを待った。
「……ねぇ、柊? 大丈夫? 堂野……。なんて言ってた? 」
やなっぺが遠慮がちに訊ねてくる。
「どこにいるのかって……。今から迎えに行くって言うから、きっぱりと断った。やなっぺ。よったんさん。沢木さん。恥ずかしいところ見せちゃって、ごめんなさい」
わたしは冷静さを見失っていた自分を恥じた。
「そんなん、別にかまへんて。でもな、でもな。何で断るひいらぎさん! せっかくやから、迎えに来てもろたらええのに。あああ、堂野君の顔を拝めるせっかくのチャンスやったのにな。ざんねんやわぁ……」
「ほんと、ざんねん、ざんねーーーン。このはも遥くんに会いたかったしぃ! 」
よったんも沢木さんも、さっきまであれほどずっとここにいたらいいなんて言ってくれたのに、もう態度が百八十度変わっている。
「ねえねえ、沢木によったん。あなたたちって、そんなに堂野に会いたいの? 」
やなっぺが、さも不思議そうに二人に訊ねた。
「あたりまえやん。今後もっとメジャーになるかもしれんのに。そやから会えるんは今のうちやで」
「そうそう。今のうちぃー」
二人が大きく頷く。
「よったんも沢木も、ホントにしょうがないなあ……。まあ今夜はダメだとしても、あいつに迎えに来てもらうってのはアリだね。柊のふんぎりがついたら、迎えに来いってあたしが言ってやる。さあ、さあ。あいつのことなんか放っておいて、今夜は女四人で盛り上がろうよ」
「そうやな。ま、そのうち、堂野君に会えるってことで、今夜は辛抱するわ」
よったんがしぶしぶながらもやなっぺに同調する。
「そうね。じゃあ、このはも我慢するぅー。さあ、乾杯しようよー」
沢木さんも、今はやなっぺに従うのが得策とばかりに宴会の進行を促す。
あっという間にテーブルの上には、様々なおつまみや簡単なレシピのおかずが並ぶ。
ちぐはぐな三人組みではあるけれど、チームワークの良さは天下一品だ。
リーダーシップを取るやなっぺだが、わたしは彼女のそんな男前なところが昔から大好きだった。
こんなにいい子なのに、藤村はいったいどこを見てるんだろうっていつも不思議に思っている。
やなっぺが、冷蔵庫に缶チューハイを取りに行こうと立ち上がったとき、彼女のパンツのポケットにある携帯が、マナーモードのままブルブルと唸るようにあたりに鳴り響いた。
「……悪い。ちょっと、上に行って話してくる」
発信元を確認したやなっぺが、わたしの方を向いて少し顔をしかめる。
そして、そのまま携帯を耳に当てながら、二階に駆け上がって行った。
そんなやなっぺの表情を一目見て、電話の相手が遥であることがわかってしまった。
やなっぺが一階に戻ってきたのはその三十分後。
長かった。いったい何を話していたのだろう。
知りたくてたまらないのに、わざと無関心を装って、良く冷えた缶チューハイをやなっぺにどうぞと差し出す。
「ありがと。ねえ、柊。今の電話のこと、訊かないんだね……」
やなっぺがプルトップに手を掛けながら、そう言った。
「ええっ? な、何のこと? やなっぺの電話だもん。詮索なんて、その、しないよ」
わたしは、演技なんてものは、これっぽっちもやったことなんかない。
ぎこちないしらばっくれた態度なんて、やなっぺにはすべてお見通しなのかもしれない。
やなっぺはフローリングの床に座り直し、仰々しく、えっへんと咳払いをした。
「じゃあ、今から言うのはあたしの独り言だからね。みんな適当に聞いてて……。ええ、では……。お察しの通り、今の電話は堂野張本人だったよ。あいつさ、ここに柊がいるの、わかってた」
やなっぺがちらっとこっちを見た。
わたしは知らんフリをして、キューブ状になった小さいチーズの包みを外すことに専念する。
「で……。本題なんだけど。夕べかなり理不尽なことが、彼の劇団に起こったらしいんだ……」
みんなの視線が一斉にやなっぺに注がれる。
「で、どうする? 成り行き上、あたしが柊より先にこのことを知ってしまったけど。あたしから話す? それとも堂野に直接訊く?」
これはやなっぺの独り言のはずなのに、完全にわたしに返答を求めている。
それはもちろん、今すぐに知りたい。
でもこれでは、あまりにも変わり身が早すぎやしないだろうか。
ついさっき、遥なんて大嫌いだとわめいたばかりだ。
今夜のわたしって、なんてカッコ悪いんだろ。
やなっぺが、どうするのと目で訴えている。
わたしはあわてて、別にどっちでもいいよと強がってみせた。
そして。
「ただ、言い訳なら、あまり聞きたくないけど……」
と言うのも忘れずに。
今更、何を聞いたって言い訳にしか聞こえないだろうけど、どうせ知ることになるのだったら、やなっぺから聞いてしまってもいっこうに構わない。
遥はわたしに歩み寄ろうとしてくれていたのに、わたしがそれを頭ごなしに断ったのだから、やなっぺが先に知ることになったのは不可抗力だ。
きっと遥も、やなっぺからわたしに伝わるのを望んでいるのだろう。
「まずあたしの見解ですけど……」
やなっぺが切れ者の判事のように、かしこまって話し始めた。
「もしあたしが堂野の立場だったら、彼と同じことをします。間違いなく、先輩を家に連れて帰りますです。って、あーん、もう面倒くさい! 普通に話すね。だって、先輩を一人にはできないもん。彼女さあ、一番信頼してた人……。つまり恋人だった人に、とんでもない仕打ちをされたんだ。おまけに、堂野も……」
やがてやなっぺの声が、悪党すらおののくのではないかと思えるほど低くなり、怒りを露わに語り始めた。