144.新しい光 その2
膨大な数のテレビチャンネルも語学力アップの強い味方になった。
こちらではケーブルテレビが主流で、好きなジャンルを選定して視聴するシステムだ。
もちろん、日本のテレビ番組もあるし、米国でヒットしているドラマも豊富に流れている。
英語のドラマもビデオに録って何度も繰り返し見ることで、徐々に理解が深まって行くので楽しい。
以前から興味のあった翻訳も少しずつ挑戦している。
今は規子姉さんがボランティアで行っている地元の小学校に同行して、日本で幼稚園に当たるキンダークラスに入り、先生の補助をしている。
そこで子ども達に人気のある絵本をリサーチして、自分なりに翻訳を手がけてみたりもした。
ここではモンテッソーリという教育理念を掲げて取り組んでいる。
全員が一斉に何かをするのではなく、それぞれが思い思いに好きなことに取り組み、先生は全員に目を配りながらも口出しはせず自分の力で目標を達成するのを見守っているというやり方だ。
保育士の資格を持っている母は、日本でもその教育方法を用いた幼稚園や保育園が結構あるよと言っていた。
アルファベットや簡単な単語も、カードを使って勉強している。
日本で文字の勉強といえば、小学校一年からというのが普通だと思っていたので、幼い子どもたちが真剣に勉強している姿を初めて目にした時、正直とまどってしまった。
でも、どの子も生き生きとして遊びや学習に取り組み、夕方親が迎えに来るまで、とても楽しそうに過ごしているのだ。
ここでも日本との大きな違いを見せつけられた。
子どもたちを迎えに来るのは母親ばかりではないということを目の当たりにしたのだ。
シングルで子どもを育てている人が多く、父親が迎えに来るなんてこともごくあたりまえの光景だ。
多種多様な生活環境のもと、子どもたちがすくすくと育っているのが印象的だった。
早期に文字を知ると、本を読む楽しさが広がる。
街中の看板や標識も読める。
子ども達は知りたいことだらけなので、まるでスポンジが水を吸うように、なんでもあっという間に吸収していくのだ。
そんな彼らとの触れ合いも、わたしの英語力向上の助けになったのは言うまでもない。
それと……。穏やかに少しずつ進展している出会いがあった。
それは去年の十二月のことだった。
雪の降らない西海岸での穏やかなクリスマスシーズン。
その年の年末年始は日本に帰らず、そのままアメリカで過ごす予定にしていた。
規子姉さんの旦那さんである真木裕太こと裕太兄さんが、秋に日本から転勤してきたという若手四人をクリスマスに招待したいと言ってきたのだ。
いつも招くのは現地の人ばかりだったのでとても意外だったし、日本の事もいろいろ聞けるかもしれないと彼らに会うのを心待ちにしていた。
秋に転勤してきたということは、そろそろホームシックにかかる頃でもある。
規子姉さんとわたしは、いつになくはりきって、パーティーの企画をあれこれ練り始めた。
こちらのスーパーでほとんどの日本の食材が無難にそろうのだ。
揚げ物や、味噌汁、魚の煮付けなどでもてなそうと、朝から隣近所の迷惑も顧みず、醤油ベースの甘辛い香りをあたりに撒き散らしていた。
漬物まで手作りして今か今かと彼らの到着を待っていたのだ。
そして夕方。
祐太兄さんが連れてきたと言って、玄関ホールに招き入れた男女四人の若者と、順に目を合わせたその時に奇跡が起こったのだ。
「あっ! 」
と声を発したあと、その場で固まってしまい身動きができない。
わたしの目の前のその人物も同じように、あっ……と言ったきり、目を見開いて呆然としている。
「柊ちゃん、どうしたんだい? 」
祐太兄さんの声にようやく我に返ったわたしは、目の前のなつかしい面影の人物に、どういうわけか抱きつき、そのまま泣き崩れてしまったのだった。
その人はわたしを支えるように抱きしめ、泣き止むまで背中を優しく撫でてくれた。
大丈夫だから、もう泣かないで、と何度も優しく声をかけてくれたその人に励まされ、どうにか涙を押しとどめる。
ホームシックなのはわたしの方だったとその時気付いたのだけど、時すでに遅し。
規子姉さんや他の客人にさんざん冷やかされた挙句、その日以来、その人物が頻繁に真木家に出入りするようになった、というわけだ。
メガネの奥の優しい瞳は、昔と変わりなく、わたしを温かく包み込んでくれた。
同級生の大河内大輔は、さもそうなるのが自然であるかのように、ぽっかり空いたわたしの心の空洞に、するりと入り込んできた。