139.なつかしい腕の中で その3
「おばちゃん、心配しないで。卓なら大丈夫だよ。父さんから一時も離れなくて、いっぱい甘えてるけどね」
今朝も父にべったりくっついて母屋までやって来て、一緒に部屋を片付けていた。
遥と父が本箱を運んでいると、卓も同じように本箱に手を添え、よいしょよいしょと運んでいた姿が微笑ましくよみがえる。
自分もいっぱしに運んでいるつもりになっていた卓の真剣な眼差しがあまりにもかわいくて、思わずぎゅっと抱きしめたくなった。
すごいね、力持ちだねと言うと、ますます誇らしげな顔になっていたっけ。
「柊ちゃんのご両親には本当にお世話になったわ。卓は柊ちゃんのお父さんが大好きだものね。あのね、柊ちゃん。おばあちゃんが一人でも、もう大丈夫だって言うの」
「そうなの? おばあちゃん、ホントに一人で大丈夫なの? 」
「ええ。先生も心配ないっておっしゃってくださって」
「よかった。おばあちゃん、よかったね」
おばあちゃんが目を細めて頷いた。
「でもおばちゃんが家に帰って来ても、きっと父さん、卓を離さないよ。だって父さんが卓にメロメロなんだもの。遥の子供の頃よりかわいいんだって」
「あらあら。でもね、卓はお兄さんとは所詮血のつながりがあるわけじゃないし、小さい子が珍しいからかわいがってくれてるだけ。だからね、甘えてばかりもいられないのよ。そうそう、柊ちゃん、お兄さんに早く本当の孫を抱かせてあげなくちゃね」
本当の孫……。
おばさんがそんなことを言うものだから、びっくりしてほんの一瞬だけど、呼吸をするのを忘れて固まってしまった。
「あら、私、変なこと言ったかしら? そんな困った顔しないで」
「あ、だ、大丈夫、大丈夫だよ、うん」
おばさんがあまりにも心配そうに覗き込むものだから、あわてて小刻みに頷いた。
「柊ちゃんが大学卒業したら、この我がまま息子にリボンをかけてプレゼントするから、ぜひとも受け取って欲しいのよ。でもね、残念ながら、返品は受け付けられないわ。そこのところは覚悟してちょうだいね」
「あ、いや、その、ありがたくいただきます……って、返品はだめなの? そんなの困るよ。不良品は返品させてもらいますからね! おばちゃんこそ、覚悟してね! ぷっ、ぷぷぷ……」
冗談を言い合いながら思わず噴出しそうになる。
大声で笑ってしまいそうになるけど、ここは病院。
急いで口に手を当て、笑い声を飲み込んだ。
そんなお馬鹿なやりとりをしているわたしたちの横で、遥が大きく肩で息をして、やってられないというように呆れた顔をで天井を仰ぎ見た。
「だからね、柊ちゃんももう東京に戻りなさい」
「おばちゃん……」
いきなり東京に戻れと言われて困ったわたしは、おばさんと遥の顔を交互に見た。
「稲刈りの方も村の人が手伝ってくれるから心配いらないわ。さ、おばあちゃんの顔を見たら、家に帰って荷造り荷造り。ね、お義母さんもそう思うでしょ? 」
身体を半分起こして、ベッドの上で目を細めていたおばあちゃんがコクコクと頷く。
「おばあちゃん。いいの? ほんとうに東京に戻っても……」
おばあちゃんの目が、よりいっそう、細く弧を描いた。
にっこり笑っている。
「柊ちゃん。この一週間、本当によくやってくれたわ。ありがとう。あなたやお兄さんご夫婦に助けてもらったおかげで、おばあちゃんの具合もどんどん良くなってるしね」
確かにおばあちゃんの具合は、日に日に良くなっている。
さっき父にも、そろそろ東京に戻りなさいと言われたばかりだ。
「おばあちゃん、わたし東京に戻るけど、寂しくない? 」
そんな風に聞いてみるけど、本当はわたしがここを離れたくないのかもしれない。
東京に戻らないでと言ってくれるのを、密かに望んでいるのだ。
でもおばあちゃんは、引き止めてはくれなかった。
学校の勉強をするようにと、厳しく言われたのだ。
言葉はまだはっきりしないけど、背筋を伸ばしたおばあちゃんは、真剣な眼差しで、東京に戻って勉強に励みなさいときっぱりと言い切った。
それでもまだ後ろ髪を引かれる思いだったけど、おばあちゃんの言葉には逆らえない。
「……わかった。そうする。わたし、東京に戻るね」
再びおばあちゃんの目が優しい輝きを取り戻した。
腰をかがめておばあちゃんの手を握り、そのぬくもりをしっかりと手のひらに記憶して、遥と二人、病院をあとにした。