133.二人の帰り道 その1
病院前からバスに乗り、村の入り口付近のバス停で降りた。
家まではそこから歩いて十五分くらいかかる。
遥と肩を並べて歩くのは、母とおばさんに二人の関係がばれたあの日以来だ。
けれど、まるで付き合い始めたばかりの恋人同士のように何もしゃべらず、たっぷりと二人の間をあけたままゆっくりと坂を上っていく。
重なった二人の長い影だけが、歩くのと同じスピードで、ずっとわたしの右側についてきた。
まだ十月に入ったばかりだというのに、日が沈みかけた夕刻の道は薄手のジャケットだけでは寒く感じる。
知らぬ間に秋が深まっているのだ。
道端の土手には、セイタカアワダチソウの葉が規則正しく生え揃い、このあと黄色い花を咲かせる前にどんどん背丈をのばしていくのだろう。
葉を全部取り除いて棒状になった茎を剣に見立てて、戦いごっこをしていた子どもの頃をふと思い出す。
あの頃は道端にあるすべてのものが遊び道具だった。
草も、石も、虫も。
「なあ、柊。明日、一緒に東京に帰ろうか……」
前を向いたまま、遥がぼそっと言った。
ふいに沈黙が破られると、あろうことか心臓がドキッとはねた。
なんだろう。これでは本当に付き合いたてのカップルみたいではないか。
彼の一言一句に反応してしまう自分が気恥ずかしく思える。
顔がかーっと熱くなった。ちらりと盗み見た遥の頬も、ほんの少し色づいているように見える。
すると、突然歩みを止めた遥が、冷たくなったわたしの手を奪い取るように乱暴に握ってきた。
「はるか……」
彼の真横に引き寄せられ、あっと言う間に腕がくっついた。
ようやくいつもの二人の距離が戻ってきたのだ。
「帰ろう。俺と一緒に帰って欲しい」
はっとして彼を見上げてみたけれど。
わたしはふるふると小さく首を横に振ることしか出来ない。
この状況で遥と一緒に帰れるわけがないからだ。
「だめだよ。まだ東京には戻れない」
そう言いながらも、本当は遥と一緒に今すぐにでも東京に戻りたかったのかもしれない。
その証拠に返事とは裏腹に、遥の手を力いっぱい握り返してしまった。
もう絶対に離れたくないと言わんばかりに。
「ひいらぎ……。本当は、俺と一緒に帰りたいんだろ? な、そうなんだろ? 」
「ち、ちがう。だめなの。今はまだ……」
「なんでだめなんだ? 大学だってもう始まってるぞ? 」
「そんなこと、わかってる。……でも、おばあちゃんがまだ入院してるんだよ。退院して落ち着くまでは、こっちに居ようと思うの。もうすぐ稲刈りも始まるし、うちの方も人手がいる。だから、まだ……」
「そうか……。そうだよな」
深いため息と共に、遥の視線が宙を彷徨う。
「無理言ってごめん。本当なら、俺だってもっとばあちゃんのために、協力しないといけないのにな」
突然つないでいた手を離したかと思えば、今度はわたしの頭をすっぽりと抱え込んだ。
やおら遥の顔が近付き、彼の頬がわたしの額に触れる。
「は、はるか。そんなことしたらだめだよ。誰かに見られたら……」
「大丈夫。こんなところまで誰も追ってこないよ。見ろ、誰もいないぞ」
遥の腕に頭の部分ががっしりと挟みこまれるようになっているので、そこから無理やり脱出しない限りは後方を確認することは不可能だ。
自分だけ周りを見渡し、誰もいないぞと勝ち誇ったように言った遥の頬が、再びわたしの額にぴっとりと貼り付く。
こんなに密着したまま歩くのも至難の業だ。
遥の腰に手を回してしがみつきながらよたよたと足を進める。
でも考えようによったら、あまりにもくっつきすぎているため、逆に個人を特定することが難しいかもしれない。
まさかあの堂野遥が、女性を腕で抱え込むような大胆な行動を起すなどとは誰も考えないだろう。
そんな傍若無人な二人を目の当たりにした方も、あまりのバカバカしさに目を背けるはずだ。
ここは、遥の腕に全てを委ねてしまってもいいような気がした。
「遥、いろいろ大変なのに、こうやって病院まで来てくれて……。今日は本当に嬉しかった」
口びるが今にも遥の頬に触れそうになるぎりぎりのところで、今の正直な気持を伝える。
一瞬、彼の腕に力がこもり、ますますそばに引き寄せられる。
身動きが取れなくなったわたしは、遥と共に街路樹の下で立ち止まった。
「遥が……来てくれた……おかげで、おばあちゃん……だって、あんなに……喜んで……いたしね」
遥の腕の中で苦し紛れに話を続けるけれど、声がこもってしまい、うまく伝わらない。
「柊ごめん。離れたくなくて、つい力が入ってしまった」
ようやく遥の腕が解き放たれ、自由が戻ってきた。
「ふうっ……」
大きく息を吐き一呼吸つくと、今度は遥の目を見ながら話しを続ける。
「遥、あのね。この調子でいくと、来週末にはおばあちゃん、退院できるかもしれないって先生が言ってた。頭の手術痕も比較的小さくてすんだみたいだしね」
「へえ、そうなのか? 」
「うん。それにおばあちゃんったら、早く家に帰りたい一心で、先生や看護師さんの言うことを何から何までちゃんと守る優等生なんだ」