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続こんぺいとう  作者: 大平麻由理
第三章 ぜつぼう
132/269

132.意地とぬくもりと その3

「柊、ごめんな。すぐに帰って……来れなく……て……」


 吐息と共に遥の低い声がぼつぼつと零れ落ちる。

 そうだった。おばあちゃんが大変な状態になったというのに、遥ときたら、今日まで一切顔を見せることはなかったのだ。

 どうして今まで帰ってこなかったの? 

 わたしは真剣に怒っている。

 遥がこんなに薄情な人だったなんて、今回おばあちゃんがこんな事態になるまで知らなかったのだから。


 ところが……。

 ついさっきまであんなに怒っていたはずなのに、絶対に許せないと思っていたあの激しい感情が跡形もなく消えてしまっていることに気付く。

 遥が帰って来てくれたこの現実に、ただただ安心してほっとしている自分がいるのだ。

 彼のぬくもりが嬉しくて、肩から背中にかかる重みが愛おしくて……。


「うっ……くっ……」


 嗚咽が微かに漏れ聞こえる。

 体も小刻みに震えているのがわかった。


 遥。もしかして、泣いてるのだろうか。


「柊、ごめん。ちょっとだけ。あともう少し、このままで……いさせて」


 遥の涙がわたしの首筋をぬらしていく。

 遥だって本当はおばあちゃんのことが心配でたまらなかったんだ。

 個人的な事情で仕事を放棄するわけにもいかず、どんなに帰りたくても、ずっと我慢してきたのだろう。


 なかなか帰ってこない彼を疎ましく思い、心の中でなじったことも多々あった。

 それは孫に会えないおばあちゃんを不憫に思ってというよりも、わたしに会いに来てくれない遥に嫉妬して、醜い意地を張っていたのかもしれない。

 わがままなのはこのわたしだったのだ。

 今更ながら、彼を疑った自分が恥ずかしく、後悔の念に押しつぶされそうになる。

 どうして遥をもっと信じてあげなかったのだろう。


 小学生以降、彼の泣いている姿を見たことがない。

 どんなに悲しくても悔しくても、人前で涙を見せなかった遥が、今わたしの肩で泣いているのだ。

 気の済むまで泣けばいい。

 わたしたちの大切なおばあちゃんはここにいる。

 命をつないで、ちゃんとここにいる。


 遥の腕をさすりながら、時が過ぎるのをじっと待った。


 

「……はうか?……はうかなのかい?」


 おばあちゃんの声だ。

 目を覚ましたおばあちゃんがこちらを見て、遥を呼んでいる。

 遥が慌てて顔をあげ、わたしに預けていた体を起して立ち上がった。


「はうか、やっとひてうえたんだね。……へんきだったかい? 」


 泣きはらした目で驚いたようにおばあちゃんを見つめる遥をベッドの前に座らせ、今度はわたしが遥の背後に立った。


「遥、やっと来てくれたんだね、元気だったかい、って、おばあちゃんが言ってるよ」


 何も言わない遥に、念のため、おばあちゃんの話の内容をもう一度伝える。

 言葉がうまく話せないことはメールでも知らせたし、彼の両親からも事実を聞かされているはずだ。

 でも目の前で実際にそんなおばあちゃんの変わり果てた姿を見た遥は、きっとショックだったのだろう。

 歯を食いしばり気丈に振舞おうとするものの、またもや遥の目から次々と涙が溢れ、おばあちゃんの動かない右手にも雫がしたたり落ちた。


「はうか、もうあくんじゃあいよ……」


 遥、もう泣くんじゃないよと言って、おばあちゃんがもう一方の自由に動く手で遥の頭を撫でようと腕を伸ばしている。

 身も心も、誰にも負けないくらい大きく育った遥だけど、おばあちゃんにとってはいつまでも小さい頃の遥のままなのだろう。

 よしよしとうな垂れる遥の頭を撫で続ける。


 おばあちゃんが身体を動かしやすいように、リモコンを操作してベッドの上半分を起こしてみた。

 座るような姿勢になったおばあちゃんが、手術以降見たことのないような血色の良さで、遥を見ながらにっこりと微笑んだ。

 口元がおぼつかないけど、それでも嬉しそうに笑っているおばあちゃん。

 遥は下を向いたまま、うんうんと頷くばかりだった。

 わたしはこの時、何か目に見えない不思議な力を感じ取り、おばあちゃんは絶対に元気になると確信した。

 遥がそのパワーを運んできてくれたのだ。



 しばらくして、綾子おばさんが家から病院に戻ってきた。


「お義母さん、大丈夫ですか? 遥がやっと帰ってきましたよ。本当に、この子ったら。今まで何してたのやら……」

「ああ……ああ……」


 遥に対して不満を露わにするおばさんをよそに、おばあちゃんが満足そうに返事をしている。


「柊ちゃん、今日はありがとう。助かったわ。さあ、交代しましょう」


 もう夜の泊り込みはいらないとおばあちゃんも言っているのだけど、おばさんの抱えてきた荷物を見る限りでは、今夜もここに泊まるつもりなのは明らかだ。


「そうそう、お義母さん。遥ったら、うちに帰ってくるなり玄関先で、柊はどこ? って大騒ぎ。おばあちゃんのところよと言ったら、家の中に入りもせずに、そして隣にあいさつもしないで、そのまま病院に飛んで行ったのよ」


 イタズラっぽい目で遥をちらっと見たおばさんは、日頃の彼に対するうっぷんを晴らすかのように、ここぞとばかりに厭味たっぷりにおばあちゃんに言いつけているのだ。


「さあさあ、二人ともいつまでここにいる気なの? 他の患者さんにも迷惑よ。ホント、邪魔だわ。後は私が引き受けたから、どこへでもいってらっしゃい。おばあちゃんのことは私に任せて。今夜はここへ泊まるつもりだから。そうだわ、あのね、お父さんも出張で家にいないのよ。卓はお姉さんに見てもらってるからいいとして、希美香ひとりだけでは母屋の方が心配だわ……。遥、今夜はこっちにいるんでしょ? 」

「ああ。明日の最終便で東京に戻る」


 遥は泣き顔を見られたくなかったのか、おばさんから顔を叛けたまま、早口で答えた。


「じゃあ……。二人に母屋の留守番、お願いしてもいいかしら? 客間は掃除しておいたから、そこで休むといいわ。寒かったら、離れの二階に毛布もあるし。まあ、寒いわけないわね、あなたたち二人に限っては……」


 おばさんのとんでもなく前向きな提案に、わたしも遥も驚きのあまり、しばしその場で固まってしまった。


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