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続こんぺいとう  作者: 大平麻由理
第三章 ぜつぼう
131/269

131.意地とぬくもりと その2

 現地で語学学校に通いながら、やなっぺが現在在籍している美大の提携校であるシカゴの美術系の大学に行くらしい。

 その大学には世界でも有名な美術館が併設されていて、いや、美術館が大学を併設しているのかな? 

 とにかくそこは、日本では考えられないほど壮大なスケールの学校で、念願かなって、やなっぺはそこでデザインの勉強に打ち込むのだ。

 びっくりするほど大掛かりな計画をいともたやすく実行に移すやなっぺは、やっぱりすごい。


 ところが、藤村に留学の日程を知らせたのかと聞くと、急に黙り込む。

 それまでの高揚した声の主は、もうどこにも見当たらなかった。

 彼に真実を告げるタイミングが見つからないんだ……とボソッとつぶやく。

 今わたしは藤村と同じ街にいるわけだから、彼に直接伝えてあげようかと提案してみたのだが、やなっぺの返事は予想通りのものだった。

 その時がくれば自分の口から藤村に言う。だから他言無用だ、と。

 こういう潔さが実にやなっぺらしい。


 遥がまだ一度もおばあちゃんに会いに来ないとこぼすと、マジ? ありえない! と怒りを露わにする。

 たちまちいつものやなっぺに舞い戻るのだ。

 最近の堂野はどうかしてる、人としてどうなのよ、柊に安心しきっていて最低なやつ! と、ものの見事にこき下ろしてくれた。

 二人の歴史を何も知らない人に遥のことを悪く言われると、さすがに腹立たしくて静観していられないだろうけど、全てを知っているやなっぺならば、何を言われても平気だし、逆にスカッとするくらい爽快な気分になる。

 遥自身もやなっぺには一目置いているところがあるから、彼女の怒りは、わたしと遥のふらふらした恋路の軌道修正にもってこいなのだ。


 そんなやなっぺとのやり取りを思い出しながら、病室でおばあちゃんの寝顔を眺めていたはずだった。

 いつしか窓越しの陽の光を背中に浴びながら、ウトウトしてしまう。

 わたしまで眠ってしまったら看病に来ている意味がなくなってしまうではないか。

 けれどそんな意識もこの日だまりの中では保持することは難しい。


 あれ? どういうことだろう。

 誰かが頭を撫でてくれているような気がするのだ。

 優しい温かい手で、そっと、静かに。

 まるで幼子を寝かしつけるような慈しみ深さを備えながら、上から下へとゆっくりと撫でてくれる手の動きに、思わず身を任せ、うっとりとまどろんでいた。


 でも。

 誰? 

 誰がいったいそんなことを?


 ああ、これはきっと夢だ。

 いつしか眠ってしまったわたしに訪れた至福のドリームタイム。

 なかなか会えない遥を思って眠れない夜も多く、その分を取り戻すかのように、今、安堵の眠りに包まれているに違いない。

 多分、きっと……。


 でも、それはかなりリアルな感触で、とっくに眠りから覚めているような気がするのだ。

 ここは病室で、おばあちゃんのベッドのそばで。

 わたしとおばあちゃんと、他の三人の患者さん以外は誰もいないはず。

 なのに、すぐそばで感じる誰かの気配。


 え? ……誰なの? 


 わたしの意識は徐々に輪郭を形作り、鮮明になっていく。

 目の前に白いカーバーのかかった掛け布団が見える。

 そして少し皺の寄ったおばあちゃんの小さな手。


 やはりここは病院。

 そしていつの間にか椅子に座ったまま眠ってしまっていたことにはっきりと気付く。

 じゃあ、今頭を撫でてくれたのはおばあちゃんだろうか。

 わたしの目の前にあるおばあちゃんの右手は、手術以降あまり動かなくなっている。

 ということは反対の左手で撫でてくれたのかもしれない。 

 でも左手は、布団の中で微動だにしない。

 もしかして、おばあちゃんの右手が自由に動くようになったのだろうか。 

 これは嬉しい一大事だ。一刻も早く、看護師さんに知らせなければならない。

 どんなに小さな変化でも見落としのないようにと言われている。

 腕を伸ばし、おばあちゃんの枕元にあるコールボタンを手にしたその時だった。


 背後から突然、全身を覆い尽くすように誰かに抱きしめられた。

 身動きの取れなくなったわたしは、声も出せないまま、謎のぬくもりに包み込まれていった。


 首筋にかかる熱い吐息がわたしの心をざわつかせる。

 けれど、肩にかかるその人の重みが次第に心地よく感じられるのだ。

 胸元で合わさった見慣れた大きな手を見れば、その人が誰であるかなんて一目瞭然。


 これは夢ではない。本当のことだ。今現在起こっている、現実の出来事なのだ。

 心を落ち着かせるため、大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。


「ただいま……」


 その声を聞くや否や、わたしは彼の手を胸元で抱え込むようにして両手できつく握り締めた。

 いくらベッドの周りをカーテンが取り囲んでいるとはいえ、ここは病室。

 他の患者さんにこの状況が知られたらどうしようと不安になる。

 でもようやく会えた彼を振り払うことなど出来るはずもなく。

 ますますその人を離すまいと、握る手に力をこめる。


「遥、おかえり……」


 彼の指先にそっと唇を押し当てながら、そう言った。

 遥がどんな顔をしてここにいるのか確かめたくて、後ろを振り向こうとしてみたけれど。

 想像以上に彼の身体がわたしの背中に密着していて動けなかった。

 というか、彼がわたしの動きを阻止しているようにも思える。


 ただなつかしい遥のぬくもりだけが、背中越しにじわじわと伝わってくるのだ。




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