130.意地とぬくもりと その1
おばあちゃんに意識がもどってから一週間経つ。
けれどまだわたしは、おばあちゃんのそばにいる。
実家と病院を往復するだけの生活が続いていた。
大学の方は、もうすでに後期の授業が始まっているのだけど、寂しがるおばあちゃんを病院に置いて東京に帰る決心がつかなかった。
遥は結局病院に姿を見せることはなく、わたしはもちろんのこと、家族誰一人として彼に会った者はいない。
しきりに遥のことを気にかけているおばあちゃんを見るたび、家族に見向きもしない彼の行動が許せなくなる。
術後の経過は良好で、あと一週間程で退院可能だと担当医から説明を受けた。
が、しかし。術後のおばあちゃんの身体に深刻な症状が出てしまった。
半身麻痺と、言語障害だ。
頭部の傷口の治療と並行して、リハビリも組み込んでいきましょうと言われている。
食事や排泄の介助はもちろんのこと、退院したあとのリハビリの付き添いなど、今後の課題が山積みといった状況なのだ。
父やおじさんも仕事を休んで協力すると言っているけれど、女性でないと理解し合えないデリケートな部分もあるので、どうしても綾子おばさんと母に負担がかかってしまう。
綾子おばさんには小さい卓もいる。高三の受験生もいるのだ。
おまけに母には、数日後に稲刈りや他の農作物の収穫、果樹の手入れといった作業が待っている。
今までおばあちゃんが取り仕切っていた数々の農作業を一人でこなしていかなければならない。
そんな中、じゃあわたし、これで東京に帰ります……と言って、のこのこ新幹線に乗っている場合ではない。
今こそ、家族が一丸となってこの難局を乗り切らなければならない時だ。
こんなわたしでもよければ、何でも手伝う覚悟は出来ている。
おばあちゃんのためなら、大学なんてどうでもいいとまで思ってしまう。
幸い、十月いっぱい大学を欠席したとしても、単位の方は大丈夫だ。
ただ、ハンバーガーショップのアルバイトの方は、厳しい現実がある。
これ以上休んで迷惑をかけられないので、店長に電話で事情を話し、辞める方向で受理してもらった。
でも、わたしが東京に戻らない本当の理由は……。
その最大の理由は……。
遥。
その人が原因の要だったりする。
仕事が終わったら病院に行くと言ってからもう一週間以上経つ。
電話もメールも途切れがちで、おばあちゃんに声すら聞かせてあげられない状態が続いているのだ。
こうなったら、彼がここに来るまでは絶対に東京に戻ってやるものか! と意地になっている自分がいる。
そんな薄情な男のことはさておき、なかなか東京に戻ってこないわたしを一番心配してくれたのは、やなっぺだった。
おばあちゃんの看病にかかりっきりなのを知っている彼女が、忙しい時間を割いて夕べ電話をくれた。
やなっぺは今月末にアメリカに発ってしまうらしい。
それまでに是非会いたいから、一日でも早く東京に戻って来てと懇願された。
こんなに早くアメリカに行ってしまうだなんて……。
まだまだずっと先のことだと思っていたから、聞いたとたん衝撃的すぎて息が止まりそうになった。
ということは、長野で留学の話になった時、もうすでに全ての段取りが整っていたということになる。
成田からシカゴまで、たったの十一時間だよ……なんて、まるで国内旅行にでも行くような軽いノリで明るくふるまっていたやなっぺ。
そっか、シカゴはアメリカのいち都市だったんだ……。
わたしの知識なんてそれくらいのもの。
地図上のシカゴの位置も正確に指し示すことは出来ないくらい地理には疎い。
英語だってうまく話せるの? 本当に大丈夫?
そんなに急がなくてもいいじゃない。来年からじゃだめなの?
彼女を励まし、その旅立ちを心から祝ってあげなければいけないのに、やっぱり行かないでと引き止めてしまう。
まるで駄々っ子だ。わたしときたら、やなっぺを困らせることしか出来ない。
よったんと沢木さんにも引き止められたらしい。
やなっぺがいなくなると、どうやって暮らして行けばいいのと泣きつかれたらしい。
けれどそこはぬかりない。
やなっぺはすでにシェアハウスの後釜を見つけていて、あの家も引き払い、次の住民も大家さんの承認を得ているという。
「シカゴでの生活なんて、そんなもん、大丈夫だよ。日本と変わりないって。心だよ、こころ」
何も見えないけど、電話の向こうでポンと軽やかに胸を叩く勇ましい彼女の姿が目に浮かぶようだった。
「同じ志を抱く者同士、言葉なんて通じなくても分かり合えるって信じてる。それに去年からラジオの英語講座、結構まじめに聞いてるんだ。多分、日常会話くらいなら、聞き取れると思う。これでも英検は二級ゲットしてるし、TOEICだって六百点越え達成してるもん。目指せ八百点! そりゃあ、英語が得意な柊には敵わないけどさ。会話なんて、向こうでなんとかなるって。だって、小さな子どもだって、べらべら英語しゃべってるんだよ? 」
やなっぺが言うと、本当に簡単に誰でも留学できそうな気分になるから不思議だ。