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続こんぺいとう  作者: 大平麻由理
第三章 ぜつぼう
129/269

129.許し その2

 相変わらずおばあちゃんは眠ったままだ。

 看護師さんが熱を測りに来て、記録用紙に書き込む。

 血圧も脈も異常はなく、何かあったらすぐに呼んでくださいとだけ言ってさっさと部屋を出て行く。


 さっきも救急車のサイレンが病院の裏玄関の方から聞こえていた。

 新たな患者が運び込まれたのだろう。

 看護師さんたちは、休む暇も無く次の患者さんの元に駆けつけるのだろう。

 昨夜意識を失ったおばあちゃんを病院に迎え入れてくれたように。


 集中治療室の周辺は常に緊迫した空気と背中合わせだ。

 この病室の隣には、特別集中治療室という部屋がある。

 おばあちゃんよりももっと危険な状態の人が、そこで治療を受けている。

 そこに入らなかったということは、おばあちゃんの容態は、思っているほど悪くないのかもしれない。


「柊ちゃん、このたびはいろいろと助けてくれてありがとう」

「そんなあ……。わたし、別に何もしてないよ」

「何言ってるの。柊ちゃんがいなかったら、おばあちゃん、あのままお風呂場で冷たくなってたかもしれない。救急隊の人もお医者さまも、あなたの行動を褒めて下さったのよ。発見が早かったのと、おばあちゃんの身体を無理やり動かさなかったことが、出血を最小限にとどめた理由かもしれないって」


 おばあちゃんの手を握り締めている綾子おばさんが顔を近づけ、小さな声でわたしにそう言った。


「おばちゃん。わたし、あの時ね、おばあちゃんの声が聞こえたような気がしたの。確かに聞こえたのよ。それでお風呂場に行って……。で、後はもう無我夢中で、何をどうやったかなんて憶えてない。とにかくみんなに知らせなきゃと思って、気付いたら、おばちゃんちに向かって叫んでた」


 あの時のことなんて、ほとんど何も憶えていない。

 おばあちゃんのうな垂れた姿を見たその瞬間から、病院に着くまでの数十分は、記憶がごっそりと抜け落ちていて、憶えている部分もまるで自分が遠くから自分自身を見ているような奇妙な感覚しかない。


「台所の窓を開けてたから、柊ちゃんの声がよく聞こえたわ。でもすぐ隣に住んでいながら、何も気付かなかった私は、俊介さんの妻としては、到底失格よね。いつも元気なおばあちゃんが、まさか倒れるだなんて思ってもみなかった。あの時、柊ちゃんが母屋に来なかったらと思うと……。今でも体が震えてしまう。柊ちゃん、あのね……」


 おばさんはまだ眠っているおばあちゃんの手をそっとさすりながら話を続けた。


「私が俊介さんと結婚する時、おばあちゃんはとても複雑な気持ちだったと思うの。大切な一人息子なのに、養子に出す、なんてことになったんだものね。私だって夫の姓を名乗るあこがれはあったのよ。蔵城家の一員になれることをどれだけ夢見たか……。でも、私の親がそれを許さなかった。というか、それは絶対にあってはならないことで。ならば家を出て、俊介さんと駆け落ちしようとまで決心してたのに、おばあちゃん……いやお義母さんが、駆け落ちなんてする必要ない、それならどうぞ息子を養子に……と言って承諾してくれたの。お義母さん自身も、当時としてはめずらしい恋愛結婚だったらしくて、いろいろ困難を乗り越えて今があるって聞かされて……」


 おばさんから直接こんな話を聞くのは初めてだ。

 遥や希美香、卓の母親としてのおばさんしか知らないわたしは、駆け落ちなんて言葉をさらりと言ってのけることに、驚きを隠せない。


「駆け落ちって、なんだかドラマみたいだね。大恋愛だったんだ」

「そんなんじゃないわよ。普通よ。ただ、俊介さんも私も一人っ子で、結婚が難しい立場だったってことだけ」

「なんか運命的だね。でも、おじちゃんとおばちゃんが、ちゃんと結婚してくれて良かった。だって、そうじゃなきゃ、遥と会えなかったかもしれないし……」

「おや、まあ。柊ちゃんったら……。遥も幸せ者だわね、こんなにあなたに想われて。ということは、わたしも幸せ者なのかもね。だってあなたが息子のお嫁さんなら、何の苦労もないでしょ? ほら、嫁姑問題とか、ちまたではよくもめてるじゃない。大学卒業したら、式を挙げてきちんとしましょうね。今なら私もお義母さんの気持ちがよくわかるの。遥が蔵城姓になっても、もう何も言わない。親ならば誰だって、子どもの幸せを願うものよね? 」


 おばあちゃんがこんな状態の時に不謹慎かもしれないけど、おばさんはわたしたちの結婚のことを、許してくれたようだ。

 おばあちゃんも喜んでくれるだろうな。

 そうと決まれば、なんとしてもおばあちゃんに元気になってもらわないとだめだ。

 わたしの花嫁姿を絶対に見てもらいたい。

 そして、おばあちゃんの自慢の孫の、立派な花婿姿も……。

 

 その時だった。たった今、おばあちゃんの左手の指先が、シーツを掴むような動きを見せたのだ。

 思わずおばさんと顔を見合わせた。


「柊ちゃん、今の、見た? 」

「うん、見た。動いた。おばあちゃんの手が、動いた! 」


 おばあちゃんが少しだけ頭を左右に動かし、かすかに口を開く。


「んんんんん……。しゅん……す……け。いたい、いたい……よ」

「お義母さん、お義母さん。大丈夫? しっかりして。柊ちゃん、ナースコール! 」


 突如病室に響くおばさんの大声にびっくりしながらも、オレンジ色のコールボタンを押した。

 一度押せば充分なのに、何度も何度も押してしまった。

 すぐに看護師さん二人がやってきて、おばあちゃんの手首を取り脈を確認している。


「蔵城さん、蔵城さん、わかりますか? 声が聞こえますか? 」


 おばあちゃんは看護師さんの呼びかけに気付いたのか、小さく頷いた。

 ようやく開いたまぶたから、焦点の定まらない瞳が覗き、ゆらゆらと空をさまよう。

 そしてゆっくり口元が動いた。


「ひいあい……ひいあい? 」

「何? おばあちゃん、どうしたの? 」


 はっきりと聞き取れなかったが、多分わたしを呼んだのだろう。


「おばあちゃん、おばあちゃん! わたしだよ、柊だよっ! 」


 ああ……。おばあちゃん。目を醒ましてくれたんだね。

 そしてわたしの名前を呼んでくれた。

 おばあちゃんの意識が戻ったことが何よりも嬉しくて、ついつい大声で叫んでしまったのだ。


「他の患者さんもいますから、お静かになさって下さいね」


 看護師さんが苦笑いを浮かべ、やんわりとわたしの言動を諌めた。


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