128.許し その1
手術は成功した。
出血も想定より少なくて済み、ほぼ予定通りの時間で手術を終えて集中治療室に移されたと父から聞いた。
夕べ家に帰らなかった父と俊介おじさんは、そのまま病院から仕事場に向かい、綾子おばさんはおばあちゃんにずっと付き添っていた。
最近の麻酔は醒めるのも早いらしく、術後すぐに目覚める場合もあるけど、眠ったままの状態が数日続くこともたまにあると言われた。
長引いた場合、付き添う人の疲労が心配だと、医師も看護師も気遣ってくれる。
完全看護なので絶対に付き添う必要性はないけれど、おばあちゃんの意識が戻るまでは予断を許さない。
何が起こるかわからない今は、おばあちゃんを一人にしておくことは出来ないのだ。
ならば、おばあちゃんの身の回りの生活用品を取りに帰るついでに、少しでも身体を休めた方がいいと言って、ためらうおばさんを無理やり卓の待つ自宅に帰した。
綾子おばさんとバトンタッチをしたわたしと希美香は、ベッドの脇でいつ目覚めるともわからないおばあちゃんの寝顔をじっと見ていた。
おばあちゃんは体中に管を付けられ、頭は包帯と伸縮性のネットで覆われている。
顔は赤味を失い、頭の傷のせいだろうか、まぶたも頬もむくんで腫れているように見えた。
時々苦しそうに、ううう、とうめくけれど、目覚める気配はなかった。
希美香と交代で病院内にあるレストランで食事を取ることにした。
朝一番の新幹線でこっちに来ると言った遥だったが、まだ姿を見せてくれない。
まさか、今朝も仕事に行っているなんてことはないと思う。
生死をさまよっているおばあちゃんよりも仕事が大事だと思っているのなら、彼のその判断は間違っていると声を大にして言いたい。
いつもなら食べきれる量のレディースランチも、半分も食べないうちに箸が止まる。
今朝はこの秋一番の涼しさで、変わりゆく季節を実感するが、日中はまだまだ真夏のように暑い。
一口も飲んでいないグラスの水の中の氷も、いつの間にか融けてなくなっていた。
おばあちゃんが目覚めないまま、時間だけが過ぎていく。
最後に出てきたコーヒーの苦さがピリッと喉にしみた。
会計を済ませ、おばあちゃんのところにもどろうとレストランを出た時に、遥からのメールを受信した。
もうすぐこっちに着くという知らせだと思う。
わたしははやる胸を抑え、大きく深呼吸をしてメールを読み進めた。
柊、いろいろありがとう。
今日の仕事はキャンセルできなくなった。
仕事が終わり次第病院に向うので
みんなにそう伝えて下さい。
ばあちゃん手術、成功したようで
安心しました。
よかった。
気になって朝から上の空で叱られてばかりです。
すぐにそっちに行けなくてごめん。
迷惑かけて、本当にごめん。
家族のこと、よろしく頼みます。
わたしはあきらめのため息と共に、携帯をバッグにしまった。
なんとなく、そんな気がしていたのだ。
俳優さんが舞台でお芝居をしている時、親の死に目にも会えないというようなことを、何かの番組で聞いたのを思い出す。
祖母が倒れたと言っても、聞き入れてもらえないのだろうか。
いや、そうじゃなくて。
遥のことだ。回りの様子を窺いながら、言い出すタイミングを待っているのかもしれない。
この調子だと、永遠に遥は帰って来ない予感がする。
たとえ彼なりの事情があるにせよ、素直に仕事頑張ってと返信する気持ちにはなれなかった。
「柊ちゃん、希美香、今日は朝早くから来てくれてありがとう。今度は私の番よ。さあ、あなたたちはもう帰りなさい」
少し元気を取り戻したように見える綾子おばさんが、おばあちゃんの衣類や身の回りの物を抱えて再びやって来た。
「でも……。まだおばあちゃんが起きないし、それに……」
わたしが口ごもっていると、察しのいいおばさんがにこっと笑みを浮かべた。
「ふふふ。わかった。あの子を待ってくれてるのでしょ? ホントに情けないわね。仕事だかなんだか知らないけど、緊急事態が起きても身動きが取れないだなんて、困った息子だわ」
笑顔から突如不快感を露わにした顔つきになり、おばさんの眉間にくっきりと皺が刻まれる。
わたしの部屋で気まずい鉢合わせをして以来、遥とおばさんの関係は最悪なままだ。
「希美香、あなたはもう帰りなさい」
「ええ? なんで? あたしだってお姉ちゃんと一緒にここにいたいのに」
頭ごなしに帰れと言われた希美香はさも不服そうに頬を膨らませる。
「いけません。学校があるでしょ? 明日は行かなきゃダメよ。おばあちゃんは大丈夫だから、希美香は家にもどって、卓と留守番しててね。ね、お願い」
まだおばあちゃんの側に居たそうだったけど、おばさんの言い分を理解した希美香は、重い腰を上げ、お姉ちゃん、またね、と言って、しぶしぶ家に帰って行った。