127.早く返事をして その2
何か異変があったらすぐに連絡をしてもらうという約束で、わたしと母は家にもどった。
わたしは自分の着替えと携帯を持って、希美香と卓の待っているとんがり屋根の堂野家に向った。
何も知らない卓はいつもどおり機嫌よくお風呂に入って、さっき寝たところだという。
おばあちゃんの病状を希美香に伝え、卓を真ん中にして、三人で川の字になって横になった。
「お姉ちゃん……。おばあちゃん、大丈夫なのかな? 」
希美香も不安なのだろう。
真実を知るのが怖いのか、それを最後に堅く口を閉ざしてしまった。
「大丈夫だよ。おばあちゃんは、絶対に大丈夫。希美ちゃんは、何も心配しなくてもいいんだからね。卓はうちの母さんに預けて、明日、朝一番に病院に行こうね。学校を休めるように、おばちゃんが先生に連絡してくれるって」
何の保障もないけれど、今はただ大丈夫だよと言うしかない。
希美香が枕に頭を預けながらうんと深く頷き、そのまま目を閉じた。
まだ遥からは何も連絡がない。
いったいどうしたのだろう。あれからもう何時間も経つ。
休憩も取らずに働き続けているのだろうか。
お茶を飲んで一息入れることも許されないなんて、牧田さんに抗議したくなる。
綾子おばさんの言うとおりだ。
これでは携帯を持ってる意味がない。
卓がもそもそと寝返りを打った時だった。
枕元に置いてある携帯が、わたしの不安な気持を逆なでするかのように、妙に場違いな軽やかなメロディーを奏でた。
遥だ。
大急ぎで携帯を耳にあて、相手が彼であるのを確認する。
「もしもし、はるか? 」
『ああ、そうだ。柊か? 』
間違いない。遥の声だ。
安堵するのも束の間、怒りがふつふつと湧いてくる。
「遥、待ってたんだよ。どうしてこんなに遅くなったの? ずっとずっと、待ってたのに」
『ごめん、こっちもいろいろあって。で、ばあちゃん、手術するのか? いったいどうしたんだよ、何があったんだ? 』
「遥のバカ! 今何時だと思ってるのよ。こんな夜中まで、何やってたの? 」
隣に卓と希美香が寝ているのも忘れて、つい大声になる。
携帯を耳に当てたまま立ち上がり、足音を忍ばせて、そっと廊下に出た。
『何やってたって、そりゃあ仕事に決まってるだろ? 連日の撮影で、今、家に帰る途中。携帯を入れたカバンを牧田さんに預けっ放しだったから、連絡取れなかったんだよ』
「そんなあ……。ちゃんと携帯見てくれなきゃ、取り返しがつかないことになっちゃうよ。おばあちゃん、くも膜下出血で、今夜手術してるの。もしかしたらもう終わってるかもしれない。だから。とにかくすぐに帰って来て! おばあちゃん、危ないの。このまま出血が止まらなかったら、命の保障はないんだって。それに、手術が成功しても、今までどおりのおばあちゃんに戻れるかどうかもわからないって……。お願い、早く帰って来て。今すぐ。遥のおじちゃんも、おばちゃんも、元気なくしちゃって、とても見てられないの。だから、だから。お願い。今すぐ……うっ、帰って……来て、うっ……」
『柊、泣くなよ。わかった。すぐにそっちに帰る。朝イチの新幹線で帰るよ。また連絡するから』
希美香と卓の前では泣かないって決めていたのに、遥の声を聞いたとたん、涙があふれて止まらなくなってしまった。
遥、お願い。
一分でも一秒でもいいから、早く帰って来て。
電話を切った後も、おばあちゃんが元気だった頃の笑顔が何度も何度も脳裏によみがえる。
中学生の時、夏祭りで青い帯を締めてくれた時のおばあちゃんは、まるで少女みたいにはにかんだ笑顔で、おじいちゃんとの思い出を語ってくれた。
わたしと遥が結婚の約束をしていると知った時も、大喜びして、わたしたちの味方になると言って励ましてくれたよね。
受験の時もずっと見守ってくれた。
なのに、もうおじいちゃんが迎えに来ただなんて言わないで。
そんなのだめ。絶対にだめ。
どうか、どうかおじいちゃん……。
おばあちゃんをおじいちゃんのところに連れて行かないで。
まだおばあちゃんに聞いてもらいたいことがいっぱいある。
見てもらいたいことも、そして教えてもらいたいことも、まだまだいっぱいあるのに……。
このまま永遠の別れが訪れるなんて信じないから。
せめて、せめて遥が帰って来るまでは、どこにも行かないで。
手術が成功しますように。
そして、おばあちゃんの笑顔が、もう一度見られますように。
わたしはひんやりとしたフローリングの廊下で膝を抱え、一番鳥が朝を告げるまで、ただひたすらおばあちゃんの無事を祈り続けた。