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続こんぺいとう  作者: 大平麻由理
第三章 ぜつぼう
121/269

121.このままとけてしまいたい その1

「ひいらぎ……」


 江島さんと話していたその人が振り返り、わたしを呼んだ。

 

 なんで? 

 どうして? 


 ここにいるはずのないその人を視界に捉えただけで、呼吸が乱れ、心臓が暴れ始める。

 わたしは知っている。

 その人を誰よりもよく知っている。


 遥……だ。


 なぜ遥がここにいるのだろうと、わたしの中で疑問がぐるぐると渦巻く。

 館内では走らないで下さい、という注意書きを掲示ボードに貼ったのは、まぎれもなくこのわたしだというのに、いつの間にか小走りで遥のもとに駆け寄っている自分がいた。


「蔵城さん……! もうっ、ほんとに、どこに行ってたのよっ! 」


 興奮した江島さんが、叫びたいのを必死で堪えるようにして、小声でまくし立てる。


「す、すみません。お客様に頼まれて、児童書のコーナーに……」

「あー、児童書ね。急にいなくなっちゃうんだもの、びっくりするじゃない。それはそうと、この方が、あなたに用があるっておっしゃっているんだけど……」


 江島さんは、声を潜めながら遠慮がちに遥を見上げた。

 どうしてあの堂野遥がここにいるの? と、混乱しつつも説明を求めるような目をしているのがありありとわかる。

 遥との関係はまだ何も彼女には知らせていないのだからそれも無理のないこと。


「は、遥。どうして、こんなところにいるの? 仕事は? 牧田さんは? 家には、もう帰ったの? 来るなら来るって、なんで連絡してくれないのよ。心配してたんだよ? 」


 わたしだって江島さんに負けないくらい動揺している。

 なぜ東京にいるはずの彼がここにいるのか、全くもって理解できないからだ。

 訊きたいことがありすぎて、矢継ぎ早に質問ばかり投げつけてしまう。


「おい、柊。落ち着けよ。一度にそんなにいっぱい訊かれても、答えられない。なあ、柊。俺には時間がないんだ。今から、ちょっとだけいいか? 」


 突如わたしの腕を掴んだ遥が、無謀にもわたしをどこかに連れて行こうとする。

 そんなことが許されるとでも思っているのだろうか。

 バイトであっても仕事中には変わりない。

 あと二時間は与えられた業務を遂行するため、館内から出ることが不可能なことは、遥も理解できるはずだ。


「だ、だめだって。遥、やめて、お願い。だって、ここは図書館だよ。わたしは仕事中だし、みんなも、見てるし……」


 さっきから感じていた複数の視線のありかを遠巻きに確認する。

 カウンター近くの席についている女子高生グループが、不思議そうにこちらを見てこそこそと耳打ちしながら様子を窺っているのだ。

 するとその中の一人が立ち上がり、遥に向かって指をさした。


「ねえねえ、あの人もしかして、堂野遥じゃない? きっとそうだよ! 」


 それにつられて、みんなが口々に遥の名前を連呼し始めた。


「ホントだ。堂野遥、本人だ。なんでこんなところにいるんだろ。ってことは、雪見しぐれもいるのかな? 」

「ええっ、どこどこ。雪見しぐれ、どこにいるの? 」


 俄かに館内がざわつく。

 わたしから慌てて手を離した遥が女子高生から顔をそむけたのだが、後の祭りだ。


「さあ、二人とも、よく聞いて。ここにいたらまずいんじゃない? 奥の小会議室に移動ってのはどうかしら。蔵城さん、午後の休憩、まだ取ってないでしょ? じゃあ、今から休憩タイムということで。さあ、早く。こっちこっち。短い時間だけど、有効に使ってね」


 機転を利かせた江島さんが、素早くわたしと遥を小会議室へと誘導してくれた。

 危機一髪だ。全国的にはまだマイナーな遥も、地元では相当その名が知れ渡っている。

 遥が雪見しぐれではない女性と一緒に、それも公共施設内で密会などと噂されるなどもってのほかだ。

 あのテレビ報道の一件から、興味本位で騒ぎ立てる人が後を立たない。

 どうやって調べたのか、ファンと名乗る女の子たちが遥の実家にまで次々と押し寄せる始末なのだから。

 わたしはあくまでも職員のスタンスを崩すことなく機敏に行動し、江島さんの指図に黙って従った。


 会議用の長机がコノ字型に並ぶ部屋のまん中で、立ったまま遥と向き合った。

 ここにはわたしと遥以外、誰もいない。

 十人も入れば定員いっぱいになる小さな部屋が、今日はなぜかとても広く感じた。


 遥に会うのは何日ぶりだろう。

 久しぶりに見る恋人はまるで別人のようで、薄っすらと日に焼けたシャープな顔立ちを臆することなくわたしに向ける。

 連日の暑さとハードな仕事で体重が落ちたようにも見える。


「突然で悪かったな……」


 いつもの声だった。低くて淡々として……。

 わたしのよく知った、なつかしい彼の声が室内に響いた。


「遥ったら、何も言わずに急に図書館まで来るんだもん。ホントにびっくりした。心臓に悪いよ」


 何のためらいもなくわたしをまっすぐに見つめる遥の瞳が眩しくて、つい目をそらしてしまう。


「藤村から聞いた」

「な、何を聞いたの? 」


 確固たる意志を持って断言する遥に、わたしは全てを見透かされているような不安を覚える。


「柊。おまえ、俺に何か隠してるだろ? 違うとは言わせない。なあ、事務所から、なんて言われた。牧田さんから何か言われたんだろ? 」


 じりじりと詰め寄る遥の気迫になすすべもない。

 遥はもう何もかも気付いてしまったのだろうか。

 藤村から聞いたと言った。

 だとすれば、藤村にそのことを洩らしたのは、やなっぺしかいない。

 やなっぺが藤村に暴露してしまったのだ。


 信じていたのに。

 やなっぺが誰にも言わないって言ったから、だからすべてを話したのに……。

 彼女がわたしとの約束破るなんてことは、今まで一度もなかった。

 なのに、どうして? 

 わたしたちはもう、親友じゃなくなったのだろうか。


「前から柊の態度がおかしいと思っていたんだ。今朝、牧田さんに問いただしたけど。彼女、さすがだよ。とぼけるばかりで、絶対口を割らない」

「あの、わたし、別に何も言われて……ないけど」

「じゃあ、なぜもっと堂々と胸を張らない。どうしてそんなに萎縮してるんだ。俺が怖いのか? 久しぶりに会えたのに、なんでもっと嬉しそうな顔をしないんだ。俺と柊は、こんなにも他人同士だったのか? 」

「そうじゃない……けど」 

「おい、ちゃんとこっちを見ろ。俺と会うなって、牧田さんに言われたんだろ? なあ、そうだろ? 」


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