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続こんぺいとう  作者: 大平麻由理
第三章 ぜつぼう
120/269

120.親心 その2

 次の信号を右折すると図書館が見えてくるはずだ。

 レンガ造りの荘厳な建物が次第に目の前に迫ってくる。


 おみやげは野沢菜漬けだ。

 保冷剤も入っているのでずっしりと重い。

 長野の名産品と言えば真っ先に思い浮かぶくらい、野沢菜漬けはわたしの大好物だ。

 迷うことなくこれを選んだ。

 お世話になっている職員の人数分が入った袋を持ち、図書館の駐車場前で車を降りる。


 仕事が終わったらなるべく早く帰って来いよと力なく話す父の横顔がどこか哀しそうで、いつまでたってもその姿がわたしの網膜から消えることはなかった。



 このところ図書館を訪れる人は激減し、午前中は貸し出し業務も随分楽になった。

 八月の終わりごろには夏休みの宿題の仕上げのため、あるいは受験勉強のためか、小学生や中高生があふれんばかりに来館し、あんなに大忙しだったというのに、今は嘘のように静寂が訪れていた。

 昼休みは交代で取る。

 休憩室で顔を合わせた人から順番に、野沢菜漬けを配った。

 最後のひとつは一番世話になっている江島さんの分だ。

 缶コーヒーをおいしそうに飲んでいる彼女に、どうぞと差し出した。


「あらあ、ありがとーー。ホント、蔵城さんって、気が利くわね。あたし、野沢菜大好きなの。お酒のあてによし、ご飯によし。これがあれば他に何もいらないでしょ? 一人暮らしにとっては必須アイテムのひとつなのよね。にしても、蔵城さん。女友だちと行ったって、ホントなの? 実は、彼氏と行ったんじゃない? 」


 わたしの言ったことを全く信用していない江島さんは、隠すことなく疑いのまなざしをこちらに向け、ひやかすのだ。

 まあ、ムキになって言い争うようなことでもないし、携帯で撮ったやなっぺとのツーショットを見せて、どうにか信じてもらえたようだったが……。


 夕方になり、学校帰りの学生たちが増えたためか、館内が少しざわつき始める。

 友達同士で来ている女子高生も、ついつい気が緩んでしまうのだろう。

 次第に話し声が大きくなり、仲間内で盛り上がって甲高い笑い声が館内に響き渡った。


 そんな時江島さんが、ささっと彼女たちの前に近寄り、静かにしてくださいと注意をするのだが、素直にごめんなさいと謝る女子高生たちに安堵すると同時に、今の若者も捨てたもんじゃないな、などと微笑ましく思ったりもする。


「あの、すみません。ちょっとお訊ねしたいんですけど」


 髪を後にひとつに束ねた三十代くらいの母親と思われる女性が、子どもの手を引いてカウンターにやって来た。

 江島さんはまだ戻ってきていない。

 他の職員もそれぞれの業務に忙しく、今はわたししか応対できない。


「何かお困りでしょうか? 」


 江島さん、早く戻ってきてと願いながら、目の前の母親に事情を聞く。


「この子と一緒に、道端の草花の名まえを調べたいのですが。何かいい植物図鑑はありませんか? 」

「あちらに図鑑の書架がありますけど」


 今ではすっかり本の位置を把握しているわたしは、図鑑のあるあたりを指し示した。

 これくらいならわたしにも対応できる。


「ああ、あそこには行ったんですけどね。どれも難しくて、よくわからないんですよ。ひらがなが多いほうが助かるんだけど……」


 母親は困ったように額に皺を寄せ、子どもと顔を見合わせた。

 それならば、児童書のコーナーにも植物図鑑があったはずだと思い出す。

 わたしはその親子を誘導するため、貸し出しカウンターの席を立ち歩き始めた。


 植物の特徴をよく捉えた手描きイラスト入りの図鑑を探し出し、母親にそれを手渡した。

 すぐにページをめくる彼女に、柔らかい笑顔が浮かぶ。


「これがいいわ。写真だと意外とわかりにくいのよね。イラストの方が特徴がよく出てて、わかりやすいわ。あっ、このツルのような植物。ヘクソカズラっていうのね。ふふふ、おもしろい名前だわ。いい図鑑を探してくださってどうもありがとう。もうちょっと見てから、借りるかどうか決めるわね」


 そばのテーブルで図鑑を広げ、親子で頭をつき合わせて楽しそうに見ている。

 こうやって利用者に満足してもらえると、わたしまで満たされた気分になる。

 もっともっと役に立てるよう、勉強しなければとも思う。


 楽しそうに語り合う親子を残し、ひと仕事終えた気分でカウンターに戻ろうとした時だった。

 江島さんがいかにも慌てているような落ち着きの無いそぶりで、彼女の前にいる人と話していた。

 どうしたのだろう。あきらかに彼女が動揺しているように見える。

 カウンターからかなり離れた位置にいるわたしにも、江島さんの異変が手に取るようにわかった。


 利用者からのクレームだろうか?

 借りたい本が無いと言って、文句を言う人も少なくない。 

 徐々にカウンターに近付くわたしと目が合ったとたん、江島さんが立ち上がり、大きく手を振ってこっちこっちと手招きする。

 大声で呼べないのがもどかしいとでもいうように、オーバーリアクションで手を振り続けるのだ。


 そしてカウンター前に立っているその人もこちらに振り返った。

 まるでスローモーションのようにその人が身を翻し、わたしと視線を合わせる。


 ゆっくりと、そして大胆に。

 よく知っているその人が柊と呼んだのを、わたしは聞き逃さなかった。


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