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続こんぺいとう  作者: 大平麻由理
第三章 ぜつぼう
117/269

117.かわいそうな赤信号 その1

「あたし、アメリカに留学する」


 それは、やなっぺの留学宣言を耳にした瞬間に起こった。

 手からするっと抜け落ちてテーブルに横倒しになったグラスを、慌てて真っ直ぐにする。

 撒き散らした氷を寄せ集めようとおしぼりを手にしたとたん、すぐに駆けつけてくれた店員さんが、大丈夫ですかと気遣いながらてきぱきと後始末をしてくれた。


 元通りになったテーブルを見てホッとしたのも束の間、やなっぺと目が合ったとたん、今しがた彼女が口走った言葉が再び蘇る。

 あたし、アメリカに留学する……と。

 そっか、やなっぺは留学するんだ、などとのん気に構えている場合ではない。

 留学、つまりそれは日本を離れるということ。

 旅行とか短期間ではなく、長期に渡って彼女と離れ離れになる、ということなのだ。

 予想をはるかに越えるやなっぺの爆弾発言が、わたしの脳内をぐるぐると駆け巡った。


「アメリカに留学って、い、いったい、どういうこと? ねえ、やなっぺ。わたしには、よくわからないんだけど。そんな話、今始めて聞いたし。ちゃんと説明して! 」


 慌てふためくわたしをよそに、やなっぺは少しも動じない。


「んもう、柊ったら。そんなに驚かないでよ。まあ、家族以外に打ち明けたのは柊が初めてなんだけどね」

「じゃあ、よったんや、さわきさんも知らないの? 」

「うん、もちろん。あたしさあ、前から思ってたんだけど、なんか物足らない毎日でさ……。で、デザインの勉強をもっとやりたいなあって、そう思ってて。ならば、アメリカだなと思ったんだ」


 そりゃあ、アメリカとかヨーロッパとかの方が、やなっぺの目指す分野は日本より進んでいて、興味も広がるのだろう。

 でも、どうして今なの? やっと藤村ともいい感じになってきたばかりだというのに。


「ねえ、柊。藤村のことだけどさあ。あいつ、きっとこのままで終わらないよ。将来は実業団チームに入って、日本代表メンバーを目指すつもりなんだと思う」

「日本代表メンバー? そ、そうなんだ……」

「それに、昔から言ってたNBAも視野にあるはず。だからあたしも、そんな藤村にふさわしい相手にならなきゃだめだな、ってね。ポップアートやテキスタイルデザインなんかももっと勉強したいし、だからって、これだけを一生やりたいというわけでもないんだけどね。何を見ても何をやっても興味津々だし、手付かずの未開の部分にも踏み込んでみたいんだ。そのためにはやっぱ、留学が一番だと思ってさ。向こうで通う学校も、もう目星つけてるの」


 そこまで考えていたなら、もう少し早く相談して欲しかった。

 今まで何も言ってくれなかったやなっぺに対して不機嫌になる。

 そんな大切なこと、どうして今まで黙っていたのと。


「あたしだって、もっと早く柊に聞いてもらいたかった。でもね、最近の落ち込んでる柊に、こんな相談できたと思う? あんたさあ、自分の事で相当参ってるのに、こんなぶっ飛んだ相談なんてされた日には、ますます落ち込むに決まってるじゃない」

「あ……」

「ねえねえ、柊。この数ヶ月であんた、いったい何キロ痩せたの? そんなことないなんて言わせないからね! 柊と堂野のことは高校の時からずっと見てるんだし、今更こんなこと言いたかないけどさ。もし相手が堂野じゃなかったら、とっくにあんな男とは別れろって叫んでる。あんたたちの絆がどれほど深いかわかってるからあたしだっていろいろ言いたいこと、我慢してるんだよ。こんなとんでもない恋愛、あたしには絶対耐えられないし、狂ってるとしか思えない。……でも、それでも好きなんでしょ? 堂野のこと」


 一気にまくし立てるやなっぺに圧倒されながらも、そのとおりだと頷くしかなかった。

 そこまでわたしと遥のことを心配してくれてたやなっぺの優しさに胸が熱くなる。

 彼女の言うとおり、この春から三キロも痩せた。

 もともとあまり太れない体質なのか、何か心配事があるとすぐに体重が落ちてしまう。


 スカートもパンツも借り物のようにブカブカしていてみっともないのは、とっくに気付いていた。

 このままではいけないと思っているけど、だからと言って、すぐさま解決方法が見つかるわけもなく。


「柊はこの先どうするの? 今月末、また東京にもどるとしても、堂野とはもう一緒に暮らさないの? 」

「うん。当分無理だと思う。……会うのも」

「会うのも? なんで? 藤村も言ってたじゃん。堂野がかなりまいってるって」

「そうなんだけど、会わない。会えないの……」

「やっぱおかしいよ、あんたたち……。柊、何かあったでしょ? 事務所から何か言われた? ねえ、いい加減白状しなさいよ。堂野と会うなとか、言われたんじゃないの? そうでしょ? そうなんでしょ? 」


 やなっぺにこれ以上隠し通すのは無理だと思い始めていた。

 ここまで来て、やなっぺがおとなしく引き下がるはずがない。

 わたしは覚悟を決め、真実を話すことにした。


「やなっぺ、お願い。今から言うこと、遥はまだ何も知らないの。だから彼には言わないで。もちろん、藤村にも内緒にしておいて欲しい。マネージャーの牧田さんとわたしの。二人だけの、秘密なの」

「ひ、ひ、秘密? 何それ? 多分、そんなことだろうとは思ってたけど。で、はい、わかりましたって引き下がったの? 何を言われたか知らないけど、もうホント、ありえないっ! それじゃあ、堂野がかわいそうだよ。ちゃんとこれからのことを話し合って、仕事とプライベートをきっちり分けて考えなきゃ。周りにいいように扱われて、あんたたちの心と身体はズタズタに引き裂かれてしまうよ。それでもいいの? 」


 やなっぺの怒りも理解できる。

 けれどもあの時わたしが引き下がらなかったら、遥はあの世界に居続けることはできなかっただろう。

 モデルを辞めさせられることは仕方ないとしても、遥の長年の夢であるマスコミ関係の仕事に就くことさえ叶わなくなるかもしれないのだ。

 彼の将来を考えれば、わたしの判断は間違っていなかったと思う。


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