115.幸せは背中から その1
「で、蔵城。さっきの続きだけど」
不服そうなオーラを背中に滲ませながら去っていく係員を横目に、藤村が遥の話を蒸し返す。
「八月の終わりだったかな? あいつから電話があった時、うちのとずいぶん会ってないとか言って、堂野の奴、かなり不満そうだったぞ。あんな弱った堂野は初めてだよ。なあ、柊ちゃん。おまえさあ、こんなところに来てのんびりしてる場合じゃないよな? あいつのところに今すぐ行ってやれよ」
「それは、そうなんだけど……。遥が休みをもらえたら、実家に帰って来るってことに、その、なっているんだ……けど……」
一番触れられたくない部分なだけに、曖昧な返事しか出来ない。
「おいおい、えらい自信なさげだな。休みになったらって、あいつ当分休みなんてもらえないって言ってたけどな。相当まいってるみたいだったぞ。おまえたち、一緒に暮らしてたんだろ? なら、なんで離れ離れになってんの? あの会見報道のせい? 」
藤村の情け容赦のない突っ込みに冷や汗が伝う。
そんなプライベートなことまで、知らない人の居る前で言って欲しくなかった。
なのに、藤村の隣にいる優しそうな人はゆったりと腕を組み、目を細めて話を聞いているのだ。
「あっ、ごめんごめん。二人に紹介するの忘れてた。この人、同じ大学の先輩で、二ノ宮さん。いい先輩でね。それに、俺が言うのもなんだけど、これまた男が惚れるいい男で……。ねえ、先輩? 」
わたしの不安な気持を察してくれたのだろうか。
藤村は自分の隣にいる大きな人について自慢げに語り始めた。
「先輩、こっちの大きい方が幼稚園時代からずっと一緒の蔵城で、俺の親友の彼女です。そして、こっちの小さい方が高校の同級生の柳田で、まあ言えば、元カノ……みたいなもので」
藤村が照れながら、わたしとやなっぺのことを先輩に告げた。
ところが……だ。やなっぺのことを元カノだと言わなかっただろうか?
いや、確かにそう言ったように聞こえたのだが。
当のやなっぺはぽかんと口を開け、驚いたように目をぱっちり見開いて藤村を凝視している。
高校時代、ほんのわずかの期間だったけど、二人が付き合っていたことは事実だ。
だから嘘ではないし、元カノで異論は無い。
でもこれって、藤村の意識が今までと少し違ってきたってことだろうか?
少なくとも、当時はやなっぺが藤村の彼女だったと彼自身が認めているのだから。
「どうも、二ノ宮です。はじめまして」
二ノ宮さんが組んでいた腕をほどき、長身を折り曲げて律儀に会釈をしてくれた。
わたしから遅れること三秒、やなっぺも慌ててぺこっと頭を下げる。
包容力のある人というのはこういう人のことを言うのだろうか。
全身から温和で誠実そうな人柄が滲み出ている。
「いつもあなたたちのお噂は聞いていますよ。こいつが、あの堂野遥と知り合いだって自慢するんだけど、最初は信じてなかったんだよね。ほら、よくあるでしょ? ただの同級生をさも仲が良かったように誇張する人たちが。でもこうやってあなたたちに会って話を聞くと、もう信じないわけにはいかないですね。芸能界のことはよくわからないけど、いろいろ事情がありそうだ。今耳にしたことは僕の中で収めておくから、心配いらないよ」
二ノ宮さんが落ち着いた声でそう言った。
テレビの情報と藤村の話した内容が食い違っていることに気付いたのだろう。
雪見しぐれの恋人として報道されていたにもかかわらず、藤村が堂々とわたしが遥の恋人であると宣言してしまったのだから。
「で、こちらが柳田さん? こいつの携帯の受信履歴で女性といえば、あなたしか見当たりませんからね。他の女性のメールは即削除ですよ。あはははっ! そうか、この人が柳田さんか。予想通り、しっかりしててかわいらしい人だ。藤村、柳田さんに会えてよかったな」
「そ、そんな、べ、別に……」
「何が別に……だ。おまえ、今日はこの後、がんばりがいがあるな。次の試合のパスはおまえ中心に回すから、遠慮なくバンバン決めろよ」
優しそうな顔をして、藤村の背中を思いっきりバシっと叩いてからかう二ノ宮さんだが……。
今、とても興味深いことを耳にしたような気がする。
藤村の携帯に誰の受信履歴が残っているって言っただろうか。
「せ、先輩、勘弁してくださいよーー。今ここでそんなこと言わなくても……。先輩に見られた時、たまたまこいつのメールが残っていただけで。それに他の女性からなんて、滅多にメール来ないですから。俺はバスケ一筋だって、いつも言ってるじゃないですか。変なこと吹きこまれたら困りますよ。こいつらが誤解するじゃないですか」
「たまたま? いや、いつ見ても、柳田さんのメールしか残っていないと思うけど。おまえがどこでも携帯を置きっぱなしにしてるから、仲間に覗かれて、冷やかされるんだろ? 」
「そりゃあそうですけど……。た、大変だ、時間が無い」
壁にかけてある時計を指差してわざとらしく慌てる藤村が、どことなくかわいく見える。
「先輩、もう行きましょうよ。じゃあ、二人とも中に入って待ってろな。ちょっと事務所に寄って、また戻ってくるから。それじゃあ、応援よろしくな! 」
その時、ほんの一瞬だったけど、いや、見間違いかもしれないけど。
藤村の左手が、やなっぺの背中に触れたように見えた。
それと同時に、やなっぺははっと息を呑み、遠ざかっていく藤村をじっと目で追いながら、その場で棒立ちになっていた。