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続こんぺいとう  作者: 大平麻由理
第三章 ぜつぼう
111/269

111.夏の終わりに その1

「もしもし、やなっぺ? 」

『あ、柊っ。どうしたの? えっと、約束は明日だよね? 』


 わたしは新幹線に乗り込む前にやなっぺに電話をかけていた。

 さっきの牧田さんの話をどこまで伝えればいいのかと迷いながらも、なつかしいやなっぺの声に耳を傾ける。


「うん、それがね……。今東京に来てるんだけど、急用が入って、すぐに帰らないとだめなの……」

『ええ? 急用って……。それって、ホントなの? 今夜は堂野に会うためにこっちのアパートに泊まって、明日あたしと一緒にランチする予定だったじゃない』


 何も知らないやなっぺは、わたしの言動が不可解極まりないのだろう。

 そんな彼女がすんなりと引き下がるわけもなく、不信感いっぱいの声で、ひたすら不満を訴える。


『急用って何? せっかく東京まで来てるのに、すぐに帰らなきゃいけないほどの事なの? 』

「うん。バイト関連でね」

『なんか残念すぎるよね』

「うん……」


 誰が何と言おうと、もう東京にいる必要はないのだ。

 遥に会えないとわかっているのにこのままここに留まれば、ますます辛くなるのは目に見えている。

 やなっぺとの約束が果たせないのは申し訳ないけど、今はこうするしか方法は無い。


『明日のランチ、吉祥寺にいいところ見つけてたのに。西荻窪の店とどっちにしようか迷って迷って決めたんだよ。前から行きたかったんだ。古民家風の素敵なところなんだけどな』

「ごめんね、やなっぺ。どうしても帰らなくちゃならないの。この埋め合わせは、また今度するから。本当にごめんね」

『柊ったら、もういいよ。そんなに謝らなくても。埋め合わせなんて気にしなくていいからさ。バイト関連の急用なら仕方ないよ。責任あるもんね。じゃあ、堂野には会わなかったの? それとも、もう会った? 』

「ううん。会ってない。今、仕事中だよ。まだまだかかるって」

『へー、そうなんだ。忙しそう。ねえねえ、それでさ、あの雪見しぐれの記者会見はうそなんでしょ? ちゃんと理由聞いたの? 』 

「そ、それは……。もちろん、遥と別れたわけじゃないし、あの報道は前にも言ったとおり、建前的なことなんだけど……。まあ、いろいろあって、わたしもよくわかんなくて。とにかくもう帰らなきゃ。これから新幹線の自由席で、二時間近くは立ちっ放しなんだから。気合を入れてホームに行くね。それじゃあ」


 やなっぺの追及がこれ以上エスカレートしないうちに、大急ぎで電話を切った。


 一連の騒動が報道された次の日、わたしのことを心配して電話をかけてくれたやなっぺ。

 簡単に報道内容の事情は説明しておいたのだけど、詳しいことは明日ランチをしながら伝える予定だったのだ。

 でももし今やなっぺに会うと、いろいろと愚痴ってしまうに決まっている。

 そうすると牧田さんに言われたことも、全部話さなければならなくなる。

 たとえやなっぺが真実を全部知ったとしても、誰かに触れ回ることはないと信じているのだけど……。

 けれども今はまだ、わたしの心の中に留めておくべきだと思った。

 今日は誰にも会わず、このまま帰るのがいいだろう。

 電源をオフにした携帯を握り締め、西に向かう新幹線に急いで乗り込んだ。



 その日の夜、遥から猛烈な怒りの電話がかかって来た。

 どうして帰ったんだと電話口で責められた。

 そんないい加減なバイトなんか、とっとと辞めてしまえとまで言われた。

 塾長に直談判すると言って声を荒げる遥をなだめるのに、かなりの時間を費やしてしまった。

 まだ牧田さんからは何も聞いていないのだろう。

 事実を知れば、真夜中でも車を走らせて実家にもどってきてしまいそうな勢いだ。

 わたしは何度も繰り返し、ごめんね、としか言えなかった。


 交通費は俺が出すから明日もう一度来いと無理難題を押し付ける。

 それが出来れば、遥に言われなくてもとっくにそうしている。

 わたしだって彼に会いたい。

 遥のすぐそばまで行ったのに会えないまま帰って来たわたしの気持なんて、彼にわかるわけがない。

 携帯越しに声だけ聞いていても、ちっとも嬉しくなんかない。

 辛いのは遥だけではないのだ。


 遥とこんなに長い間会わないのは、これまでなかったような気がする。

 いや、実際初めての経験だ。

 バイトをしていれば遥のことは忘れていられるなんて強がりは、彼の声を聞くと同時にあっけなく崩れ去る。

 でも今は我慢だ。もう少しだけ待てば、遥が実家に帰れるよう牧田さんが取り計らってくれるはず。

 次に休みをもらえたなら、すぐにでも遥がこっちに帰って来るって、信じているから……。


 近いうちに必ずまた東京に行くからね……と当分実現する見込みのない口先だけの約束をして、怒り続ける遥をどうにかなだめて、電話を切った。

 でもそのとたんに、また遥に会いたくなる。

 どうして牧田さんに言われるがまま、帰ってきてしまったのだろうと自分の軽率な行動が情けない。

 帰ったフリをして、こっそりアパートに戻る方法もあったはずだ。

 まんまと牧田さんの戦略に乗せられてしまった自分が無性に腹立たしくなる。

 あるいは本田先輩に相談して、先輩の家で会うこともできたのではないかと、今更ながら後悔の念にさいなまれるのだ。


 結局遥は。

 その後もいつまでたっても帰省することはなく、時折り、山側から涼しい風が吹く季節へと、時を進めていった。


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