107.早く会いたい その1
『もしもし。柊? 』
「うん、わたしだよ。遥……だよね? 」
『あたりまえだろ? 俺だ』
思いのほかすぐに繋がった携帯から愛しい人の声が跳ね返ってきた。
いつもの遥だった。
「遥、今電話してても大丈夫なの? 」
『ああ、大丈夫だ。ただし、あまり長い時間はとれないけど』
「わかった。じゃあ、手短に話すね」
『そうしてくれ。まあ、柊の言いたいことなら、だいたいの予想はついている……。あのことだろ? 』
「うん……」
『で。何から説明すればいい? 』
「しぐれさんが記者会見で言ったこと。どういうことなのか、本当のことが知りたい……」
すぐにでも、あれはでたらめだと否定して欲しい。
『そう……だよな』
「ちょっとショックだった。まさかしぐれさんが、遥との関係をあんな風に言うなんて、とても信じられなくて。わたし、何も知らなかったから……」
ちょっとどころか、本当は意識が遠のきそうなほど強烈なショックを受けたのだけど。
わたし以上に傷ついているかもしれない遥のことを思うと、これ以上強くは言えない。
『そうだよな。俺も前もって知っていれば、そっちにすぐにでも連絡していたよ』
「うん……」
『俺があの事実を知らされたのは、今日の午後になってからなんだ。その後は常に事務所の人と行動を共にしていたから、柊に知らせることも出来ず……』
「そうだったんだ。でもどうしてあんな内容になってしまったの? 遥はその……。しぐれさんとは付き合ったりなんか」
『するわけないだろ? 俺には柊がいる。なのになんで別の女と付き合う必要がある? 』
「それはそうだけど……」
『しぐれさんとは、本田先輩を通して知り合った……というだけの関係だよ。友人という域にも達していないと思う。それは柊もよく知っているだろ? 』
「うん、知ってる……」
そんなこと、言われなくてもわかってる。
でも、どうしてテレビで報道されているようなことになっているのか、その理由を知りたいのだ。
『放送される前に記者会見の方向性を聞いた時、正直俺も驚いたよ。それはないだろうって……。その後、事務所の社長に説明を求めて噛み付いたんだが……。この先俺が仕事を続けていく上で、あの回答が一番いいと判断した結果だと言うんだ』
「遥の仕事にプラスになるの? あの報道内容が? 」
信じられない。
どう考えてもマイナス要因にしか思えない。
しぐれさんの男性ファンが黙っているはずもなく。
『ああ。そうらしい。俺にはさっぱり理解できないが、そういうこと……らしい』
「意味わかんない。ありえないし! 」
『ほんと、参ったよ。これからますます、大学にも通いにくくなるんじゃないかと心配になる』
「通いにくくなるどころか、大学に行けなくなってしまうって。学生に紛れて記者がいるかもしれないし、大学側からもクレームがつくかもしれないよ。どうするの? 事務所は責任取ってくれるの? 」
『柊、まあ落ち着け。今ここで話せないこともいろいろあるから、そのうち柊に直接会って詳しく言うつもりだ』
「わ、わかった。じゃあ、今度いつ会えるの? 近いうちにこっちに帰って来れるの? 」
『それなんだけど……。スケジュールもびっしりで、当分そっちに帰れそうにないんだ。悪いけど、柊がこっちにもどれないか? そっちのバイトの都合もあると思うけど。お願いだ。日帰りでもいいから、俺に顔をみせて欲しい』
「そんなあ……。一日くらい、休めないの? いくらなんでもひどすぎるよ。そんなんじゃ、身体がもたないって」
『体力ならある。心配するな。柊、頼む。なんとか都合をつけてくれないか? 』
「遥ったら……。わかった。わかったから。それしか方法がないのならそうする。わたしがそっちに行けばいいんだね。休みの日を調整してみる。それにバイト代ももうすぐ入るし、費用の心配はいらないから」
図書館のバイトは平均的な時給だけれど、塾の時給はその二倍近くになる。
最初提示された時はびっくりしたが、その分、責任も重い。
『あはは。何言ってるんだよ。柊ばかりに負担をかけさせるつもりはない。それくらいなら俺が持つから。何も心配せずにこっちにもどってくればいい』
「うん、わかった。そうする。遥、ありがとう。この後バイトの勤務予定表を見て、行けそうな日が決まったらメールするね」
『そうしてくれると助かるよ。頼んだぞ。なあ、柊……』
「何? 」
『早くおまえに会いたい。俺、もう限界だから』
遥の苦しみがひしひしと携帯越しに伝わってくる。
付き合ってもいない人と交際宣言されて、その理不尽さに相当参っているのだろう。
わたしも遥に会いたい。今すぐ遥の顔が見たい。
遥の匂いを感じながらその胸に顔を埋め、いつものように力いっぱい抱きしめられたい。
そして今度は、わたしが遥を抱きしめるのだ。
もう大丈夫だよと彼の背中を撫でながら、彼の不安な気持ごと全部包み込んであげたい。
「わたしだって会いたいよ。今すぐにでもそっちに行って、遥のそばにいたい」
『ひいらぎ……』
「はるか……」
『…………じゃあな』
「うん。じゃあ、また……」
『待ってる、から……』
遥の切羽詰った最後の声が、わたしの耳からずっと離れなかった。