104.遥の彼女は…… その2
当の本人たちはひそひそ話のつもりなのだろうけど、若いエネルギーに満ち溢れた彼女達のパワーは、大学生の比じゃない。
うるさいなあと顔をしかめる男子生徒の頭上を、彼女たちのけたたましい声が行き交う。
「ねえねえ、蔵城先生にこの話し、訊いてみない? 先生ならいろいろ知ってるんじゃないかな。だって先生、東京の大学に行ってるんだもん。芸能ニュースも詳しいかも。新しい情報ゲットしてるんじゃないかな。先生! 蔵城先生! ちょっといいですか? 」
三人組のひとりが手を上げてわたしを呼んだ。
次の授業までまだ十分ほど時間がある。
わたしは少しためらいながらも、彼女たちのそばに近寄って行った。
「あのさあ、先生。堂野遥って、この町の出身だよね。先生、カレのこと知ってる? 」
「あ……」
突然の直球に唖然とする。
小さくトクンと鳴った心臓を大急ぎで落ち着かせて、必要最小限の答えを用意した。
「し、知ってるよ。それがどうかした? 」
さりげなさを装えただろうか。
彼のことなど知らないと言ってとぼける選択肢もあったけど、彼女たちが目指している高校の先輩でもあるわたしは、ここで見え透いた嘘を吐くのは得策ではないと思ったのだ。
「先生すごい! やっぱり知ってるんだ。東京にいる人は情報通なんだね。さっすがーーー! 」
「そんな、情報通だなんて……」
「じゃあ、なんで? どうしてカレのこと知ってるの? 」
「えっ? あ、あのう。同級生だから。高校の……」
「うわあ。先生、やるじゃん! そっか、そうだよね。先生も堂野遥も西山第一高校出身だもんね」
「うん……」
「で、堂野遥ってどんな人だった? 昔っからあんな風にかっこよかった? 先生、教えて! 」
「さあ、どうだったかな……」
「きゃあーーっ! どうしよう。ねえ、先生、どうだった? 教えて、教えて」
「でも、わたしはあんまり……」
彼のことはよく知らないからとつぶやいても、興奮状態の彼女たちの耳に入るはずもなく。
「みんな、聞いた? 蔵城先生、堂野遥のこと知ってるんだって! ひゃーー! 先生お願い。あとで写メさせて。ね、ね? 友達にあたしの塾の先生、堂野遥の知り合いだよって自慢するんだ……」
遥の同級生というだけでわたしの写真を撮って、いったいどうするのだろう。
それを友達に見せて自慢するだなんて、びっくりだ。
わたしの写真に価値があるとはどうしても思えない。
今どきの女子中学生の考えていることは全くもって理解できないことばかりだ。
ああ。でもこうやって遥のファンがいるからこそ、モデルの仕事も成り立っていくのだろうか。
この子たちの応援があるからこそ、ファッション雑誌も買ってくれるわけだし、わたしの不用意な一言で遥のイメージを下げるわけにもいかない。
まるで悟りを開いた仙人にでもなった気持ちで、かわいい生徒たちを見ているわたしがいた。
「それで、そ、その。堂野君がどうかしたの? 」
わたしはさっきの彼女たちのコソコソ話がどうも気になって仕方ない。
怪しまれない程度に質問してみる。
「きゃーー。堂野君だって。先生、やっぱ本当にカレと同級生なんだ。いいな、いいな」
「あの、さっきあなたたちが話してたことだけど。あの、堂野君に、何かあった? 」
「ええっ? 先生、知らないの? ホントに? 」
「あ、いや。週刊誌のことなら、知ってるけど」
「だから、その週刊誌のことだってば。堂野遥ったら、正真正銘、雪見しぐれと付き合ってんだよ。塾に来る前、記者会見で言ってたしぃ。今後とも温かい目で見守ってくださいって雪見しぐれが言ってたよ。なんかさあ、恋する乙女のわりにあまり嬉しそうじゃなかったけど。でも、すっごくきれかった。美人だよね、雪見しぐれ」
「あ、あの。今、なんて? 雪見しぐれさんが、誰と付き合ってるって? 」
「やだなあ、先生。ちゃんと聞いててよ。週刊誌に書いてあるとおり。あのね、雪見しぐれの彼氏なの。堂野遥が! 」
わたしは目を見開いたまま、棒立ちになってしまった。
確かに遥が夕べの電話で、今日の夕方に記者会見があると伝えてくれていた。
でも週刊誌の内容を全面否定すると言っていたはずだ。
なのに、なのに……。
彼女たちは、全く正反対のことを言っている。
体が少し震えてきた。
喉もからからに渇いてくる。
次第に、頭の中が真っ白になり、周りの景色がセピアカラーに変わっていく。
そのあと、どうやって授業を進めたのか、何をしゃべったのか。
全く記憶に残らないほど動揺していたわたしは、終業時刻と同時に塾の入っている雑居ビルを飛び出した。
先生、どうしたの? なんでそんなに急いで帰っちゃうの? 写真撮らせてよー! と後方で生徒たちが叫ぶ声が聞こえる。
けれど今はそんな事に付き合っている場合ではないのだ。
一分でも一秒でも早く家に帰って、真実を確かめなくてはいけない。
彼女たちに、心の中でごめんねと手を合わせながら、わたしはひたすら家を目指して、街中を脱兎のごとく駆け抜けた。