102.わたしの遥
「ねえ、遥。正直に答えてほしいの。わたしに遠慮はいらないから。本当のことが知りたい。なぜあんなことになったのか、全部教えて欲しい! ねえ、遥。なんとか言ってよ」
包み隠さずすべてを語って欲しかった。
わたしは真実を知りたい一心で、深夜にもかかわらず叫びにも近い声を上げてしまったのだ。
『はあ? 柊、いったい何ムキになってるんだ? 正直も何も、今言ったことが、この件に関して俺の知り得るすべてだけど? それとも、俺の連絡が遅くなったこと、まだ怒ってるのか? 』
「そうじゃないけど……」
なかなか連絡が取れなかったことは辛かったけど、決して怒ってなどいない。
遥のそばにいないもどかしさから、見えてこない背景に不安が募るのだ。
遥の声はいつもどおりだった。何かを隠している様子は窺えない。
だとすれば、しぐれさんサイドが記事の差し止めを行わなかったことも、遥は納得しているのだろうか。
『あの写真、俺としぐれさんの二人しか写ってないけど、実は彼女のマネージャーもいたんだ』
「ええ? そ、そうなの? ならどうして、こんな記事になっちゃうの? 」
それは知らなかった。でもマネージャーの姿はどこにも見当たらなかったはずだ。
『マネージャーの携帯に電話がかかってきて、彼が店の外に出たんだ。その瞬間を狙って撮られたんだと思う。まるでずっと二人でいたかのように写ってただろ? 』
「うん……」
『うまいよな。見事な手口だ。まあ、今の技術だと、人の一人や二人くらい、消すことも増やすこともマウス一つでちょちょっと出来るだろうけど。なあ、柊。よく聞けよ。カメラマンも編集者も。実は全部わかった上でやってるんだ。その証拠に文のどこにも、二人っきりでいるとは書いてないだろ? 』
「えっ? そうだった? ちょっと待って」
わたしは立ち上がって部屋の灯りをつけ、机の上に置いてある週刊誌を手に取り布団の上にぺたんと座る。
そのページを広げ、遥の指示通り再び記事に目を通した。
確かにどこにも二人っきりでいるとは書いていない。
にこやかに微笑んで、リラックスした表情の二人……とある。
「ほんとだ。二人っきりだとは書いていない。でもなんでそんな誤解を与えるようなことばかり書くんだろ。何も知らずにこれを読んだ人は、二人は恋人同士だって絶対に思うよね。どうしてこんなことするのか、わたしにはさっぱりその理由がわからない」
『そりゃあ、売るためだろ? 今旬の女優のネタには、誰もが群がるからな。でも心配するな。こんなことはこの世界ではあたりまえのことらしいし、知名度アップにも繋がる。みんな持ちつ持たれつで、うまく共存してるってことだよ』
信じられない。
あれほどモデルになって世間に知られることを嫌がっていた遥の言葉とは、とても思えない。
『おい、柊、聞いてるのか? 』
「ちゃんと聞いてるよ」
『でも納得してない。そうだろ? 』
「そんなこと……ないけど」
『ったく、柊も親父さんに似て頑固だな』
「え? やだ。父さんになんか似てないってば」
『はははは! じゃあ、何度も言うけど。俺には柊という大切な人がいるのに、なんでわざわざしぐれさんと付き合う必要がある? 』
「それは……」
もちろん、付き合う必要はないし、遥からそんなそぶりすら感じたこともない。
だけど、遥と会えなくなって随分経つ。
その間に何か変化が起きていたとしても、わたしには気付きようがないのだから。
『しぐれさん、大河内のことがずっと気になってるみたいなんだ。あいつと会えるように段取りするなんてつい言っちまったけど、俺、あいつの連絡先といえば実家しか知らないし。だからってバイト先におしかけてまでってのも、めんどくせーしな。柊ちゃんは、どう思う? ここはしぐれさんのために、やっぱり一肌脱ぐべきなんだろうけど……』
彼にいつもの調子が戻ってきたようだ。
そんな時だけ、柊ちゃんなどとふざけたように名前を呼ぶ。
「どう思うって。そんなことわたしに訊かれても。でも、大河内君もしぐれさんのファンだし、しぐれさんが会いたがってるって言えば、嫌とは言わないと思うけど……」
『そうだな。ならやっぱり道をつけてやるべきなんだろうな。でも……。なんか気がのらねえ。あいつとは二度と関わりたくないってのが、俺の本心だ。かと言って、柊に大河内に連絡しろなんて口が裂けても言いたくないしな……』
「あ、あたりまえだよ。わたしはもう二度と遥の目の届かないところで、大河内君と連絡取ったりしないって決めたんだものっ! 」
わたしだって、大河内とはもう関わりたくないと思ってる。
彼はいい人には違いないけれど、わたしと遥には決して交じり合う相手ではないと嫌と言うほど思い知らされたのだから。
『あははは、そいつはいい心がけだ。柊も成長したな』
「当然でしょ。だって、遥が嫌がることは、この先絶対にやらないって決めたんだから」
『よし。じゃあ、その忠誠心に報いるためにも、俺がうまく立ち回らなければいけないな。あいつ、榎木山ホールでバイトしてるんだよな? 』
「うん。そうだよ」
『今度、時間を見つけて、そこに行ってみるよ。それであいつとしぐれさんがうまくいけば、俺の噂なんてあっと言う間に立ち消えになるさ』
「そっか。そうだよね。遥、いろいろ大変だけど、がんばってね」
そうだ。これ以上の証明はないだろう。
嗅覚のすぐれた記者は、すぐにもしぐれさんの変化に気付くはずだ。
『ああ。わかった。がんばってみるよ。それはそうと、そっちの状況はどうなんだ。マスコミが押しかけたんじゃないのか? 』
「わたしはバイト中だったから会ってないけど、リポーターを名乗る人たちがやって来たらしいよ。朝の情報番組で放送されるかもって、母さんが言ってた」
『やっぱりそうか。で、ばあちゃんやお袋たちは? 何か言ってなかったか? 』
「わたしが直接聞いたわけじゃないけど、遥が家に電話もしないから、おばちゃんが怒ってるって母さんが……。そうだ。今からでも、電話してみれば?」
『そのうち……な。あっ、それと、もうひとつ言っておくことがある。明日の午後、記者会見があるらしいんだ。俺は関係ないけど、しぐれさんサイドがなんらかの表明をするって聞いた。今のところ、記事の内容を全面否定の方向らしいけどな。じゃあ、また何かあったら連絡する。おやすみ』
「うん、おやすみって、遥っ! ねえ、はる……」
遥の返事は返ってこない。
自分の言いたいことだけを言って一方的に切られた感じもしないでもないけれど。
あの調子だと、当分家に電話する気もなさそうだ。
まあ、言い換えれば、わたしに中継ぎの役割をしろってことなのだろう。
明日朝一番に隣に行って、今の電話の内容を知らせてあげよう。
おじさんもおばさんも、そしてもちろんおばあちゃんも。少しは安心するだろうな。
その後すぐに送られてきたメールに記載されていた遥の新しいアドレスと電話番号を登録して携帯を閉じる。
両手の指を組んで前に伸ばし、ふうっと大きく肩で息をした。
灯りを消し、枕に顔を埋める。
遥のいない寝苦しい夏の夜。
彼が恋しくて、会いたくて、悲しくて。
わたしは、ひとり静かに声を押しとどめて……。泣きながら眠りについた。