Act.2 『Diva』
【某日 11:55 テスカ魔法学校中等科:3-1クラス教室】
「ここ、テストに出るからしっかり覚えておけよー」
3年間の時を過ごした学び舎に、先生の声が響き渡る。
今日の授業は事情により午前中で終わることを知っている生徒たちは、そんな担任の声を聞きながらもそわそわした様子で時計の針が進むのを今か今かと待っていた。
そしてイスカの背後から声を掛ける友人もまたそんな生徒の一人であるかのように、いつものようにくだらない話題で語りかけてくる。
「毎度思うんだけど、テスト範囲って伝えたらテストの意味なくね?」
「先生だって教え子に下手な点数取ってもらいたくもないだろ」
「そんなもんかね」
「いつだかエビ先が言ってたけど、先生たちにも通信簿ってあるみたいだぞ?」
「俺の給料のためにしっかり勉強しろよっていつだかに言ってたし」
「あー、そりゃ納得だわ」
机に突っ伏しながら、友人であるEzal Tallriderはけたけたと笑いながら答えた。
エザルもまた、アリシア同様にイスカとリアの共通の友人であり、幼馴染である。
特にエザルは男ということもあり、小さな頃からイスカと二人で村中で悪さをして回る、所謂悪戯仲間であった。
そしてその悪戯の制裁がアリシアの頬抓りであり、その光景をリアが苦笑いをしながら眺めるというのが、この四人の関係の日常風景である。
ちなみに入学当初、エザルがお腹が痛いとトイレへと駆け込んだ際に尻を拭くためのスクロールが切れており、それを知らされたイスカがトイレの隣にある校長室に掲げられていた校長直筆の訓示が書かれたスクロールを千切って持っていったのは、二人だけの秘密である。
そんな昔のことをふと思い返していたイスカであったが、不意に校舎内に響き渡る大きな鐘の音に意識を引き戻された。
「おっ、終わったか。かー、腹減った」
「お前最後のほうまで殆ど寝てたじゃねえか」
「朝飯食べる時間がなくてね」
「なんだ、また彫ってたのか」
「そそ、もう少しで完成だから一気にやりたくなっちゃうのよ」
そう言って椅子から立ち上がるエザルからは、確かに仄かな木材の香りがした。
持ち前の手先の器用さで作り上げられるエザルの木彫りの作品はどれも素晴らしい出来ではあるが、彼の才能が活かされるのは実は掌に収まるような小物の類に留まる。
そしてその反面、何故か製作をするに当たっておよそ設計図と呼ばれる類の物を用意しないのだ。
『どうやって作ってるのか?そんなもん感覚よ、感覚』
とはエザルの言だが、それが一般的に天才肌と呼ばれるものであるということに本人は全く気がついていない。
ただ本格的な彫刻師になるという将来を考えたとき、このままでは駄目だと自分でも悟ったのか、最近は一足早く一人前として認められたアリシアの兄、マルクの元で日々修行をしている。
マルクも直感だけで作られるエザルの作品には興味があるらしく、互いが互いに刺激し合えるいい関係になっているというのが、近くで様子を見ているアリシアの見解である。
すると一頻り談笑していた生徒たちが少しずつ教室の外へと足を向けている中、教室を出て行く生徒達の流れに逆らうように、アリシアとリアが鞄をもってイスカたちの前にやってきた。
「二人ともー帰るわよー」
「お兄ちゃん、エザルさん、帰ろ?」
「んー!おし、帰るか」
「シア、今日は昼飯食ってから集合でいいのか?」
一緒に帰ろうと誘うシアに、イスカは確かめるように尋ねた。
「お、忘れてなかったのね、関心関心」
「お兄ちゃんは今日シア姉のところで種蒔き?」
「そう、随分前に約束したから忘れてるかと思ったんだけど」
「毎年やってんだから言われなくても覚えてるよ」
そう言いながら、イスカは机の横に下げてあった鞄を手に取り椅子から立ち上がった。
これからブライト家の畑では、年に二度の種蒔きが行われる。
村長を務めるブライト家の畑ともなればその大きさは村でも一際大きいため、毎年種蒔きの時期になると村の有志が集まりこうして総出で手伝いをするのだ。
「エザルは今日も修行?」
「あぁ、ちょうど俺も昼からだな。」
「おーそうだ、今椅子作ってるからよ、シアが座っても壊れないかどうか試してくれよ」
「・・・いい度胸してるわねエザル」
「こらっ!逃げるな!」
カカカと笑いながら教室の外へと逃げていくエザルの後を、鞄を振り回しながら追いかけて出て行くアリシアを見て、イスカとリアは互いに笑いあった。
「今日はリアも教会でハーヴェスタに向けて練習だろ?」
「うん、それとシスターたちのお手伝いかな」
「成人の儀が近いから、練習で怪我をしてくる人も多いし、私も頑張らないと!」
手をぐっと握り締めやる気を顕わにするリアの頭に手を置いたイスカは、ぼそっと申し訳なさそうに口を開いた。
「出来損ないのお兄ちゃんでごめんな」
「そんなことないよ。私のそばに居続けてくれるのは、お兄ちゃんだけだもん」
「お母さんも、お父さんも出来なかったことを、お兄ちゃんはしてくれてるんだから」
「・・・ありがとう」
妹の優しい言葉が、ゆっくりとイスカの心の中に染み入っていった。
「帰ろうか」
「うん!」
先ほどまで騒がしかった教室には既に二人以外の姿はなく、外からは生徒たちが遊ぶ元気な声が聞こえてきていた。
どちらからともなく差し出した手を互いに取り合い、二人は教室を後にした。
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【同日 12:30 テスカ魔法学校中等科:応接室】
「お久しぶりですね、エビル。お変わりなさそうでなによりです」
「そういうお前も、ふらっと現れてふらって消えるのは相変わらずだな」
「あら、今回は事前にお伝えしていたではないですか」
「久々に長い休暇が取れたので、お仕事ついでにそちらに伺います、と」
「・・・まぁな」
校舎一階にある応接室の窓から見える、元気良く走り回る子供たちを眺めながら、Evil Magnicaは既知の来訪者と言葉を交わした。
「それで、魔法省の主席研究員殿はどういったご用件でこんな辺境の地まで?」
ポケットに無造作に突っ込んでいたタバコを取り出し口に咥えると、エビルは右手の指先から小さな炎を灯し、静かにタバコに火をつけた。
魔法省の人間であることを示す白と紺のローブを身に纏い、身の丈と同じほどの杖をもった女性は、エビルの言葉を聞くと目深に被っていたフードを脱ぎ、杖を椅子の脇へとたてかけながら話し掛けた。
「他人行儀は悲しいですよ?エビル『先生』?」
「・・・悪かった、頼むから先生は止めてくれ」
「Ireneの口から聞くと背中が痒くなる」
「ふふ、意地悪をした報いですよ」
そういうと、Irene Cryfallはにこにこと笑いながら、ばつが悪そうに頭を掻くエビルを見つめた。
そして自分は心底イレーネが苦手であったことを思い出さされたエビルは、早速と本題を聞き出すためにイレーネへと口を開いた。
「それで、今回はどういう用件だ?」
「まさかお前が本当に休暇を有意義に過ごすために来たとは俺も考えてはいないんだが」
「あら、失礼ですね。私だって日がな一日を過ごすこともありますよ」
「ただ、今回ばかりはエビルの言うとおり、目的があってきました」
定期的にエビルの口から吐き出される白い煙を見つめながら、イレーネは淡々と今回の来訪の目的を説明した。
「エビルの受け持ちのクラスに、リア・ローウェルという女子生徒がいますよね?」
「ん、リアは確かに俺のクラスの生徒だが・・・。あいつがどうかしたか?」
「実は、彼女をライザル王立第一魔法学園高等科に推薦したのです」
「・・・なるほど」
イレーネの申し出を静かに聞いていたエビルは、残りが少なくなったタバコを灰皿へと置き、二本目に火を着けて口を開いた。
「あいつの『Diva』としての能力か?」
「えぇ、去年の奉納の儀の彼女の歌声に一目惚れをしまして」
「それを抜きにしても、ディーヴァはとても稀有な存在ですから」
そういうと、イレーネはいつもの落ち着いた声色を崩さずに説明を始めた。
自らの体内に宿る「魔力」を用いて発現させる魔法は様々な種類があるが、その中でもディーヴァと呼ばれる、自らの声に魔力を乗せて歌うことが出来る能力は、数ある魔法体系の中でも最も古く、尊いものとして語られている。
その理由は、このアズガルドと呼ばれるようになった世界が生まれるきっかけとなった、女神Thusaliaと魔王Nethalianの長きに渡る戦いに端を発する。
「女神はその美しい歌声をもって、魔王を打ち倒した」
「そして女神の子孫である俺たちには、時折その力が強く宿る時がある」
「流石、先生ともあって歴史は得意のようですね」
「馬鹿言え、この程度初等科の生徒でも知ってる話だ」
「・・・もしかしたらあいつは知らないかもしれないが・・・」
そういうと、エビルはイスカの顔を思い浮かべながら苦笑いを浮かべた。
「リアさんには、そのディーヴァの力を正しく成長させて欲しいのですよ」
「エビルから、彼女にその旨を伝えてはいただけないでしょうか」
少し真剣な表情を浮かべながらお願いをするイレーネであったが、エビルはその願いに対する答えをすぐさま用意することが出来た。
「いや、実はな、俺からももう何度もお願いはしてるんだよ」
「あら、そうなのですか?ということはやはり・・・」
「あぁ、断られ続けてる」
やれやれといった素振りを見せながら三本目のタバコに手を伸ばそうとしたが、既に中身が空となった箱が視界に入り、エビルは小さく舌打ちすると視線をイレーネへと戻した。
「理由はきいても?」
「この村のことが好きだから、としか言わねぇな」
「俺も折角の才能なんだから、こんな片田舎の中に埋もれさせたままにはしたくないんだが、本人の意思を曲げてまで押し通していいとも思えなくてな・・・」
「貴方らしい優しさですね」
「・・・臆病なだけだよ」
いつもの優しい表情を浮かべながら語りかけるイレーネの視線に耐えかねたエビルは、さてと一息つきながら座っていた椅子から立ち上がり、イレーネに声を掛けた。
「そういうわけだ、悪いが俺から言ってもあいつは答えを変えないよ」
「そのようですね・・・」
「わかりました、私も諦めるとします」
残念そうな表情を見せながら椅子から立ち上がったイレーネより先に、エビルは部屋の扉を開けて外へと出て行く。
「まだ暫くこっちにいるんだろ?」
「えぇ、目的の一つは失敗に終わりましたが、観光というもう一つの目的がありますから」
「流石に観光までは失敗しないでしょう?」
「だといいがな。宿まで送ろう」
「ありがとうございます。相変わらず優しいですね」
「・・・やっぱ一人で帰れ」
からかう様ににこにこと笑顔を浮かべて自分の横を歩くイレーネの表情を見て、やっぱり自分はこいつが苦手だと、エビルは苦笑いを浮かべながらイレーネの泊まる宿へと歩を向けたのだった。