Act.16 『出会い』
【同日 12:35 王都ラグニル:海竜の牙亭】
「な・・・なんで宿屋?」
そんな反応を予想していたのか、イレーネは一層その笑みを強めるとイスカに言葉を返した。
「あら、もう予定を忘れてしまったのですか?」
「王都に着いたら昼食を取ると以前お伝えしていたはずですが」
「あ、あぁ、昼食ってここで食べるのか」
「いや、イレーネのことだからちゃんとした食堂にでも行くのかと思ってたよ」
あまりお酒を飲まなそうなイメージのイレーネが、まさかこんな場所を知っていたとはと一時は驚くイスカであったが、続くイレーネの言葉を聞くとそんな瑣末なことなどどうでも良くなっていた。
「友人に以前連れてこられた時に料理が美味しかったので、また来てみたかったのですよ」
「特にバーラム関係の料理がオスス」
「よし入ろう、今すぐ入ろう」
「あら?」
「あ、お兄ちゃん待ってよ!」
イレーネの口から聞こえた大好物の名を聞き漏らさなかったイスカは、話も途中にスイングドアを通り抜けていった。
酒場と宿屋を兼ねた店内はお昼時ともあって既に活気に満ちており、右手に見えた階段の上には宿泊用の部屋の扉がいくつか見えていた。
その階段のすぐ脇にある10席程のカウンター席は2席程を残して埋まっており、それ以外のテーブル席に至っては既に座るところが無いほどの盛況振りを見せていた。
そんな光景に圧倒されるかのようにぼーっと眺めていたイスカであったが、嗅覚を刺激する香ばしい匂いに意識を引き戻されると、近くで給仕をしていた女性の背中に声を掛けた。
「あの、三人なんですけど、空きはありますか?」
「あ!はーい!少々お待ちくださいね!」
「はい!三名様ですか?」
しかし両手に大量の皿やカップを器用に載せたまま話す少女を見たイスカは、一瞬その姿に見惚れてしまっていた。
長い茶色の髪を一括りに結わき、可愛らしい給仕服に身を包んだその姿は、どこか故郷にいる幼馴染を連想させた。
「・・・お客様?」
「あぁ、うん。三人だけど、空きはあるかな?」
「ちょ~っと待ってくださいね~・・・」
「あっ!今ちょうど空きが出来ましたよ!ご案内しますね」
そういいながら、両手に乗せた食器類をカチャカチャと音を立てながら歩く姿の後を追い、やがてその動きが止まった先にあるテーブルへとイスカは腰を下ろした。
「はい、こちらがメニューですね」
「今お水をお持ちしますので少々お待ちを~」
そう言いながら慌しくカウンターの奥へと戻っていく少女を目で追っていたが、店内に入ってすぐのところでキョロキョロと辺りを見回しているリアとイレーネの姿を見つけ、イスカは手を上げて自らの所在を伝えた。
「もー、お兄ちゃん勝手に一人で行かないでよー」
「ん?あぁ、ごめんごめん」
「イスカはバーラムが好きなのですか?」
「大っ好物ですよ」
「それこそ出したら出した分全部食べちゃうくらいに・・・」
「俺は何も悪くない」
「バーラムが美味し過ぎるのが悪いんだ」
分けの分からない持論を展開するイスカを微笑ましそうに見つめるイレーネ。
すると程なくしてカウンターの奥へと戻っていった少女がお盆に水の入ったカップを乗せ、イスカたちの下へとやってきた。
「は~い、どうぞ~」
「・・・ってあれ?イレーネさんじゃない!」
「どうしたの?お仕事で暫く戻らないって聞いてたけど」
親しげに話しかける少女に驚いたイスカであったが、イレーネもそんな少女を見ると少し驚いた様子を見せながら言葉を返した。
「あら、Seraではないですか」
「仕事は無事に終わって、今さっき帰ってきたところなのですよ」
「今日は奉仕日ですか?」
セラと呼ばれた少女は腰に手をあて、持っていたお盆でぱたぱたと自分に風を送りながら、イレーネに答えた。
「いや、実は急に友達が風邪で休んで、マスターから来い!って言われちゃって」
「まぁあたしも入学式典に出ないと行けないから、もうそろそろ上がりなんだけどね」
「あら、それは災難でしたね」
そして少しだけ居心地が悪くなったイスカは、思わず自分から会話の間に割って入っていった。
「知り合いなのか?」
「えぇ、以前ちょっとしたきっかけで知り合いました」
「あ、お客さんがイレーネさんと一緒に居るって事はもしかして?」
「えぇ、この二人が今回の『ゴールド』ですよ」
イレーネから口から聞き覚えのない言葉が出たことが気になったイスカであったが、興味津々といった表情を向けるセラが先に声を掛けてきた。
「おー!!へぇ~この二人がそうなんだ~」
値踏みするような目でイスカとリアを眺めていたセラと呼ばれた少女は、その後すぐにはっとした表情を浮かべるとすぐに右手に持っていたメモ用のスクロールを胸の前までもって行き口を開いた。
「って、先に注文を聞いちゃうわね」
「さて、何にしましょうか?」
突然の問いかけに一瞬イスカの思考は遅れたが、手渡されたメニューをすぐに開くと、端からずらっと並ぶ豊富な料理名の文字を目で追っていった。
しかし文字を読んでいるだけでもどれもおいしそうなことが分かってしまい、自分の判断で決めかねたイスカはセラに向かって声を掛けた。
「オススメはなんなのかな」
「全部美味しい!って言いたい所だけど、それじゃ意味がないわよね」
「あたしなんかはこの『バーラムの香草焼き』がオススメかなぁ」
「この前ハーヴェスタが終わってバーラムが解禁になったから、質が良いのが入ってるし」
「皮はパリっと、中はふんわりとしててすっごく美味しいよ」
セラから聞かされるイメージだけで、既にイスカの口の中は大洪水となっていた。
「お~、美味そうじゃん!」
「決めた!俺はそれにするぞ!」
「あ、私もそれがいいです!」
「では、私も同じものを頂けますか」
「は~い、バーラムの香草焼き三つですね~」
「それじゃ、暫くおまちください~」
そう言い残すと、セラは慣れた足取りで所狭しと並ぶ客席の間をするするとすり抜けて再びカウンターの奥へと姿を消した。
「セラさん?とは知り合いなんですか?」
「えぇ、去年学園関係の行事でお会いした際に知り合いまして」
「彼女も貴方達と同じ、王立第一の学園生ですよ」
「え、そうなのか?」
まさか入学前に学園生に出会えるとは思っていなかったイスカは、思わず考えていたことをそのまま口にした。
「ってことは、セラもやっぱりエリートなのか?」
「そうですね」
「彼女は凄腕の魔法銃使い、『Gunner』なのですよ」
「昨年に開催されたガンナーの腕を競う大会でも、年上の選手を差置いて一位になっていましたね」
「えっ!?す、すごいですね・・・」
「やっぱ、化け物か・・・」
魔法銃とは、小さく加工された魔法石を高速で打ち出すことで相手に打撃を与えるマジックアイテムだ。
嘗て繁栄を極めた魔工帝国ダーマが生み出した魔法兵器の内の一つであったが、ダーマの敗戦後は世界中にその技術が広まり、現在は殺傷能力が抑えられた模造銃のみが一般に出回っており、その使用も競技用や一部の場面に制限されている。
事前に聞いていたこととはいえ、改めて実際のエリートというもの目の当たりにしたイスカは、少し前に大好物の名を聞いただけではしゃいでいた自分が恥ずかしくなってしまっていた。
すると背後から自分へ影がかかるのに気が付いた瞬間、そのまま声が聞こえてきた。
「だ~れが化け物ですって~?」
「ゲッ!?い、いや、なんでもござりませぬ?」
咄嗟のことに変な言葉遣いになっていたイスカであったが、セラはそんなイスカをニヤニヤと不敵な笑みを浮かべながら見つめ、両手の乗せていた皿を一枚イスカの前へと置いた。
「ん~?ま、いいけどね~」
「それより、はい!おまっちドン!」
「ご注文のバーラムの香草焼き、おまちどうさま~」
「うわぁ!美味しそうですね!」
「うお!?めっちゃ美味しそうじゃん!」
「美味しそうじゃなくて実際に美味しいのよ」
「どうぞ、召し上がれ」
セラの声に、待てを言いつけられていた犬のようにイスカはフォークとナイフを手に取ると、キラキラと光る皮にフォークをつき立て、慣れた手つきでナイフで一口大に切ると思い切り口へと放り込んだ。
「あぁもう!お兄ちゃんいただきますが先だよ!」
「うめぇ!何だこれ!?すんげぇ美味しいぞ!?」
「ほら、リアも食ってみろよ」
自分の言葉も聞かずに尚も口へ肉を運び続ける兄の姿が恥ずかしくなってきたリアであったが、美味しそうに食べるイスカの姿を見て、いただきますと一言呟き小さく切った肉を口へと運んだ。
「ほんとだ!え!?凄い美味しい・・・」
「えぇ、本当ですね」
「私も香草焼きは初めて食べましたが、これはちょっとクセになりそうです」
「ただ少し私には量が多いかもしれません」
「大丈夫大丈夫!残ったら俺が食うから!」
「この味は・・・あむ・・・Cram草?」
「あとは・・・、ん~、なんだろう・・・」
「それじゃ、ごゆっくり~」
各々がそれぞれの観想を口にする中、料理を運び終えたセラは再び慌しく店内を走り回った。
既にフォークとナイフを使わずにしゃぶりつくような形で食べていたイスカの口と手はテカテカに光り輝き、その後10分も立たないうちに皿の上には骨が一本しか残っていなかった。
「ふぅ・・・食った食った」
「美味しかったね!」
「結局何の香草使ってたのか分からなかったのが残念だなぁ」
「えぇ、私も結局全部食べてしまいました」
事前に残してしまいそうだと心配していたイレーネも、あまりの美味しさについつい手が止まらなくなったのか、イスカやリアと同様に皿の上には白い骨が一本、食べ残しも無い綺麗な状態で置かれていた。
すると再びカウンターの奥からセラが姿を見せ、ジュースが入ったカップを手にしながらイスカたちのテーブルの空いた席へと腰を下ろした。
「ふぅ~、やっと開放されたわぁ~」
「ここ、座ってもいいかな?」
「お、勿論」
「ご馳走様。ありがとう、凄い美味しかったよ」
「うん!すっごい美味しかったです!」
「お粗末様、っていっても私が作ったわけじゃないけどね」
「いや、それでも薦めてくれなかったら出会えなかった味だし、やっぱりありがとうだよ」
「そう?それじゃ、ありがたく頂いておくわね」
笑顔を浮かべながらイスカたちの言葉を受け取ったセラは、はっと何かを思いついた表情を浮かべると席を立ち上がって口を開いた。
「自己紹介がまだだったよね」
「あたしはSera Ravenclaw、王立第一の1年・・・じゃなかった、今日から2年生よ」
「気軽にセラって呼んでね」
しかしセラの自己紹介を聞いてイスカとリアは驚いた表情で互いに顔を見合わせると、自分の勘違いを確認するかのように質問をした。
「あ・・・え、あれ?2年生?」
「せ、先輩?」
「そうよ~。あれ、もしかして同じ新入生だと思った?」
「あ、あぁ、さっき自分も入学式典に出ないとっていってたからつい・・・」
「あー、なるほど。それで勘違いしてたのかぁ」
「あれはあたしが入学するんじゃ無くて、先生に頼まれて式典のお手伝いに行くってだけよ」
説明しながら手をひらひらと振るセラの表情はどこか楽しげに見えていたが、同時に促すような視線を感じたイスカは自分も遅れて自己紹介を始めた。
「改めまして、イスカ・ローウェルです」
「イレーネに推薦してもらって、今日これから王立第一に入学します」
「これからよろしくお願いします、セラ先輩」
「妹のリア・ローウェルです」
「兄共々よろしくお願いします!先輩!」
「いや、先輩はなんか恥ずかしいから止めて!」
「普通にセラって呼び捨てでいいわよ、口調もさっきまでと同じでおっけー!」
「その代わり、イスカとリアちゃんって呼ばせて?」
「ん・・・分かったよ、セラ」
「ええと、じゃあ・・・セラさん?」
「それでよし!」
「うおっ!?」「わわっ!?」
イスカとリアに名前を呼ばれたセラは、二つの手で二人の頭をがしがしと乱暴に撫で始めた。
すると先に会計を済ませに席を立っていたイレーネが戻り、そんな三人の様子を微笑ましそうに眺めながら声を掛けた。
「そろそろ式典も近いですし、学園エリアへ向かいましょうか」
「あら、もうそんな時間?」
「じゃああたしも着替えて向かおうかな」
「わかった」
「セラ、これから学園でもよろしく頼むよ」
「私も、よろしくお願いします!」
「おし!よろしく頼まれました!」
差し出される二つの手にしっかりと握手をし返すと、セラは給仕服のスカートを翻しながら軽やかな足取りで店の裏へと消えていった。
「それでは向かいましょうか」
「あぁ、ご馳走様イレーネ」
「ご馳走様でした!」
「いえいえ、また一緒に食べに来ましょうね」
店から少しはなれた場所に止まっていた馬車に再び乗り込むと、馬車は再びゆっくりと動き出し、目的地である学園エリアへと向かい始めた。
一息に食べきり食欲を満たしたイスカは、馬車の振動と石畳を踏む蹄鉄の音が奏でる子守唄を聞き、それにつられるようにしてやってくる睡魔に抗うよう視界に映るもの全ての文字を頭の中で読み上げていた。
その後10分程走ったところで再び馬車が止まった時には、既にあれだけ乱立していた店舗の風景は無くなり、その代わりに遠くまで続く長い壁が見えていた。
「二人とも、着きましたよ」
イレーネの言葉に馬車の中から眺めた風景は、手前には王都に入った時にくぐった検問所のような施設があり、奥には様々な形をした建物がずらっと建ち並んでいた。
「うわぁ・・・」
「お、大きいね・・・」
「ふふ」
馬車から降り、あんぐりと口を開けたまま目の前の光景に驚く二人に、イレーネは思わず笑い出してしまった。
そんな二人の変わりに荷物を馬車から降ろしたイレーネは、二人の背中をぽんと叩くと優しく声を掛けた。
「ここが学園エリアです」
「魔法に、勉強に、遊びが一杯詰まった、貴方達の新しい世界ですよ」
「ここが・・・」
「ど、どうしよう!皆の前で歌うのより緊張するよ・・・」
目の前に広がる未知の世界を前にイスカの胸は破裂しそうなほどに高鳴っていたが、それは同時にとても心地よい痛みも伴っていた。
そして改めて気合を入れなおしたイスカとリアは後ろで静かに待っていたイレーネに振り返ると、真っ直ぐ手を差し出して言葉を掛けた。
「ここまでありがとうイレーネ」
「初めてあってから凄い長かった気がするけど、なんとかここまでたどり着けたよ」
「俺たちも頑張って勉強するから、これからもよろしく頼むよ」
「イレーネさん!ありがとうございました!」
「ディーヴァとしての力、ちゃんと磨いてきますね!」
「あなた達にとって、まだここはスタートラインです」
「いつも前向きなお二人なら大丈夫だと信じていますよ」
「それでは、いってらっしゃい」
イレーネの言葉に、イスカとリアは二人で手を繋ぎながら歩き始めた。
しかしその時再び自分達を呼び溜める声が聞こえ、二人は手を離して踵を返した。
「すみません、これをお渡しするのを忘れていました」
「通信用の魔法石、展延石です」
「魔力に反応して声を相手に送ることが出来る特別な魔法石です」
「お二人には私と同じ展延石をお渡ししておきますので、何かありましたらこれでご連絡を」
そういって手渡された魔法石は綺麗な山吹色をしており、手にすっぽりと収まるぐらいの大きさをしていた。
「わかった、ありがとうイレーネ」
「今日寮に入ったら寝る前に連絡しますね!」
「はい、楽しみに待っていますね」
「それではお引止めして申し訳ありませんでした」
「改めて、いってらっしゃい」
そういってイレーネは馬車へと乗り込み、御者に一声掛けてゆっくりとイスカたちの前から去っていった。
段々小さくなっていく馬車の姿を見て途端に心細くなってきたイスカであったが、自分の手を強く握ってくるリアの表情を見て、もう片方の手でパチンと頬を叩いたイスカはリアに向かって声を掛けた。
「おし!それじゃあ行くとしますか!」
「うん!」
「あっ!入学手続きはあっちだって!」
「うおっ!?ちょっとリア、引っ張るなって!」
小さな体でぐいぐいと自分をひっぱるリアの後姿を見て、イスカはそっと笑みを浮かべながら自分もリアの隣に並び直し、同じ歩幅で歩き始めるのだった。