Act.15 『王都到着』
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頬を伝う雫の感触に気が付き、イスカはゆっくりと目を開けてその身を起こした。
数秒間隔で天井から落ち続ける水滴が今でも頭の上に当たり、それが気になったイスカはとりあえずとその身を動かした。
しかしそれと同時に自分が今居るこの場所に見覚えが無いことにも気が付き、誰かを呼ぼうと発した声もその音は響かず、自分の声は愚か他の音すら全く聞こえてはこなかった。
自室と同じ程度の広さの部屋は全て石壁になっており、目の前には鉄製の扉が一つだけ設置され、その扉の上の方には小さな格子が付いていた。
天井から吊るされた灯明石がついては消えを繰り返し、殺風景な部屋の様子はまるで罪人を閉じ込めておく牢屋のように思えた。
すると突然、音の無かった世界に僅かに水が流れるような、さーっという音が聞こえた途端、自分の体が急激に水分を欲していることに気がつき、その音の出所を必死に探した。
やがて部屋の隅、扉とは反対側の壁の真下に、ちょうど部屋を横切る形に溝が掘られていることに気がついた。
そして恐る恐る溝へと近づくとそこには待望の透き通った水が、僅かに空いた隣の壁の穴から溝の中を通して流れているのを発見し、あまりの喉の渇きに我慢が出来ずにその水を両手で掬うと一気に喉へと流し込んだ。
満たされていく快楽を瞳を閉じて享受していたイスカであったが、ふと喉に絡みつくような感覚を覚え瞳を開くと、目の前にはとんでもない光景が広がっていた。
先ほどまで何も無い殺風景だった部屋は一面真っ赤に染め上げられ、目の前に流れる水だと思っていたものも同様に赤く染まり、それを掬い上げていた手も全て真っ赤になっていた。
そして鼻の奥を突き抜けるような強烈な匂いで、この赤色の正体が血であると分かった瞬間、あれだけ出そうとしても出なかった声が、いとも簡単にイスカの口から飛び出した。
「うっ!?うわぁぁぁぁ!!!???」
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【同日 11:32 王都ラグニル北部:Felsnod街道】
「うわぁぁぁ!?」
「っ!どうしました?」
「うわっ!?お、お兄ちゃん!?」
「はぁ、はぁ、・・・はぁ・・・」
「え?・・・はれ?ここは・・・」
思い切り飛び上がるように意識を覚醒させたイスカは、その勢いで膝にかけていたアリシアからのプレゼントを足元に落としてしまった。
「お兄ちゃん大丈夫?凄い汗だよ?」
「え?うわ、本当だ」
リアに指摘をされ、イスカは改めて自分の肌に吸い付く衣服の感覚を感じた。
「怖い夢でも見ましたか?」
「ん、あぁ、そんなところ、かな・・・」
先ほど見た強烈な光景が今も頭の隅に残っていたが、頭を振り冷静さを取り戻しつつあるイスカには自分が乗っている馬車がその動きを止めていることの方が気になり、自分の額の汗を拭いてくれているリアに向かって声を掛けた。
「それより、どうして馬車が止まってるんだ?」
「もう王都の前まで来たんだよ?」
「今は検問所を通るための順番待ちなんだって」
「恐らく後20分ほどで私たちの番になるでしょう」
「検問所?」
聞きなれない言葉に聞き返すイスカに、イレーネはちょうどいい暇つぶしと、イスカに向かって説明を始めた。
世界でも有数な都市である魔法都市国家ライザルの王都ラグニルは、その広大な領地を全て取り囲むように、巨大な城壁が築かれている。
そしてその城壁の北、東、南には検問所が用意されており、ラグニルへの出入りはこの三箇所の検問所のいずれかからしか行うことが出来ない。
更に検問所には通行を監視する検問兵士、Gatekeeperが各二名ずつ配置され、同時に彼らによって国内へ持ち込まれる犯罪と、国外へ持ち出される犯罪を未然に防いでいる。
「でも、どうして西側には検問所がないんですか?」
「北、東、南と来て西だけがないのは、ちょっとバランスがおかしいと思うんですけど」
「利便性の問題ですよ」
「単純に西側に検問所を設置しても、利用する者がいないのです」
王都ラグニルの西側には隣国である嘗ての大国で、今はライザルの属国となった魔工帝国Darmaと国境を分けるように、Megina Fallという大きな亀裂が大地に走っている。
メジナフォールはその巨大な亀裂から往来用の橋を掛けることも叶わず、その利便性の悪さから誰も利用はしないだろうと、唯一西側にだけ検問所が設置されていないのだ。
「後は王都の西側の殆どは学園エリアが占めていますので、どの道検問所を設置したところで意味が無いのですよ」
「誰も使わないからこそ、西側に学園エリアを設置したとも言えますが」
ラグニルの中には、特定の同系統の施設が集合している「特別エリア」と呼ばれるエリアがいくつか設定されており、国から発行される特別なPassを所持していないとそのエリアへの立入りは禁止されている。
特別エリアには、教育施設やそれをサポートするための各種店舗が集まる『学園エリア』、王城や各種省庁、神殿騎士団の本拠地である大神殿を有する『王政エリア』、魔法研究所を始めとする各種研究機関が集まる『研究エリア』の全部で三つのエリアがあり、通常エリアと特別エリアの間にもまた、検問所が設置されている。
パスもまたエリア毎に種類が存在し、検問所で通行監視をされる他、パスに埋め込まれた特殊な魔法石と、王政エリアにある国勢調査局に設置された三つの巨大な魔法石との相互反応で、不正侵入を感知することができる。
また王都に居住権を持たない観光客や行商人などの一時滞在者に対してはGuest Passが発行され、王都から出る際には必ずこのゲストパスをゲートキーパーに渡してからでないと外出が許可されない。
「随分と面倒な制度があるんだな」
「これだけやってたらこんな所で犯罪なんて起こす気にならないだろ」
「確かに防犯という名目も大きいのですが、特別エリアに設定されている区画は国が最も重要視している分野でもありますので、それに従事する人々を守り、支えるのがこの特別エリアの大きな目的ですね」
「お陰で王都は他国の都市に比べて犯罪率も低いんですよね?」
「良くご存知ですね」
「逆に特別エリアを設置するまでのラグニルの犯罪率はダントツでした」
「今でも僅かにスラムはありますが、それでも他国の都市に比べれば圧倒的に少ないです」
「特別エリアだけに目を向ければ、過去十年は一切犯罪は起きていませんよ」
すると少しずつ進む馬車から見える景色が、途端に影に覆われたことに気が付いたイスカは、視線をイレーネから外して外の風景を視界に入れた。
そして少し離れた場所に立っていた快活そうな青年が小走りにこちらへ走ってくるのが見え、イスカは少しだけ居住まいを正した。
「はい!止まってください!」
「パスはお持ちでしょうか?」
先ほどイレーネから聞かされたパスという単語を聞いたイスカはぴくりと反応したが、それよりも先にイレーネが青年に向かって親しげに声を掛けた。
「こんにちはKorcs、一ヶ月ぶりですね」
「あ、イレーネさんじゃないですか!」
「お疲れ様です!お仕事はもう終わったんですか?」
「えぇ、無事に終えることが出来ましたよ」
「ということは、こちらのお二人が?」
会話の流れで自分のことだと分かったイスカとリアは、コークスと呼ばれた青年に向かって挨拶をした。
「イスカ・ローウェルです」
「妹のリア・ローウェルです!始めまして、コークスさん!」
「これは、ご丁寧にどうも!」
「私はKorcs Lightwellです!」
二人の自己紹介にあわせてビシッと敬礼をして答えるコークスは、一目見た時に感じたイメージにぴったりの好青年であった。
するとそんな様子を見ていたイレーネが、コークスに向かって声を掛けた。
「コークス、私の名前でゲストパスを二部発行していただけますか?」
「返却先は学園エリアの検問所になります」
「あ、そうですね!すみません、すぐに用意します!」
イレーネにお願いをされたコークスは再び敬礼をしなおすと、少し離れた場所に設置された小部屋の中に入ると、手に二枚のパスを持って走りながら戻ってきた。
「どうぞお二人とも、ゲストパスです」
「えっと、これはどこで使えばいいのかな」
「お二人は本日ご入学予定ですよね?」
「でしたら学園エリアの検問所前に、入学手続き会場が用意されていると思います」
「そこで各種資料と、学生証が手渡されますので、そこでゲストパスと交換してください」
「今後は学生証が、学園エリアへのパスの役割を果たします」
「分かりました、ありがとうございます、コークスさん」
「コークスで結構ですよ」
「それでは!ようこそ、王都ラグニルへ!」
再びびしっと敬礼をするコークスを最後に、馬車は再びゆっくりと進み始めた。
手を振るリアに敬礼をしていない方の手で小さく手を振り返すコークスを視界の隅に置き、イスカは気になっていたことをそのままイレーネに質問した。
「コークスとは知り合いなのか?」
「えぇ、学生時代の後輩ですよ」
「武術も魔法の技術も高く、人当たりも良いのでゲートキーパーは天職ですね」
「格好よかったですもんね」
自分の知らない土地で知るイレーネの交友関係に、イスカは改めて彼女が王都の人間であるということを思い知らされ、思いに耽るかのように再び馬車から見える異世界の風景に目を向けた。
テスカとは違い、しっかりと石積みがされ均一に立ち並ぶ建築物は目にも鮮やかで、それぞれの店舗が掲げる看板はどれも村では見られないものばかりであった。
石畳を行く馬の蹄鉄の小気味のいい音も相まって、目の前に広がる別世界にイスカの胸は否応なく高鳴っていた。
すると程なくして耳に心地よかった音色が途絶え、馬車はある一軒の店の前でその動きを止めた。
「さぁ、着きましたよ」
そう言って先に馬車を降りるイレーネの後を追うように降りたイスカとリアは、いつものように笑顔を湛えるイレーネの顔を一瞥し、活気溢れる店の前まで歩みを進めた。
そして目の前に掲げられた看板の文字をリアと二人で読み上げ、イスカはますます意味が分からなくなってしまっていた。
「『海竜の牙亭、Seaserpent's Fang Inn』?」
「さぁ、参りましょう」
「な・・・なんで宿屋?」