Act.11 『蠢動』
「進展?」
イレーネの言葉を聞き、イスカの鼓動が僅かに早くなった。
「本来であればまだ仮説の域を出ないのであまり話さないほうがいいのですが、イスカはあの事件の当事者ですので、伝えておこうと思います」
そう前置きを入れた後、イレーネはゆっくりと話し始めた。
「実は私があの時魔獣を沈黙化させた後、アルマにあの魔獣を解析させていたのです」
「あぁ、俺が眠っちまってた時のことか?」
「なんだよ、それならもう解ってたんじゃないか、魔獣の正体」
あれだけ特徴的な風体をした魔獣の正体が、事件が起きてから一週間が経過した今でも明かされないということはイスカの中でも疑問の種となっていたが、これでやっと答えが聞けるとイスカは少しだけ胸が軽くなった気がした。
しかし次にイレーネから出た言葉を聞いたとき、イスカは少しずつ自分の心が何かに侵食されていくのを感じた。
「ですがアルマはあの魔獣を新種として蓄積せず、かといって既存種であるとも解析しませんでした」
「ん、んん?ど、どういうことだ?」
「アルマが蓄積を拒否する状況って、そんなこと有り得るのか?」
イレーネから聞かされる謎掛けのような言葉に、イスカは以前イレーネの不在中にエビルに教えてもらった魔道書の特徴を思い返していた。
今から数千年前より存在していたといわれる魔道書には未だに解明されていないことも多いが、その中でも魔道書を運用するに当たって基礎中の基礎の機能がある。
それは「蓄積」「解析」「閲覧」という大別して三つの機能だ。
太古の昔より魔道書は書物や研究データ、絵画といったありとあらゆるものを蓄積し続け、それらを解析し、使用者の望みどおりに閲覧をさせるという、まるで移動式の大図書館のような役割を果たしていた。
そしてこの三冊の魔道書はある手順を踏むことで、三冊の持つ情報の全てを共有化することが出来るため、魔道書が知らないことはまず有り得ないと言われるほど、人類の叡智の結晶なのだ。
「アルマを始めとする魔道書は、新たな情報だと解析すれば蓄積をしますし、既存の情報だと解析をすれば解析結果を伝えてきます」
「ですが魔獣を解析した結果は、既存種とも新種とも認めないという大きな矛盾を孕んでいました」
「そういう意味ではイスカ、貴方の質問には有り得ないと答えるのが正解なのでしょうね」
そう言ってしまったイレーネの表情はどこか寂しげで、そんな彼女を見たイスカはどこか残念な気持ちになってしまい、ぽすんと力なくイレーネの隣に腰を下ろした。
目の前の彼女なら、きっとこの矛盾の正体を突き止めてくれるのではないかと、イスカは勝手に期待をしていたのだ。
しかしそう思った矢先、自分を見つめるイレーネの表情がいつものように笑っていることに気が付いたとき、再び彼女は言葉を紡ぎ始めた。
「ですがイスカ、有り得ないということは、有り得ないのですよ」
「・・・え?」
「研究者が最も口にしてはいけない言葉。それが、有り得ないです」
「どんな状況でも前を向き続ける。貴方の得意分野でしょう?」
そう言ってイレーネは静かにイスカの頭を撫でた。
そしてゆっくりとベッドから立ち上がると、イレーネはいつもの落ち着いた声色で真実を語り始める。
「いいですか、イスカ。いくら魔道書が我々人類の叡智の結晶と言われようと、所詮はマジックアイテムです」
「それがどんなに古い時代の道具だとしても、道具である以上それを作った人が居ます」
「そしてそれを作った人が居るというのなら、その人が『それを作る以前の世界』も必ず存在します」
「作った人の、それ以前の世界?」
「魔道書を作った人、その人が作る前の世界・・・」
「・・・あ、あぁ!そういうことか!!」
イレーネ、のまるで優しく誘導するような言葉に導かれ、イスカは自分の脳裏に浮かんだ言葉をそのまま口から吐き出した。
「つまり、魔道書が誕生する以前に絶滅した魔獣、ってことか?」
「そう、それこそが、この魔道書が見せた矛盾の正体です」
イスカの答えに納得したかのような表情を浮かべ、イレーネはその答えに肉付けを始める。
「恐らく我々が相対した魔獣は、アルマを始めとする魔道書がその作り手によって生み出される前に、すでにアズガルドから消え去った固体種です」
「故に魔道書は、自らが作られる以前の生命体を蓄積するための情報が欠けていたのですよ」
「だから直接あの魔獣の情報を蓄積しようとしてもアルマは拒んだのか」
「かといって既に蓄積した情報にあの魔獣の生体情報はありません」
「そしてアルマは完全にその役割を放棄しました」
「これが全てを知っている魔道書が見せた、矛盾の正体です」
全てを説明し終わったイレーネの笑顔は、イスカにはいつも以上に輝いて見えた。
しかしイレーネはその表情を再び真剣なものへと変えると、ローブの袖から絵が描かれた一枚の小さいスクロールを取り出してイスカにそれを手渡すと、改めて言葉を投げかける。
それは今回の問題提起の最初へ立ち返る、根本的な謎に対する明確な答えであった。
「アルマが蓄積を拒む程の太古に生息していた生物」
「そしてそこから白い毛並みと赤い瞳という特徴を紐づければ、答えは一つしかありません」
「これが・・・」
イレーネに手渡されたスクロールには、美しい銀色の髪を有した女性の隣に、寄り添うように立つ白い狼の絵が描かれていた。
「『Direwolf』です」
「アズガルド創世記に語られるほど、神に近しかった魔獣」
「それが恐らく、私たちが見た魔獣の正体です」
「そうか、何処かで見たことあるとおもったら、これ教科書に載ってる絵と同じだ・・・」
「そしてこれが、アズガルト創世記に出てくる白い狼についての伝承です」
「アルマ、モード『Libre』、Quaca Bellnica著、新約アズガルド創世記内の『神狼』で実行」
アルマに指示を出したイレーネはそっとアルマをベッドの上に置くと、そこから続くようにあの時聞いた以来の美しい女性の声で説明が始まった
『イエス、マスター』
『モード・リブルを実行します』
『女神スーザリアと魔王ネサリアンの長きに渡る戦いの果てに、アズガルドは生まれた』
『そしてその戦いの最中、常に寄り添うように女神とともに戦った一匹の白い狼』
『その名は「神狼Roucouele」』
『それは女神に愛され、女神を愛した、ダイアウルフの祖となる最初の魔獣』
『魔王ネサリオンを打ち倒し、二人は互いに契りを交わす』
『二人が残した子孫は人と狼の形を自在に操りながら、アズガルド中へと散らばった』
『やがて人間は人間同士で争い始め、子孫たちはそんな人間に嫌気がさした』
『人を愛した獣は狼の形となることを決め、やがて人の世界から姿を消した』
『以上です、マスター』
「ありがとうアルマ、もういいですよ」
淀みなく紡がれる創生の物語を聞き、イスカは思わずベッドから立ち上がっていた。
自分がであった、一瞬でもその圧倒的な美へと吸い込まれそうになったあの感覚は、今にして思えば当然のことだったのかもしれない。
それは現代から遠く離れた、今の生態系とは全くかけ離れた生物が見せる独特の雰囲気であったのだと、イスカは改めて実感した。
「でも、なんで今になってそんな大昔の魔獣が現れたんだろうな」
「それについてはまだまだ調査の必要がありますね」
「そもそもこれも状況が物語っている最も高い可能性でしかありません」
可能性や仮説の話ではあったが、イレーネの口から聞かされる言葉はどれも現実味を帯び、少なくともイスカには自分に魔法が使えるという事実の方が、よっぽど現実味がなかった。
「ただこれで魔獣を解析していた調査団も納得するんじゃないのか?」
「自分たちが解剖してるのが全くの未知の生物だって解ったら凄い喜びそうだけど」
「あぁイスカ、そのことについてもお伝えしておきたかったのです」
「というより、実はこちらのほうが本題だったのですが・・・」
しかしどこか憑き物が取れたようにスッキリとした表情を浮かべていたイスカであったが、イレーネの言葉を聞き再び表情が強張っていくのを感じた。
そして次の瞬間、イスカは自分の心臓が槍に突き上げられたような強烈な痛みを感じた。
「あの魔獣ですが、あの事件後すぐに失踪をして行方が分かっていません」
「・・・え?ど、どういうことだ?」
「護送中に逃げ出したのか?」
「いえ、イスカたちが気を失った数分後、駆けつけた警邏隊に指示を出していたのですが、目を離したほんの数秒の間にはもうその姿はありませんでした」
「そ、そんな馬鹿な・・・」
「あんだけ巨大な体が誰の目にも止まらずにほんの数秒で?」
すでに終わりを告げたと、イスカはどこか絵空事のように思っていた。
自分達を襲った魔獣が実はとてつもなく古代の魔獣で、現存するどの魔獣とも異なった生態系を持っている、とても美しい魔獣であったと、終わったからこそイスカは落ち着いて話を聞いていられた
しかし消え去ったと思っていた悪夢が実は未だ密かに息を潜めていることを知らされ、イスカはどこか縋るような目でイレーネを見つめた。
「私も沈黙化させたことですっかり油断していました」
「申し訳ありませんでした」
「え?いや、イレーネは何も悪くないよ」
「でも、そんなこと村の誰も知らないと思うぞ?」
「すぐに見つかると思い、無用な混乱を避けるための処置だったのでしょう」
「ただ実際は、ライザルでも有数のイベント興行であるハーヴェスタを中止にしないための口裏合わせです」
「現に私も口止めをされていましたから」
「・・・そういうことか」
テスカはとても小さな村ではあったが、それでも毎年開催されるハーヴェスタの興行収入は他の町や村で行われるものに比べて圧倒的だ。
それが中止ともなれば一番の被害を被るのはテスカ村ではなく、それを統治するライザル国の財政だ。
「支援隊という名目でライザル国軍が派遣されてはいますが、あれもどちらかといえば失踪した魔獣の捜索と討伐が目的です」
「それは俺もおかしいとは思ってたよ」
「もう魔獣は居ないはずなのに、随分と物々しい重武装で森の周りを固めてたし」
今にして思い返せば確かに不自然なことが多かったと、イスカは改めて納得したような表情を浮かべたが、イレーネの言葉を聞くと再び真剣な表情を浮かべた。
「なのでイスカ、まだあの脅威は完全に終わったわけではありません」
「私のほうでも引き続き警戒しますので、イスカも心の隅には覚えて置いてください」
「分かった、といっても俺に何かができるとは思えないけど」
「それよりいいのか?口止めされてたのにそんなポンポン喋って」
「大事な友人のためです、比べるまでもないことですよ」
イレーネの口から出た友人という言葉に、イスカは先ほどまで感じていた恐怖感が綺麗に洗い流され、心の中に清水が流れ込んでくるような気持ちになった。
するとちょうど下の階からリアが自分とイレーネの名を呼ぶ声が聞こえ、イスカは少しだけ笑みを浮かべてイレーネに向かって声を掛けた。
「色々教えてくれてありがとう、イレーネ」
「さて、話し終わったと思うと途端に腹が減った来たよ」
「研究員があまり仮説の話をべらべらと口にするのは本来はいけないことなのですが、何事にも例外があるということで」
「有り得ない事は有り得ないからな」
そういったイスカに、イレーネは久々に笑みを浮かべながらイスカの隣に立つ。
扉を開けると仄かに肉の焼ける臭いが立ちこめ、二人の鼻腔を容赦なく刺激する。
「ちなみにイレーネが用意してた作戦ってなんだったんだ?」
「俺がイレーネの意図に気が付かなかった時に使う予定だったやつ」
「その話しですか」
「この後デートをしましょうと言おうかと」
「あー、・・・うん、俺ってばよく気がついたな、よくやった、俺・・・」
「ふふ」
再びイスカを先頭に、二人はリアの待つ一階へと降りていった。
未だ多くの謎を残しながらも影を潜める白い悪魔に思うところはあったが、腹が減っては戦は出来ぬと、今はただこの瞬間を楽しもうとイスカはいつもの席へと腰を下ろすのであった。