Act.1 『魔法』
「お兄ちゃ~ん!晩御飯の用意できたから下りてきて~!」
「あいよ~!」
不意に掛かる声に、Isuca Lowelは無意識の内に返事をしていた。
思えば昼過ぎから始めた荷造りであったが、村から出たことなど一度もなかったイスカには荷造りというものは未知の体験で、思っていた以上に時間を要する作業であった。
それでも妹のLiaが作ってくれた「持っていくものリスト」のお陰で大分時間は短縮できたつもりではいたが、所々挟まる得体の知れない生物のイラストの正体を考えることに必死になり、結果的に作業能率はそこまであがってはいなかった。
「歌も上手いし料理も上手いのに、なんで絵は下手なんだろうなあいつ・・・」
天は二物を与えず、とはよくいったものだが、それなら自分の与えられた一物の正体は一体なんであろうかと、イスカは答えの出ない問題を漠然と考えながら、リアが待つリビングへと下りていった。
するとそこには、二人で囲む食卓にはあまりにも豪華な料理がテーブルに並べられており、リアがちょうどエプロンを外しながら席に着こうとしている姿があった。
「うお、何だよこの豪勢な料理は」
「って、バーラムの照り焼きがあるじゃねえか!」
「えへへ、シア姉からのお裾分けだよ!」
「この前のマルクさんの成人の儀のときの」
「あー、ハーヴェスタのか」
「うん、流石に食べきれないからって」
納得、といった表情を浮かべながらも、大好物である料理を目の前に、イスカは期待は膨らむ一方であった。
イスカたちが住むテスカ村は、魔法都市国家、Raysalの中でも最も北に位置するとても小さな村である。しかしそんな小さな村でも一年に一度、遠方各地より観光客がどっと押し寄せる日があるのだ。
それが、ハーヴェスタと呼ばれる豊作祈願祭である。起伏が多く、小さな村であるテスカは昔から農作物を育てるのが大変な土地であったため、小さな土地でもたくさんの作物が実りますようにと、土地神様に祈りを捧げるようになったのが、ハーヴェスタの始まりとされている。
祭事を行う2日間の間には様々な催し物が用意され、中でも村の歌い手が土地神様のために歌声を披露する奉納の儀は、その美しい歌声を聴くためだけに観光客が訪れるほどの人気がある。
「さっさと食べよう、もうお腹ぺこぺこだ」
「うん、それじゃ切り分けるね」
イスカの提案に頷いたリアは、銀色のナイフとフォークを器用に使い、程よく焼き目のついたバーラムの肉を薄くスライスしていく。
断面から除く僅かな赤みがイスカの食欲を容赦なく刺激し、一枚一枚皿へと移されていく過程をキラキラした目で見つめていた。
「はい、それじゃぁ食べよっか」
「おっし!それじゃ、いっただっきまーす!」
待ってましたといわんばかりの勢いで、テーブルにおいてあったフォークを手に取り、ターゲットを数枚フォークに乗せたイスカは、やがて訪れる至福の瞬間を楽しむために瞳を閉じながら口へと運んだ。
しかし自分で想像していたような幸福感はなかなか訪れることはなく、いつまでたってもやってくるのは無機質な銀食器の味だった。
「あ、あれ?」
「あ、あはは・・・」
違和感の正体を確かめるべく閉じた瞳を開いたイスカの目の前には、なにやら申し訳なさそうに苦笑いを浮かべるリアの姿があり、背後からはひしひしと馴染み深い威圧感を感じていた。
「本当イスカってバーラム好きよねぇ」
「あー、おいしかった!」
「あーっ!?シアっ!てんめぇ!」
イスカが振り向くのとほぼ同時に、イスカの隣の椅子へと腰を下ろした勝手知ったる友人は、右手の指を数本舐めながら自慢のポニーテールを揺らし、不敵な笑みをイスカに向けている。
Alicia Blightはイスカとリアの共通の友人であり、幼馴染でもある女の子だ。それと同時に現テスカ村の村長の孫娘でもあり、先日成人の儀を行ったマルクの妹にも当たる。
「もー、シア姉だめだよー、お兄ちゃんがバーラム大好物なの知ってるでしょ?」
「知ってるからこそ成立する悪戯じゃない」
「それに元々私が持ってきたんだし」
「実際に捕ったのはマルクさんじゃねえかよ」
「それを持ってきたのが私」
「第一祭りの間ずーっと寝てたイスカに食べる権利はありません」
「ぐ、ぐぬ・・・」
痛いところをついてくる幼馴染を前に、イスカも大分目減りした自らの皿を見つめるしかなかったが、そんな時ふと目の前から幸福のお裾分けがやってきた。
「じゃあ私の分をあげるね」
「おー!さすが俺の妹だ、食い意地の張った誰かさんと痛っぅ!?」
「誰が食いしん坊よ!リアはイスカに甘すぎ」
「シア姉もあんまりお兄ちゃん苛めると怒るよ?」
「この前のことだって、私はシア姉も含めて怒ってるんだから」
「ぐぬ、は、はい、申し訳ありませんでした・・・」
「やーい、怒られてやんの~」
「お兄ちゃんはもっと反省する!」
「はい・・・」
既にどちらが年上なのかが分からない様相を呈していたが、そんな愉快な風景を当たり前のように眺めることが出来る今を、イスカは心の隅で最大限感謝した。
そして一頻り談笑を交えての楽しい夕食会は、時計の時間を確認した幼馴染の声によって終わりを迎えた。
「さって、そろそろ帰るわね」
「あ、もうこんな時間なんだ。それじゃ私もお片づけ始めちゃおうかなぁ」
「お兄ちゃんはシア姉送っていくんでしょ?」
「ん、あぁ、そうだな」
「別にいいわよ、5分も掛からない距離」
「いや、まぁ、ちょっと話したいこともあるからな」
言い終わる前に発現するイスカの表情を見たアリシアは、ふりふりとあしらう様に振っていた手をぴたりと止め、少し真剣な表情を浮かべながらもイスカの提案に乗った。
「そ。じゃぁしっかりエスコートしてもらおうかしらね」
「お前なら一人でGoblinどころかOgreまで倒せそうだけどな」
「うっさい、捥ぐわよ?」
「なんだよ捥ぐって!?怖ぇよ!?」
「いってらっしゃーい」
頬を抓ろうとアリシアから伸ばされる手をあしらいながら、イスカは家を後にした。
既に暗くなった畦道を、二人はどちらからとも話すことなく静かに歩いていく。小さな村にはちょうどいい、少し離れた感覚で配置された街灯の明るさも、今の二人の心情を表しているかのようであった。
すると、ふと立ち止まったアリシアがわき道においてあった大き目の石に座り込み、イスカに向かって声を掛けた。
「いつ、出発するんだっけ・・・」
「4日後、かな」
真実を口にした途端、ちくりと胸に痛みを覚えたのは、自分の発言に悲しそうな表情を浮かべる彼女の表情を見てしまったからだろうか。
「でも、なんで今更・・・イスカって『魔法が使えない』のに・・・」
「それについては、お前も近くで見てただろ」
つい最近の出来事であったのに、酷く遠い昔の出来事のようにイスカはあの日の出来事を思い返していた。
「でも、あれって本当に、魔法なの?」
「それについてはイレーネも分からないって言ってただろ」
「まだ魔法とは言えないって」
「そう!そのイレーネさんだって信用できるかどうか・・・」
「まーそれを言われると、俺も自信を持って答えられないんだけどな」
「なら!断ればいいじゃない。何もRagnilの学校に行かなくたって・・・」
少しばかり勢いがつきすぎたことを自分でも気がついたのか、アリシアは少し落ち着きを取り戻したかのように落ち着いた声色で再びイスカに質問を投げかけた。
「『記憶喪失』、やっぱり気にしてるの?」
「・・・もう村の誰も、イスカを『よそ者』なんて思ってないわよ?」
長らく耳にしていなかった言葉に、上手く表情が作れたかどうかが心配であったが、イスカはアリシアの問いかけに口を開いた。
「それは俺も知ってるよ」
「捨て子だった俺に向けられる視線を気にもせずに付き合ってくれたお前たちのことは、今でも感謝してる」
「じゃあなんで!」
「証明、したいだけなのかもな」
再び気持ちを声に乗せて話すアリシアとは正反対の落ち着いた声色で、イスカは話し始めた。
「抜け落ちた記憶の意味と、この能力」
「確証はないけど、どこか無関係じゃない気がするんだ」
自分でももっと上手く話せるかと思っていたのに、実際に口に出してみると思うように考えを伝えられていないことにイスカは遅れて気がつき、同時に申し訳なさも感じていた。
優しく頬を撫でる夜風が、そんな不甲斐ない自分を慰めようとしてるようにさえ感じた。
するとそんなイスカを見てアリシアも二の句が継げなくなったのか、よいしょと座っていた石から立ち上がると、パンパンと尻を叩きながらぎこちない笑顔を浮かべた。
「帰ろうか、イスカはここまででいいわよ」
「それじゃ、おやすみ!」
「お、おう、そうか?」
突然の中断に戸惑いを隠しきれなかったイスカであったが、走ってその場から居なくなるアリシアの背中を、イスカはただ黙って見守るしかなかった。
「思う様にいかないなぁ・・・」
ここ数日、怒涛のように過ぎ去っていった夢のような出来事も、少し変わってしまった幼馴染との関係も、全てが上手くいく方法なんてあるのだろうか。
「あと4日か・・・」
自分で口にするタイムリミットは、人に口にするそれよりとても短く感じた。
「しっかし、何で今更になって魔法なんか・・・」
と同時に、ここ数日の間に起きた出来事もまた、イスカには無視できない案件であった。
自分が一番頭を悩ませるきっかけを生んだとある出来事。
小さな村で起きた、とても大きな事件。
それは今から、二週間ほど前に遡る出来事である。