利己主義の国、狂人たちの集い⑦
覚悟を決めて地面から飛び起き、クロの指示する方角へ慎重に進む……いた、新緑に囲まれた森の中で一際目立つ存在……赤い熊だ。
父の仕事を手伝ったときに倒したことがある。自分の身長の二倍はあるかと思われるほどの巨躯、鋭い爪に白く光る牙……噛まれたらひとたまりも無い、名前は……深紅熊だったと思う。
本来の毛色は灰色に近いが、繁殖期になると警戒色の赤い毛色になるのが名前の由来だったはず。でも、あいつの繁殖期は六月だからもう終わっていると思うのだが……まぁ、魔物の生態には分かっていないことのほうが多いし、自分の物差しで計るのは危険だな。
「リオン、まだ気づかれていないようだ。初めての戦闘だから緊張すると思うが、フォローするから安心していいぞ」
「武器無しで戦うのは初めてだけど、魔物との戦闘自体は初めてじゃないよ」
とりあえず慣れるまでは消費魔力を固定しよう。戦闘時は一律五パーセントでイメージ、次に俺が使える魔法を考える……が、思いつく魔法がそんなに無いな。両親は魔法を使う事がなかったから、参考にできない。
うーん、アレしかないか……嫌な思い出がよみがえるが背に腹は変えられん。学校で見た魔法、捕縛月季をイメージする。
前回は回避したので効果は良く分かってはいないが、捕獲用の縄をイメージしてみた。魔力が失われる感覚とともに、深紅熊周辺の地面が盛り上がる。獲物を追い求めるが如く、勢いよく飛び出したツタが魔物の四肢を幾重にも縛り上げていく……よし、ここまではイメージどおりだ。
突然の事に驚いた魔物は暴れ狂っているが、暴れれば暴れるほどツタにびっしりとついている棘が魔物の全身を傷つける。
「これは、えげつない魔法だな……学校では回避できて良かった」
ちょっと待てよ、捕縛魔法には再使用制限があるのだろうか? あるとしたら近づいて倒すか、クロに魔法を使ってもらうしかない。説明するまでも無いが前者は無理だ。
「いや、効果の発動が完了しているから他の魔法はもう使える」
ここの線引きがいまい理解し難いが、実戦で覚えていくしかないだろう。おっと、魔法の効果が切れる前に仕留めなければ。
指先から水弾を発動、深紅熊の眉間を撃ちぬくと、派手に脳漿が飛び散った。脳を破壊された魔物は数秒おきに頭を上下させていたが、やがて絶命し動かなくなった。
「やった! これなら何とかなるな」
初めての魔法を使った実戦にしてはうまくできたと自画自賛をしていると、クロがため息をつき”早くしないと、血の匂いで魔物がよってくるぞ”と言ってきた。辺りを見渡すと木々に血と脳漿が飛び散っており、かなり臭いがキツイ。
「おっと、それもそうだな」
倒したのは良いが、大きな問題が発生した。自分よりも遥かに大きい熊は、重くて結界内まで運ぶ事ができない上に、刃物を持っていないから切断も難しい。
どうしようかと困っていると”仕方ない、熊の腕の付け根に触れ”と言ってクロが魔法で大熊の腕を切り裂いてくれた。風の初級魔法で風刃と言うらしい。
「この魔法は私の親友が考えた魔法でな、威力は高いが、射程距離は自身の体から三十センチ程度、効果時間は二秒ってところだ」
「クロには親友がいるのか、意外だな」
「……そうだな、私のために命を懸けてくれるバカな友達だよ」
「そっか、羨ましいよ」
言ってバリスのことを思い出す。俺は生まれてから今まで友達がいなかったってことだよなぁ。そう考えると友達を超えた親友なんて、雲の上の存在に感じる。
話は変わるが、先ほどのクロの言葉を推察すると、魔法にも色々とクセがあるようだ。この風刃は見えないナイフみたいなものだな。再使用制限時間が長いらしく、使い勝手はあまり良くないらしい。
切断した熊の腕を持ち上げてみると、かなりの重量である……小さい子供一人分の体重は余裕でありそうだ。他の魔物が寄ってくる前にその場を離れ、結界内に戻る。
地面に熊の腕を放り投げて、まずは休憩することにした。自分では緊張していないと思っていたのだが、思った以上に体力を消費していたようだ。
少しの休憩時間を経て、魔物の腕の調理に挑戦することにした。
先ほどの風刃を再現しながらカットしたので、時間がかかった上に皮と肉を上手く切り離せず、食べる部分がかなり減ってしまった。これは、まだまだ練習する必要がありそうだ。
食べる部分が減ったといっても十キログラムくらいは残ったので、数日間は十分にいけると思う。先ほど調理と言ったが焼く以外の選択肢がない……生は絶対に無理だ。
夜の森で火を焚くのは魔物や俺を探している連中を呼び寄せ危険か、とも思ったが結界内にいれば平気だろうと割り切って使うことにした。
とりあえず周辺に落ちている比較的乾燥していそうな枯れ木を集める。水分を含んでいる生木は燃えにくいと迷宮学で学んだことが少しは役に立ちそうだ。
次に魔法だけど、火のイメージ……意識すると逆に思い浮かばない。手が燃えて火傷したら嫌だなぁとか考えていると「乙女か!」とクロに突っ込まれてしまった。
火傷と乙女の関係性を問い詰めたかったが、反応されても面倒なので無視することにしよう。
「難しく考えすぎだ、魔力が変質して燃えると考えれば良い。お前の知識にある物で例えるとランプ? ってやつの燃料を魔力に置き換えろ。何度も言うが魔法はイメージの産物だ。代用できる物があるならそれをヒントにするのだ」
魔力の変質ねぇ……ランプの燃料ってことは油みたいなものか。木の枝を持って先端に油の染みた布を巻きつけた松明をイメージしていたら突然木が燃え出した。
「うわっ」
突然の出来事にびっくりして尻もちをついてしまった。いきなり燃えるとか、本当にやめてほしい……うっかり人燃やしちゃった、テヘヘ! とかシャレにならないぞ。
足元に落ちている火のついた枝を焚き木の束に放り込むが、火力が弱いためか上手く着火しない。追火をしようと思い、指先に火をイメージする。
流石に二度目ともなるとイメージは明確になり、小さいながらも指先に火が出現した。自分が考えるとおりに大きさも変化するようだ。
次に指先から中々着火しない焚き火の中に移動させる。火の移動は中々難しいがどうにかできたぞ。何となくだけど、魔法の発動から制御までがわかってきた気がする。
「さてと、木の枝に熊肉を刺して中までじっくりと火を通そう。ここで腹を壊したら死にかねないからね」
「ふむ、リオンは見かけによらず慎重な正確なのだな。評価を一段階上げておこう」
「見かけによらず、は余計だ」
━━二十分ほど経過しただろうか、試しに真ん中あたりを輪切りにすると、赤い部分は無くなっている。そろそろ食べごろだな。
「では、いただきます」
一口食べた瞬間に違和感を覚える。何だコレ、無味だぞ? 魔物って味がしないのか。今まで母さんにもお前は味音痴と言われることは多かったが、味を感じないのは初めてだ。
「魔物は普通の家畜よりもウマイはずだぞ、少しではあるが魔力を直接取り込むことも可能だ」
クロの説明を聞いたところで味はやはり感じない。まぁ、食べられるのだけは間違いないな、空腹は最高のスパイスである。熊肉の保存について考えたところ、夏場だし生肉のままだと腐るかもしれない……かといって干し肉にできないので全部焼いた。
明日はこれを食べればいいか……目の前の焚き火を残して、辺りは次第に闇に包まれていった。揺れる炎をぼんやりと見つめながら、今後の事を考える。
「……なぁ、クロ」
「どうした?」
自分から話しかけておいて、言葉に詰まってしまい沈黙が流れる。クロも聞き返してくるようなことはせず黙って俺の言葉を待っていた。
「明日の夜に一度家に帰ってもいいか?」
「頭の良い選択とは思えないな……理由を聞かせてくれ」
理由を確認するってことは完全に心が読めるわけではないのか……頭の良い選択って意味では俺もそう思う。
今、村に戻るのは得策ではない、そんなことは殺されかけた自分が一番良く分かっている……でも、やり残したことがあるんだ。
「父と母をあのままにはしておけないよ、せめて埋めてあげたい」
……再び沈黙が流れる。おそらくクロは反対なのだろう。
「良いだろう、危険だと思ったら作業の途中でも全力で逃げる。これだけは約束してくれ」
「……約束する」
そう言うと、クロはそれ以上何も言ってこなかった。
「ありがとう」
俺は礼を呟き、そのまま深い眠りについた。
━━コツコツ。
何かがオデコを突いている。尖った物に突き刺されているようで結構痛い。オデコの付近にいる何かを払いのけるが、少しするとまた「コツコツ」とオデコを突きはじめた。
「さっきから、痛いわ!」
目を開けると、黒いヒヨコ? らしき生物がオデコをつついていた。「うわぁ!」と情けない声を上げて黒いヒヨコを払いのける。
「痛いな、リオン」
喋ったぁ! これは夢なのか、今更夢オチだったのか。
「落ち着け、私だ、クロだ」
クロ? このヒヨコが? あの毒舌魔神のクロ?
「本当にクロなのか?」
「こんなことで、嘘をついてどうする。念話だけではお前が独り言を呟く変人にしか見えないと思って、使い魔のフリをしてやっているのだ」
まぁ、頭の中で話すよりは話しやすい気はするが……ヒヨコはないだろ。独り言の変人から、肩のヒヨコに話しかける変人に変わっただけじゃないか。もう少しカッコイイ生物になれないのか? 例えば狼とかさぁ。
「文句は自分に言え、お前の魔力を使って形成しているアバターだからな、お前の実力ではこれが精一杯ということだ」
何を言われても、小さいヒヨコがピヨピヨ話しているようにしか見えない。いつもは腹の立つ毒舌も外見が可愛いから許せてしまう。
ちなみに本当の使い魔とは、もう一人の自分を具現化したものである。似た様なモノに召喚獣が挙げられるが、大きな違いは召喚までの消費及び維持魔力と戦闘に参加するかしないかだろう。
使い魔は自分のことを客観的に評価したいときや、冷静に物事を判断してほしいときに召喚する別人格というべきであろうか……他者からは寂しがりやの変人が呼び出すモノと認識されることが多い。
「久しぶりに外の世界に干渉できた……これはいいものだな」
まぁ本人が喜んでいるからいいか。偉そうなことを言っても外見が可愛いので、背伸びしている子供を見るような感覚になってしまうな。
『この状態でも繋がっているから、考えるだけでも会話は可能だ』
「余計に混乱しそうだな……」