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シネマトグラフ

灰皿の中のミルクティー

作者: 水上 遥

眠りから覚めると、部屋はまだ暗かった。

携帯の画面を開けると、新着メールが二件。

一件は父から。

「明日は10時に迎えに行きます」


もう一件は、正確に言えば新着ではない。

一週間前には私の携帯に届いていた。

それから今まで未開封で、新着のままだ。



ベットから這い出て、カーテンを開ける。

外は暗くて、月は出ていない。

夜明け前だった。


テーブル脇の椅子に座り、ピースに火を付ける。

飲みかけのミルクティーが冷たくなっていた。

足を抱き寄せて、行儀の悪い格好になる。

ああ、あの時もこんな格好だったなあ、なんて思い出して。

なんだか、とても歳をとった気分になった。

それが何だかおかしくて。

今なら、と私はもう一通のメールを開けた。






高校に上がるまで、父と二人暮らしだった。

とは言っても家事は全て父がやってくれていたし、暮らしにも不自由はしていなかった。

私にもこれといった反抗期も無かったし、何より母が居なくても子供である私に寂しい思いをさせない父を尊敬すらしていた。

だから、再婚の話をされた時も素直に祝福することが出来た。



再婚の相手には子供が居た。

子供と言っても私より三つほど上の大学生だったが。

彼は父達の結婚式の後、家の近くのアパートで一人暮らしを始めた。

私も、なんとなく新婚夫婦の邪魔をしたくなくて、次第に彼の部屋に入り浸るようになっていった。





「女の子でピースってエグくないか? ていうか未成年」

「男で一ミリのペシェ吸ってるのもどうかと思うよ」

その日は金曜日で。

私は学校から直接、彼のアパートに赴いていた。

もう何回も来ているけれど、男の部屋にしては小奇麗に纏められていて。

と、いうかそもそも彼の部屋は持ち物が少なくて。

本棚が1つとベッドとテーブルと、椅子が1つ位しか目立つものはなかった。

テーブルの上には猫の絵が描いてある灰皿が1つ、いつも置いてあって。

私がこの部屋に入り浸るようになってから彼が買ってきた物だった。

「もっと色気のある部屋にしなよー。こんなんじゃ女もよりつかないよ」

「というか、君が入り浸ってる時点でアウトな気がするんですが」

「だって、家じゃ新婚夫婦がイチャついてるんだもん。四六時中あんなの見せられてたら胸焼けするよ」

そう言って、煙を吐く。

「うわ、華の女子高生が親父臭い。ついでに部屋が煙草臭い」

「そっちだって吸ってるじゃん。一ミリだけど」

「一ミリだから煙も少ないの。28ミリって何さ。ペシェの煙が圧倒的劣勢です」

「気付いたら戻れなくなってたの。一時期はセブンスターまで落とせたんだけどなー」

「いちいちチョイスが親父臭い。見た目は優等生のくせして。不良娘ー」

「うっさい。喉渇いた」

はいはい、といって彼は台所に立ってお湯を沸かし始めた。

私は椅子の上に体育座りして、煙草を咥えながらそれを眺めた。

なんだかなあ、と思う。

しっかり「お兄ちゃん」してるなあ、と思う。

最初に会った時の印象は弟みたい、だった。

歳の割に幼い顔立ちだったし、背も私と大して変わらなかったし。

でも、こうしてよく話すようになってみると、中身が若年寄りな事が分かった。

前にその事を言ったら、「苦労してるからねー」なんて笑ってたけど。

どこかしら父を奪われた気がしていた私は、次第にこの兄に懐く様になっていった。




「またミルクティー?」

「当店自慢の味でございます」

「自慢も何もそれしかないじゃん」

「何故かいつも安いんだよ。飽きたんならコーヒーが安くなる事を祈ってて下さい」

「……主婦みたい」

「うっさい。親父娘」

そういってテーブルに二つマグカップを置く。

彼のがピンクで私のが黒。

本当は黒いのが彼のだったのだけれど「はい、君の」とピンクを渡された時、「女の子女の子してて嫌だ」と我が侭言ったら、こうなった。

でも正直、ピンクは彼のほうが似合ってると思う。

「……何笑ってるの?」

「いや、ピンク似合ってるなーって」

「それは褒められてるんですかね。だとしたら結構複雑なんですが」

「素直に受け止めときなって。レアだよ、ピンク似合う男の子なんて」

「男の子ってのも微妙なんですが」

「しつこい。そして、薄いよ、このミルクティー」

「失礼しましたー。でも薄い方が煙草に合うでしょ?」

「ん……。確かに」



夕飯はパスタだった。

パスタ、なんて言っても麺を茹でてレトルトのソースをかけただけだけど。

私が入り浸ってる形だし、一応たまには料理をした。

とは言っても家事は全部父がやってくれていたから、こんなものしか作れないけど。

食事の後、食器を片付けて二人で一服。

彼はまたミルクティーを淹れた。

「今日は泊まってく?」

「うん。どうせ明日は学校が休みだし。お父さんも会社休みだし。今晩辺り兄弟作りに励むんじゃない?」

「兄弟作りって。本当いちいち親父臭いね」

「でもさー夜部屋で寝てる時にゴソゴソ聞こえてみなって。なかなかキツいものがあるよ?」

「そう? 慣れれば平気だよ」

「あー。そういえば、私のお父さんで三人目だっけ?」

「四人目。別に俺の母親もだらしないわけじゃないんだけどね。我慢が出来ないというか、何と言うか」

「……いつから片親なんだっけ?」

「小学校上がった位かな? 普通に離婚だったと思うけど。最初説明された時はびびった。それまで結構普通の家族だったから」

「私は死別だったからなー。小さくてよく覚えてないけど、確か『遠くに旅行に行った』って涙目で言われたよ。だからすぐに嘘だって解ったけど、死んじゃったって理解したのは結構後だったな」

「それからずっと二人だったんだっけ? 怒られるかもしれないけど、そっちのが幸せだったかもね」

「なんで?」

「最初の父親と分かれた後、ここみたいな小さいアパートに住んでたんだけどさ。段々母親のお友達が来るようになって、んで泊まる様になってさ。まあ寝てると思ってたんだろうけど、深夜に横でゴソゴソするようになったんだ」

そういって彼はテーブルに投げっぱなしになっていたピースの箱に手を伸ばした。

私は文句は言わなかった。

「なんかそれを布団の中で見ててさ。あー俺はこんな事して生まれたんだ、て思ったら母親がただの年食った女に見えてきた」

ライターを探してる彼に私が咥えていた煙草を差し出した。

「お、ありがと。……まーそんな訳で、母親ってのがいまいち良く解らないんだよね。一緒に暮らしてる年上の女の人って感じ。ってか暗い話になった」

そう言って「うお、きっつ!」なんて彼は笑って居たけれど。

嫌な気分とか、気まずい気分にはならなかった。

むしろ、私がこの兄を慕っている理由がはっきりとした。

「じゃー私と同じだね。私もお母さんって良く解らないんだ」

「あーでも。おかげで妹ってのは若干解ったかも」

「そう? 結構可愛いもんでしょ?」

「んー我が侭で、ミルクティーの味に五月蝿くて、煙草吸ってて、親父臭いって事は解った」

「……殴るよ?」

「あと、平気で兄に暴力ふるうらしいな」

そう言ってミルクティーを飲み干した。

「あー冷めてる。そっち温め直そうか?」

「んーん、いい。冷めてるのも結構好きなんだ」

「妹は冷めてるミルクティーも好き、と。じゃあ、それ飲んだら寝るぞ」




暗くなった部屋のベッドの中。

窓の外から車の走る音が聞こえる。

彼は床に布団をひいて寝ている。

「ねえ」

「んー?」

「いっつも思うんだけどさ、床に布団って身体、痛くならないの?」

「んー。……なる」

「場所代わる? それか、こっちくれば?」

「年頃の娘さんが何を言いますか」

「今更、何言ってるの。それにいつも私がベットで悪いし」

「気にするなー」

「気にするー。……じゃー寂しいから一緒に寝てよーお兄ちゃーん」

「棒読みで言うなー。てか鳥肌立った」

「うっさい。いいからこっち来なよ。なんだか申し訳ない」

んー。と言いつつ彼はベッドに潜り込んで来た。



「体温高いね」

「何かエロい」

「何考えてんだ」

「あのさ、こんな妹で良かった?」

「……何で?」

「煙草は吸うし生意気だし。それに親父臭いし。ミルクティーには五月蝿いし。……ちゃんと妹出来てる?」

「出来てるよ」

「私、基本家で一人が多かったからさ。寂しくはなかったけど。兄妹が出来るって聞いた時は、少し嬉しかったんだ」

「うん」

「でもさ、その兄弟は一人暮らし始めちゃって。全然家に居ないんだ」

「うん。ごめん」

「だからさ、押しかける事にした」

「うん」

「本当の兄妹ってこうやって一緒に寝るのかな?」

「小さい時は、してるかもね」

「じゃー、今とりかえすね」

「うん」

「さっきから私ばかり喋ってる。何か喋ってよ」

「んー。家族って良いかもね」

「何それ。つまんない」

「酷いなー。でも、本当にそう思ったんだ」

「そう?」

「うん。妹のおかげかもね」

「もっと褒めていいよ」

「調子に乗るから嫌だ」

「けち」

「どーせ主婦ですから」

「うっさい」

「うん。でもさ。ありがと。俺も母親の事、お母さんって呼べる様頑張るよ」

「……うん」

「もー寝るよ」

そう言って彼が寝返りを打つ時。

唇が触れた気がしたけれど。

多分気のせいだ。

兄妹だし。





それから、しばらくして。

お父さんと彼の母親がケンカした。

そんなに大きなケンカでは無かったと思うけど。

しばらく母親は彼の部屋で暮らす事になった。




その日。私はまた学校から直接彼の家へ向かっていた。

ドアには鍵がかかっていた。

たまに彼は、昼間でも鍵をかけたまま寝てる事があるので、またか、と思っていつも通り郵便受けに入ってる合鍵を使って私は部屋に入った。

部屋には誰も居なかった。

と、言うよりも大分前から人が居ない様だった。

ただでさえ殺風景な部屋が、綺麗に整頓されて更に無機質な雰囲気になっていた。

いつも二人で煙草を吸っていたテーブルの上に、灰皿を重石にして走り書きが置いてあった。

簡単に言えば、「探さないで下さい」みたいな事が丁寧な字で書いてあった。

ピースに火をつけながら、それを読んで。

「昼ドラかよ。主婦か」

なんて呟いた。





彼らが見つかったのは一週間後だった。

山の中で、レンタカーで、練炭。

ますます昼ドラみたいだな、って思った。

父親は見ていられないぐらい憔悴していた。

警察の人の話によると、彼らは手を繋いでいたらしい。

死人に対してなんてバカみたいだけど、少し嫉妬した。

バタバタしていて、しばらく携帯なんて見ていなかったけど。

その日、彼らと再会してから家に帰ったらメールが一件着ていた。

彼だな、と思った。

それから携帯を開けられなかった。



家に居ると、空元気な父親を見るのが辛くて。

しばらく彼の部屋で過ごす事にした。

毎日全然眠れなくて。

こういう時、お兄ちゃんが居てくれたらな。

なんて思った。

部屋は前より煙草臭くなった。










椅子に座ったまま少し寝てしまっていたらしい。

身体が変に痛い。

右手には携帯が開いたまま握られていた。

それを見ないまま、猫の灰皿の横に伏せて。

ミルクティーを一気に飲み干した。

そしてピースに火をつけて。

一口吸った後。

静かに携帯を手に取った。

夜明けが近いのか、窓の向こうが薄明るくなってきた。

「ばーか」

と、私は呟いて。

お父さんに返事のメールを打った。










画面には一行。

「今度は息子になってくるよ」

って書いてあった。





灰皿には短くなったピースの吸殻と、ペシェのフィルターの長い吸殻が並んでいた。

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