バターミルクランチドレッシング(後)
時刻は17時半。みゆきを見ると席を立ち上がり帰り支度をしていた。恵梨はまだ終わらなかったので先に帰ってと伝え仕事を続けた。その数分後、谷が急いで階段を降りてきて、そのままの勢いで美幸の席を見ながら恵梨の目の前まで来た。何も言わず外を指差すと、谷は踵を返して部署を後にした。
思わず窓から外を見てみると薄いピンク色をした美幸の傘が見えた。目で追っていくと、もう駅に入るところだった。美幸の少し手前に目線を向けると、谷のビニール傘が足早に近づいていくのが見えた。谷が呼びかけたのか、美幸の傘が180度くるりと回った。谷の方向を向いた事を確認して、恵梨は残った仕事を終わらせるために窓から離れた。
仕事は18時半に終わり、いつものように19時半前には家の台所の前にいた。今日は簡単にパスタを作ることにした。パスタを茹でつつ、ベーコンや玉ねぎ、ほうれん草、スライスしたニンニクなどを炒める。一旦火を消し、軽く塩コショウで味付けしたそれらに茹で上がったパスタを入れて軽く馴染ませる。さらにレンジでチンしたとろけるチーズを弱火で絡める。皿に盛ったらバターミルクランチドレッシングをかけ、その上に半熟卵を乗せて完成。なんちゃってカルボナーラ。味は違うけど"っぽい"感じは出ている。ほうれん草は体にいいから入れてみたが、彩りとしてもアクセントになっている気がする。
具とパスタを絡めている頃に帰ってきた玲二が、簡単なサラダを作ってくれた。パスタをトングでお皿に盛り付け、インスタントのスープと飲み物を用意する。食器が一通りテーブルに揃ったところで着席。
「いただきます」
「いただきます」
「ここ何日かドレッシング使ってくれてるね」
「そうだね。味付けが簡単だし、せっかくいっぱいあるから使わないと勿体無いかなって」
「うん。賞味期限は気にしてるから絶対に切らさないようにはしてるけど、いろいろ使ってくれたほうがドレッシングも喜ぶよね」
「ドレッシングが喜ぶ…。流石にその発想は無かったけど」
「そっか」
食べながら昼間の事を思い出して玲二に話した。二人の話は玲二にも何度か話したことがあるので知っている。普段ドレッシングの事ばかり興味を持っていそうだが実はそうでもない。玲二は、客観的な視点で物事を見ることが得意なので、恋愛に限らずいろいろと相談なども受けることが多いようだ。誰でも話安い物腰の柔らかさもあり、相談相手には打ってつけなのだろう。元々困っている人を放っておけない性格もあり、相談を受けること、それに対してアドバイスをすることは好きなようだ。今回の件も、恵梨の話に良く出てくる二人の事だったので、興味深そうに聞いていた。
「へぇー。谷君、告白成功するといいね」
「ねー。もっと男らしくガツガツいけばイケる気がするんだけどなぁ」
「んー、どうだろう。下手にガツガツこられたら引いちゃうんじゃないかな。それよりも、前から思ってたけど美幸さんって、恵梨に対してもなんか、遠慮しているというか距離置いてるみたいなんだよね?心配だね」
「そうだね。私はそれが美幸の素なんだって気付いてからは気にしなくなったけどね。私が慣れたってのもあるんだろうけど…」
「どうだろう。本当に素なのかな」
「え?何が?」
「いまだに違和感を感じるときもあるんだよね?美幸さんのその、他人行儀っていうか、敬語とかさん付けして呼ぶところとか」
「そうだね。やっぱりちょっと思うところはあるよ」
「そう感じるのはやっぱり、本当の意味で素にはなれてないと思う。心の芯の部分は、隠れたまんまなんじゃないかな。もちろん、それが悪いって言ってるわけじゃないけど」
「んー。どうなんだろうなぁ…。でも、だとしたらちょっと悲しいかな」
「そっか。…うん。そうだね」
その時恵梨のスマートフォンがメールを受信した。確認してみると谷からだった。
『今さっき告白しました。でも、考えさせてくださいって言われちゃいました…。』
なるほど。告白出来たんだ。谷は行動力があるなぁ。というか考えさせてくださいって。その場ですぐに断られたわけじゃないみたいだし、そこまで悪い反応じゃないような気がする。そのことを玲二にも伝えてみると、彼は逆の反応をした。
「難しいかもしれない」
「え?」
その時、美幸からもメールがきた。このタイミングは確実に谷関連だろう。すぐに開けてみた。
『明日、ちょっと相談したいことがあります。出来たらどこかお話が出来るところに出かけられませんか?』
翌日は土曜日で会社は休みだ。外でご飯でも食べながら今さっき起きたであろう事を話すつもりだろう。
「美幸からメールきた。明日私と会って相談したいってさ。たぶん谷の事だよね」
「そうだね。相談か。…それなら可能性が無いわけじゃないね」
「だからさっき言ったじゃん!悪い反応じゃないかもって」
「いや、一人で悩んで考えたとしたら、断ってる気がするんだ。だからさっきの時点では難しいと思ったけど、恵梨の対応によっては谷君といい方向に進めるかも」
「え!?私に二人の今後がかかってるってこと?急にプレッシャーかけないでよ!」
「ごめん。でも、そのくらいの気持ちで相談聞いてあげてよ」
「そうなのかな…。とりあえず相談OKて返信しないとね」
「うん」
恵梨は二人にメールを返信して、次のメールを待った。その間、玲二はスープを飲みながら何やら考えている。玲二が考え事をしている時は話しかけづらいので、恵梨は黙ってパスタを食べていた。少しして美幸からメールが着た。
『ありがとうございます。時間と場所はどこでも構わないです。私の相談で会ってもらうので、恵梨さんの都合がいいところで大丈夫です。』
「だって。んー、やっぱり話しやすいところって言ったら、喫茶店とかかな。あとはなんか個室があるところとか…」
「あのさ、うちに来てもらったら?」
「うち?」
「そう。ちょっと考えたんだけど、うちなら周りの人に気を使わないで話せるし。美幸さんの家からもそう遠くは無いんだったよね?もしかしたら俺も男側の意見で相談に乗れるかもしれない。もし俺がいるのが嫌だったら外出するし」
「なるほど。確かに下手なところに行くよりは落ち着くかも。主に私が」
「いや、恵梨が落ち着いても仕方ないけど、一回聞いてみてよ。たぶんOKしてくれるはず」
「なんで?…まぁいいや。とりあえず返信する」
数分後、食事を終わらせた頃に美幸からの返信が着た。
『ありがとうございます。お邪魔させていただきます。お昼を食べたあと、13時頃に伺います。確かに男の方の意見も聞けたら参考になると思うので、彼氏さんには無理に出かけて頂かなくても大丈夫です。そもそもお邪魔させて頂くのに追い出すことなんて出来ません(笑)』
「美幸来るって。ほんとにOKしてくれたね」
「相談する相手が自分の家のほうがいいって言ってきたら、わざわざ外に出させるのも悪いと思ってOKしてくるんじゃないかと思ったよ。特に、美幸さんみたいなタイプは気を使っちゃうだろうし」
「なるほど。言われて見ればそうだね」
「うん。そういえば谷君はメール返ってこないね」
「そうだね。『当たって砕けちゃったな(笑)』って送ったからかも」
「それは酷い…」
いつものように食器を洗って、というか玲二が洗ったものを拭いていると。また恵梨の携帯が振動している。谷か美幸からまたメールがきたと思ったらどうも違う。メールではなく着信のようだった。急いで電話を取りに行くと、そこには「実家」の文字が。
え、なんだろう。珍しい。 ピッ。
「もしもし、恵梨ですけど。どうしたの?」
「あぁ、恵梨?急だけど明日明後日お母さん達そっちの近くに行くから、会えないかと思って」
「えぇ?なんで?ホント急じゃない。なんの用事で来るの?」
「いやほら、いろいろよ。とにかく行くから予定空けておいてね?」
「いやいや、そんな急に無理だよ!明日は友達がきて大事な話するし!何も用意できないよ!」
「そうなの?そしたら明後日の夕方だけでも寄らせて貰うから!用意とかは気にしないでいいわよ」
「え、ちょっと!私にだって用事が!」
「明後日も何かあるの?」
「な、無いけど。」
「そう。じゃあ明後日また朝頃に電話するから。あ、彼氏はそのままでいいからね!気を使って出かけようとかしないでいいからね!」
「どういうこと!?」
プツッ。ツー…ツー…。
なんなんだ。いきなり電話かけてきて、一方的に用件を言って、返答を待たずに切られた。悪質な詐欺だと思いたいが、とにかく明後日親が来ることになった。
「なんかあった?」
「明後日の夕方、両親がうちに来るみたい」
「え、そうなんだ。じゃあせっかくの家族水入らずだから俺は…」
「いや、ごめん。彼氏は家にいろって。言ってた…」
「…それって。もしかして俺に会いに来るのかな」
「かも知れない…。急だけどごめんね」
「いや、いいけど。…頑張るよ」
普段見ない玲二の苦笑いを見ながら、明日と明後日の事を考えた。明日は美幸がうちにきて、谷との事の相談を受ける。玲二曰く、美幸と谷がうまくいくかどうかは明日の相談にかかっている可能性が高い。明日だけでもプレッシャーで気が重い。
さらに明後日は、両親がうちに玲二を見に来るらしい。何故急にそんなことを言い出したか分からないが、そろそろ両親に紹介する時期かとは思っていた。しかしまさかの両親急襲。さらに気が重い。1時間の間に漬物石の上に漬物石が乗った鏡餅型の漬物石が背中に重く圧し掛かってきた気分だ。
すっかり雨が止んだ外を見ながら「なんだか、大変な週末になりそう…」と呟いた。