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バターミルクランチドレッシング(前)

 昨晩、寝る前はまだ小雨だったのが、朝起きてみると外は土砂降りだった。寝ぼけ眼で外を見ると、ねずみ色の空から雨粒のカーテンが降り注いでいるようだった。激しく雨粒が叩きつけられているアスファルトは、水溜りというよりちょっとした川のように雨水が流れていた。

 とても、会社に行きたくない。降り注ぐ雨粒と、アスファルトに跳ね返った雨粒のダブル雨粒攻撃を喰らうのが目に見えている。どう考えても靴がぐしょぐしょになる。電車の中だって、先端から雨粒を垂らしたびしょびしょの傘が申し訳無さそうにひしめき合ってるに違いない。会社に着くだけで満身創痍だ。想像するだけで憂鬱だったので、恵梨は考えないで支度をすることにした。

 朝はいつもパンだった。トースターで1分ほど焼いたパンに、レタスやルッコラ、ブロッコリーなどを手でちぎって乗せる、その上からドレッシングをかけた。ドレッシングも野菜も、何を使ってもパンには結構合う。ただあまりにも粘度が低く、サラサラなドレッシングだと、少し食べ辛いので注意が必要ではある。今日は気分でオニオンフレンチにした。

 洗面所から蛇口をひねる音が聞こえた。玲二が起きてきて顔を洗ってるみたいだ。パンは玲二の分も一緒に作り、テーブルに並べた。

 飲み物類は基本麦茶と紅茶しか置いていない。冷蔵庫の飲み物やボトル関係を入れるポケットが全てドレッシング博物館のブースになっているからに他ならない。紅茶は野菜室に1.5Lのペットボトルが置いてある。玲二は紅茶が大好きだったので常備している。恵梨は紅茶の匂いがあまり好きではなかったので専ら麦茶を飲んでいた。

「おふぁーよう」

「おはよー」

 麦茶と紅茶をそれぞれのテーブルに置いたところで玲二が欠伸をしながら入ってきた。玲二は席に着くと窓の外を恨めしそうに見つめながら恵梨に聞いてきた。

「ひどい雨だね。ちゃんと眠れた?」

「ね。夜中に本降りになったみたいだね。爆睡してて全く気付かなかったけど」

「そっか。なんか、会社行きたくないね」

「ねー。絶対ずぶ濡れだよ」

 お互い苦笑いしながらパンをかじった。


 会社に着いた頃にはやはりびしょ濡れだった。誰もが壮絶な戦いを繰り広げた後のような顔をしながら傘を畳んでいた。不幸中の幸いか風は強くなかったので、台風突撃のような酷さでは無い。にも関らず滝行でもしてきたかのような猛者もいた。一体どんな傘の差し方をしたんだこの人たち。そう思いながらざっと猛者の顔ぶれをちら見した。その中の1人に谷の姿があった。

「すごい事になってるけど何があった」

「あ、川野先輩。おはようございます」

「おはよう」

「俺って傘下手なんですね。23年間生きてきて今日初めて分かりました」

「傘下手ってよく分からないけど普通に差してればそんなにはならないと思う」

「俺だって普通に差しているつもりでしたよ!一般人にはどうせ(かさ)下手人(へたんちゅ)の気持ち分かりませんよ!」

「うみんちゅみたいに言うな!」

「ふふ。おはようございます」

「! おはようございます!」

「おはよー」

 気付いたら背後に笑顔の美幸がいた。いつも通りの空模様の道を歩いてきたかのように立っている。この土砂降りの中でなぜこれだけ濡れないでいられるのか不思議でならない。

「美幸は、傘うまんちゅだね。谷に傘の使い方を教えてやってよ」

「使い方って言われても…。普通に差しているだけですよ」

「普通かぁ…」

 美幸に傘を教えてもらえるかも知れないという謎の状況にも関らず、無駄に何かを期待した谷が落胆しながら呟いていた。


 昼になると雨は少し勢いが弱まっていた。美幸は雨が1日中降ることを見越して、お弁当を持ってきていた。こんな雨の中じゃいつものように外に出るのが億劫だったからだろう。可愛らしいお弁当箱に、小さいタッパーに入ったフルーツ入りのサラダ。美幸の自家製だというドレッシングがかかっていた。

 恵梨は出勤前にコンビニでサンドイッチを買う予定だったが、忘れてそのまま今に至る。仕方ないのでコンビニで何か買ってこようかと思い財布を取り出した。ちょうどそこに谷がやってきて、当然ごとく谷も弁当類は持ってきていないので一緒に買いに行くことにした。

「せっかくだからコンビニじゃなくて、どこか食べて来ちゃいませんか?」

「え?いいけど。さっさと買って戻ってきて美幸と食べたほうが良くない?」

「いや、…ちょっと、お話したいことが」

「なるほど。美幸がいたら話せないことなのね」

「そういう…感じです」

「分かった。一応美幸には、めんどくさいから外で食べてきちゃうことにしたってメールしとくね」

「ありがとうございます」

 いつになく神妙な顔つきをした谷に、美幸がいない方がいいという状況。これは、当然恋の相談だろうと予想はついた。茶化してやろうかとも思ったが、少々落ち込んでいるようにも見えるので、真剣に聞いてあげることにしよう。

 いつもの牛丼屋だと話しにくいこともあり、安いイタリアンが売りのファミレスにした。この雨のせいかお客さんも少なく、話すにはちょうどいい環境だった。お互いに適当に注文すると、谷は一口水を飲み話し始めた。

「実は俺、内海先輩の事が好きなんです」

「知ってる。見れば分かる」

「で、ですよね。それで、んーと、何から話せばいいのやら」

「何からって?時間も限られてるから簡潔にお願いね」

「あ、はい。一回内海さんに告白したことがあって…」

「え!?そうだったの?」

 谷と美幸の関係は一切進展している様子は無く、逆に後退している様子も無かった。告白したことすら感じられない程に、今まで通りだったのだ。

「いつ告白したの?」

「去年の11月です。内海さんの―」

「あー、誕生日だもんね美幸」

「そうです。誕生日の次の日に」

「そうだったんだー。でもダメだったんだよね?」

「はい。恋愛とか、そういう事はあまり得意では無いし、考えられないって。弟のような存在で、それ以上では無いと」

「へぇ~。なるほどね。でもそんな感じはする。他の男共よりは谷のほうが距離は近いと思うんだけど。やっぱり姉弟に見えるもんね」

「ですよね…」

 客観的に見て姉弟以上の関係になるのは難しい気もした。仲のいい恵梨のような人物にさえ、敬語だったり敬称が"さん"のままだったりと、どことなく深くまで立ち寄らせない雰囲気があった。実を言うと恵梨ですら2年ほど「川野さん」と呼ばれていた。表面的な人付き合いは決して下手ではなく、むしろ社交的な部類だ。しかし、それ以上の付き合いとなると、相手に深くを見せようとはしない。内面を見せることが苦手なだけなのか、見せたくない何かを意図して守り続けているのかは定かではなかった。

 それでも、谷を擁護する訳ではないが、谷との接し方が他の男性陣と違って見えるのは事実だ。弟のようなポジションではあるが、基本が表面上での付き合いである美幸に身内のような感覚を覚えさせるという点では、他の誰よりもとても近しい間柄になっているように思えるからだ。実際に美幸自信がどう思っているかは知らないが。

「正直言うと。その時は"弟"であることに満足してしまいました」

 なるほど。と思った。告白の後でも変な蟠りが見えなかったのは、その時点で双方納得の上で今の兄弟のような関係を続けていくことを選んだからか。

「でも、やっぱりそれじゃ駄目だったんだね?」

「はい…」

 人間というのは欲深い生き物だと思う。好きな人が見つかると、少しでも仲良くなりたいと思う。最初のうちは、側にいられるだけでも満足かも知れない。しかし、段々と気持ちは大きくなる。もっと近い間柄で、相手に特別に想ってもらいたいと。谷は、今この段階まで着ていた。しかし、次の一歩に気持ちが向かってしまった。"弟のような特別"ではなくて、相手の好きな人になりたいと。

 この半年、次第にその気持ちが増していった。それと同時に、美幸との距離は1cmも縮まらなかったように思う。離れないだけであって、どう足掻いてもこれ以上近づけない。谷は焦りを感じていた。

「今朝も…少しでも、もっと仲良くなれるきっかけになるかと思ったんですけど」

「ん、何が?」

「傘教えてもらうってやつです」

「あぁ…」

 完全に冗談で言ったものだったし、ある程度美幸の返答も谷の反応も想定済みだったので自分としては満足していた。正直なところ、飼い主にかまって貰いたいのにその事に気付いてもらえない飼い犬みたいで面白い。とか思ってた。今考え直すと、面白がっていたことがすごく不謹慎な事に思えてきた。谷の純粋な気持ちを弄んだような妙な気持ちになった。その罪滅ぼしのほうな気持ちと、純粋に応援したい気持ちもあったので、積極的に協力してやろうと思った。

「協力はするよ」

「ほんとですか!?」

「うん、でも、正直どうしたらいいかは分からない」

「そうですか…」

 その時、注文した料理が運ばれてきた。

「とりあえず、食べながら考えてみようか」

「そうですね。時間も限られてますもんね…」

 食べながら、簡単に今の状況を整理してみた。まず、谷は美幸と恋人になりたい。しかし美幸は現時点では弟のような関係しか望んでいない。さらに、谷が弟の関係で満足していると思っているはずだ。現に告白はその一回切りだった様だから尚更満足しているはずだと思ってる可能性は高い。そこで更なる一手としては、やはり弟としての関係では無く、ちゃんと恋人になりたいのだと分からせる事が大事な気がする。

「少なくとも、このまま谷が何もしなかったら、美幸は今のままだと思う」

 二人ともが気持ち早めに食事を済ませたところで、食べながら考えたことを谷に伝えた。谷は自分でも同じ事を考えていたようで、何度も深く頷きながら聞いていた。まるで自分の答案を、恵梨の答案と比較採点するかのように。採点が終わった谷は一言呟いた。

「やっぱり、そうですよね。俺も、もう一回告白するしかないと思ってます」

「別に告白じゃなくてもいいとは思ったんだけど、やっぱり今のままのアプローチだときっと駄目だと思う。美幸が単純に鈍感なのか、分かってるけど敢えて流しているのかは分からないけど。「弟」のさらに先に行くには、結局はもう一度自分のちゃんとした気持ちをぶつけるのがいいと思う。私の中では、そういう結論に至った。あとは、谷がどうするか、美幸がどう思うか。それだけだと思う。まぁ参考程度にね」

「はい。ありがとうございます」

「ま、頑張りな」

「…はい」

 谷の返事は、不安な気持ちを含みながら、それでいて更なる告白を決意した強さがあった。話が纏まったので二人は会社に戻った。美幸の「何食べてきたの?」と言う問いに対して「ちょっとね…」と何故か意味深な返しをしてしまい、美幸は少し怪訝な表情をしながら席に戻っていった。

 恵梨は気持ちを切り替えてデスクに向かった。

無駄に長いので前後編に分けました。

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