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きざみ玉ねぎドレッシング

「コー…」

 ここはどこだろう、霞がかった世界の中で、呼吸をするような音がする。

「コーホー…」

 "呼吸"のする方へ目を凝らしてみると、そこには全身が真っ黒なマントに包まれていて、顔にはどこかで見たことのあるこれまた黒いメット型酸素マスクみたいなものを被っている人がこちらを見つめて立っている。よく見るとマスクの額にヒントのように"D"の文字が入っている。

「目が覚めたか…コーホー」

 喋った。某ダンステクノユニットみたいな機械で加工されたような声だ。

 謎の変態と見詰め合ったまましばし時が止まる。

「はっ!…え、あなたは…。まさかダースベー…」

「違う!私はドレッシングベーダ―だ!」

「語呂悪っ!」

「コーホー。お前も暗黒面…と書いて、"ドレッシングサイド"と読む。に堕ちるのだ恵梨よ」

「なんだその説明口調!…って、え?どうして私の名前を知っているの…?」

「コーホー…分からないか?恵梨」

「え?まさかあなたが。…あなたが、玲二をドレッシングサイドに堕としたのね!?」

「違う。そうじゃない。」

「何が違うの!彼氏を戻して!(正気に)」


「私がお前の彼氏。玲二だ。」


「え、まさかそんな…―」


「嘘だーーーーーーーーー!!」

 がばっ!と音がする程ものすごい勢いで掛け布団を蹴飛ばしていた。

「何!どうしたの!?」

 寝ぼけて叫んだ「嘘だ」の声で玲二は飛び起きたようだ。よく見ると軽くファイティングポーズをとっている。恵梨は今だ激しく鼓動する心臓が落ち着くのを待ち、ゆっくりと応えた。

「思い出せないけど、何かとても嫌な夢を見たの」

「すごい形相で嘘だーって言ってたもんね」

「え、そんなすごい顔してた?」

「うん、してた。それより大丈夫?」

「うん。落ち着いた。ごめんね」

 傍らのスマートフォンをいじり時間を確認すると、まだ4時だった。なんと迷惑な彼女なんだろう。午前4時に変な夢見て錯乱して彼氏にファイティングポーズをとらせるなんて、そんな女聞いたこと無い。それにしても一体何の夢だったっけ。無理に思い出そうともしないで二人はそのまま眠りについた。


「おはようございます!」

 急に元気でさわやかな声が後ろからして、恵梨と美幸はビクッとした。

「声がでかいよ!」

「ふふ。恵梨さんも大きいですよ」

 あぁ、またカスミソウが風に揺れている。思わず見蕩れてしまいそうな笑顔。そんな笑顔に本当に見蕩れているヤツが目の前にいた。

「あ、すいません川野先輩。そんなに大きいつもりは無かったのですが」

 私を先輩と呼ぶ目の前のさわやか君は、入社2年目なのにまだフレッシュさが残る谷一だ。一は"はじめ"と読む。字面だけ見ると、ご両親も大胆な名前をつけたものだと思う。だが語呂はいい。

「お昼、ご一緒してもいいですか?」

「もちろんです」

 美幸の笑顔に完全にノックアウトされている谷。こいつは、何を隠そう美幸の大ファンで時々お昼にお邪魔してくる。当の美幸は気づいているのかいないのかちょっと分からないが、同僚以上のことはどうも望んでいない。良くて可愛い弟

程度の存在なのだろう。

 弟程度の存在ではあっても、やはり美幸は敬語で接していた。谷も「自分は後輩だし、年下なので敬語は止めて下さい」と、いつかの私のように申し出ていた事がある。しかし「この方が話しやすいので」と美幸に言われてからは、それ以上敬語の事には触れなくなった。物分りがよく思えたが、やはりどこか不満というか、不安に近いものを谷が感じているような気はした。その気持ちはよく分かった。

「今日は曇ってますね。昨日はあんなに晴れてたのに」

 谷は空を見上げながら残念そうに呟いた。

「だねー。午後からは雨予報だしね。」

「え、そうなんですか?俺傘持ってきてないです…」

「馬鹿だねー!梅雨なんだから折りたたみくらい鞄に入れときなよ」

「うち折りたたみ無いんですよ。大きい傘あれば十分じゃないですか?」

「買えよ。あったほうが便利でしょ?」

「確かに、うちの傘立てコンビニのが10本くらい刺さってるからこれ以上買いたくないですし」

「ホント馬鹿だな!」

「ふふ」

 くだらないやりとりを見て美幸は微笑んだ。谷はとても満足そうだ。美幸の笑顔を1日1回でも見ることが彼の生きがいなのでは無いだろうかと思えるほどの笑顔だ。ちょっと鼻の穴が膨らんでいる。

「そういえば恵梨さんはどうして昨日あんなに楽しそうだったんですか」

「えぇ!?今それ聞くの?」

「え?なんですかその話。先輩いい事あったんですか?」

「いや、別に」

「もったいぶらないで答えてくださいよー!」

「そうですよ、白状してしまいましょう」

 面倒なことになった。余計なヤツがいる分昨日言っておけばよかった。谷は内海先輩の為なら!とでも言うように妙な使命感を感じているようで、いつも以上にしつこく聞いてきた。恵梨はあまりにもしつこいので仕方なく白状した。うまく嘘をついて逃げられない辺り、自分の馬鹿正直さが憎い。

「彼氏が、ドレッサーなのは言ったことあるよね?」

 ドレッサーという用語は既に二人には説明してある。

「あー、先輩の彼氏さんはドレッシング大好きなんでしたっけ?」

「そう。でもいつも私の料理には気を使ってドレッシングかけなかったの」

「いい人だ」

「そういえばその話聞いたことあります。堂山さんでしたっけ。恵梨さんを大事に想ってる素敵な方ですね。」

 美幸にそう言われると少し照れる。谷は別にいい。

「それで、好きなのにかけないのって我慢してるってことじゃない?だから、私が作った料理でもドレッシングかけていいよって言ったの。そしたらあんまり表に出しているわけじゃないけど、喜んでたみたいで…」

「それで、昨日はにやけていたんですか?」

 あまり見られないようなニヤニヤ笑いをしながら美幸が聞いてきた。そんな顔したらカスミソウが台無し!いつもの美幸に戻って!と心の中で叫びつつ恥ずかしくて顔が赤くなっていた。そこに谷が、

「なぁんだ。ノロケですか。笑っちゃいますね」

 プツン―。何かが切れた音がした。

「てめぇ谷…!いっぺん死んで見るか?」

「先輩口悪いです!眼力も半端無いです!元レディースか何かですか!?」

「そんなわけあるか!」

「くすくす」

 どうも、谷を相手にしていると口が悪くなる。もっと慎みを持たないと。もう今年で27歳。立派なレディーだというのに!こんなんだから美幸にも笑われてしまうのだろう。そんなこんなで、午後は落ち着いて仕事することした。

 

今日は昨日と違い少し残業してしまった。時刻は18時半。美幸は定時にあがっていた。少し足早に外に出ると、予報通りしとしとと雨が降っていた。用意していた折りたたみ傘を差そうとしたら、雨に濡れた谷が小走でこっちに向かってきていた。

「あら、谷もちょうど帰り?忘れ物?」

「あ、川野先輩。いやー今日は結構遅くまでかかっちゃうの確定だったから。そこで、唐揚げ丼買ってきてたんです」

 谷は、片手で頭や肩の雨粒を払いながら、もう片方の手で会社近くの牛丼のチェーン店を指差していた。

「あららー。最近残業多いの?あんまり無理しないようにね」

「ありがとうございます。…あの、内海先輩は」

「もう先帰っちゃったよ。定時終わりだったみたい」

「そうですか。あ、先輩の彼氏によろしくお伝えください!ではまた!お気をつけて」

 何をよろしく伝えるのか分からないが「頑張ってね」と言って帰路についた。


 家までは大体40分で着く。今日はあまり買い物もしなかったし、19時半前には台所の前にいた。玲二はまだ家に帰ってきていなかったが、すぐに帰ってくるだろう。昨日の唐揚げを使って先ほど都合良く谷が買っていた唐揚げ丼でも作ろう。それとサラダ&スープ。

 余って冷凍していたご飯を解凍して丼に盛る。ご飯の上に刻みのりを敷いて、その上に温めた唐揚げを乗せる。唐揚げの上にさらにこれまたレンジで作った簡単温泉卵を乗せる。そこにきざみ玉ねぎドレッシングをかける。最後に彩りにネギを刻んでパラパラかけたら出来上がり。我ながら手抜き感満載だ!レンジ最高!

 サラダを盛り付けていると玲二が帰ってきた。

 唐揚げ丼にサラダ。それに加えてインスタントのスープと、恵梨の実家から送られてきた漬物もテーブルに並んだ。

「ごめん。手抜きです」

「そんなこと無いよ。美味しそう」

 恵梨の分も麦茶をいれてくれた玲二が席に着いた。

「いただきます」

「いただきます」

 もぐもぐ。うん。やはり、割といける!ずぼら飯万歳。

「美味しいね。二日連続唐揚げなんて幸せだ」

 皮肉ではなく、本当に幸せそうな笑顔で言ってくれた。美幸の素敵な彼氏発言がふと蘇りちょっと恥ずかしくなった。もう付き合って2年半だし。こんなに自分の事を大切に想ってくれる人には出会えないかもしれない。私も27歳だし。

 結婚の2文字がそれとなく頭をよぎった。玲二はどう考えているのだろうか。はっきりとそういう話をしたことは無かった。

「ふー。ご馳走様でした」

「ごちそう様」

「お皿洗うからいいよ。」

「うん。じゃあ私が拭くね。あ、水出しすぎないでね」

「うん。もう大丈夫」


「そういえばね、会社の後輩がよろしくって言ってた」

「え、何で?」

「玲二の話が出たから、素敵な彼氏だって言われたよ」

「ほんとに?っていうかなんで俺の話が出たの」

「え、それは…」

「それは?」


「秘密」

「…そっか」


 雨はまだ静かに降り続いていて、天気予報によると明日も1日中雨らしい。少し外を眺めながら「明日は長いビニール傘でもいいかな…」と呟いた。

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