愛猫
今日は私の大切な、とってもとっても大切なご主人の紹介をしたいと思います。
この世に生まれて8か月と15日。まだまだ未熟な私の、とっても未熟な一人語り。
私の下手な言葉では、ちゃんと伝えられるかちょっぴり不安です。でも、ご主人への愛は誰にも負けません。この思いは本物です。
私のお話、どなたか聞いてくれますか?
ご主人のお名前は、「トモヤ」さんといいます。人間の名前は難しいので良くはわかりませんが、いつもみんなにそう呼ばれているので、たぶんそうなのです。猫の私にとっては、ご主人はご主人なのであまり気になりません。でも、とっても優しい感じがしますから、良いお名前だということは私にもわかります。
お歳は18歳。私たち猫からしたらもう立派なご老人、いえご老猫さまですね。なのに人間の中ではまだ子供の部類だそうです。人間とは長生きなのだそうですね。うらやましいです。
そうそう、ご主人は学校という所に毎日行きます。いつも同じ服――制服というそうです――を着て、ママさんの作ったお弁当を持って行きます。不思議でしょう? そこで何をしているのかさっぱりわかりませんが、朝早くから夕方まで帰ってきません。なのでご主人が学校に行っている時は、ママさんと一緒にお留守番です。ちょっぴり、いいえ。とっても寂しいのですが、そこは我慢です。駄々をこねてご主人を困らせたくはないですから。それにご主人は、私がお見送りとお出迎えをすると必ず抱っこして頭を撫でてくださいます。ね? 優しいでしょう。
そんな優しいご主人と私の出会いは今からさかのぼること7か月前のことです。え? 最近のことじゃないかって? そんなこと気にしないでくださいませ。
7か月前といえば、私は生後1カ月。まだまだ母様の後をついて歩くばかりの子猫でした。
ある日のことです。お昼寝から目を覚ました私は、真っ暗でせまい箱の中にいました。ついさっきまで母様と兄弟たちと一緒にいたはずなのに、何故かそこには私だけ。びっくりして箱から出ようとしましたが、出口はみつかりません。なんとか頑張ってふたを少しだけ押し開けることだけはできました。
しかし、隙間から見えたのはいつものお家の天井ではなく、ひどく淀んだ空でした。おまけに雨まで降っているようで、箱の中にぽたぽたと水が入ってきます。
(母様ぁ。兄様ぁ)
冷たい雨と薄闇に怯えながら、私は必死に叫びました。もっともこれは人間からすれば、猫がにゃあにゃあと鳴いているようにしか聞こえなかったのでしょうが。
案の定その泣き声を聞きつけてか、箱に近づいてくる足音が。そして箱のふたが乱暴に開かれます。そこにあったのは人間の男の子の顔でした。私と目が合った瞬間、男の子は目を輝かせて持っていた傘を放り投げました。
「兄ちゃん、にゃんこが入ってる! にゃんこ! にゃんこ!」
男の子は興奮気味に私を抱えあげて後ろを振り向きます。そこにいたのが、
「捨て猫か? あ、おい夏樹。そんな乱暴に扱うな。かわいそうだろう」
そう。私の愛するご主人様なのでした。ちなみに私を抱えているのは幼稚園に通う弟さんのナツキ君です。
「ほら、早く戻してやれ。帰るぞ」
「えー。連れて帰ろうよ」
「だめ」
「飼いたい、飼いたい!」
ナツキ君は頬を膨らませます。
(おろして、おろして!)
そしてナツキ君の小さな腕の中でもがく小さな私。まあその叫びも人間には理解できません。
その間にも私をはさんで、ご主人とナツキ君の飼う飼わないの攻防が続いていました。やがて――
「うう……」
折れたのはナツキ君の方でした。ナツキ君はべそをかきながら私を箱の中に戻します。ナツキ君に解放されて安心する私。ですがほっとしたのも束の間、またしても私の視界は暗闇に覆われてしまいます。箱にふたをされてしまったのです。
(暗いよう。開けてよう)
私の声もむなしく、遠ざかっていくお二人の足音。私は再び一人になりました。
母様や兄弟たちはいったいどこに行ってしまったというのでしょうか。そして自分は何故こんなところにいるのでしょう。ほんのちょっと前までは温かいお家の中で兄弟たちと遊んでいたというのに……。
それに先程聞こえてきたこの言葉。
『捨て猫か?』
降ろしてもらいたい一心だったので先程は気に止めませんでしたが、それは私のことでしょうか?生まれて日の浅い私には意味は分かりませんでしたが、その言葉は何故か私を不安にさせました。
ーー寂しい。 寂しい。 寂しい。
私はいっそう大きな声で叫び続けました。
それからどれ程たったでしょうか。鳴きつかれた私は眠ってしまっていたようです。
そして、目を覚ました私は、またしても思いもしない出来事に慌てふためきました。
私はもう暗い箱の中にはいませんでした。固く冷たい箱ではなく、どこかの部屋のふかふかの布団の上で寝ていたのです。
辺りを警戒しながらぐるぐる見回し、そこかしこを動き回りました。ベッドを下りると、窓際の机、沢山の本が並んだ本棚、部屋の中にはいろいろなものがありました。
ここは、どこなのでしょう……?
その時です。
「あー! にゃんこ! 兄ちゃん、にゃんこ起きてるよ」
部屋のドアを勢い良く開けて入ってくる声がありました。この声には聞きおぼえがあります。そう先程のあの男の子ナツキ君です。
ナツキ君は私の姿を認めたとたん、こちらに向かって走り寄ってきました。びっくりした私はカーテンの後ろに飛びのきます。
「あ、逃げた」
ナツキ君は興味津々に私を見ます。私も毛を逆立てながら、彼とは真逆の気持ちでナツキ君を見つめます。そのまま数秒間、私たちの間に沈黙が流れました。
そして、初めに動いたのはナツキ君でした。彼は私めがけて飛びかかろうと、体を縮めるナツキ君。
その時――
「だから、夏樹。びっくりするから追いかけるなって言ってるだろう。言うこときかないと、その猫さっきの所に返してくるからな」
部屋に入ってきた新たな声に、ナツキ君は私に飛びつくタイミングを逃し、前につんのめります。
そこにいたのは、もうお分かりでしょう。我が愛するご主人様です。
片手にミルクの入った器を持ったご主人は、私を片手でひょいと持ちあげました。小さなナツキ君は手が届かないので、恨めしそうにお兄さんであるご主人を見上げています。
ご主人は少し迷った後、私を再びベッドの上に降ろしました。
「ほら」
そして、目の前にミルクを差し出してくださいました。私は恐る恐る口をつけました。
その後は、一心不乱にミルクを飲んだと記憶しています。
何と慈悲深いことでしょう。あの雨の日、ご主人は私のところに引き返して来てくださったのです。あのままでいたら、私はきっと……。
このご恩、猫の私の短い一生では返しきれません。
と、これが私とご主人との出会いなのです。どうです? ご主人の優しさ、伝わりましたか? でしたら満足です。
あれから7カ月とちょっと。マルという素敵な名前もつけてもらい、私はナツキ君を遊び相手に、ご主人の優しさを一身に受けながら日々暮らしてきました。暮らしてきたのですが……
ですが最近、ご主人の様子が変なのです。そっけないというか、何というか。あまり構ってくれないのです。
その答えは、意外にもすぐに分かりました。
どうやら最近、ご主人に親しいお友達……何というんでいたか。ああ、そうだ。ガールフレンドさんができたみたいなのです。名前をアヤさんというそうです。ご主人がいない時に、ご主人のお姉様とママさんがお話しているのを私聞いたんです。
なるほど。ご主人も立派な男性です。女性の一人や二人や三人……おっと失礼。猫の感性で見ては話がややこしくなってしまいますね。……むむぅ。話を戻しましょう。
構ってくれない理由に納得はいきました。いきましたが、気持ちの面では話は別です。そこで面白くないのは、お兄ちゃん子のナツキ君とこの私。
毎日帰りが遅い上に、夜はアヤさんと電話でお話。ナツキ君と私は置いてけぼりです。 たまに、遊んでくれると思えば、ナツキ君と私でご主人の取り合いになってしまいます。ご主人がいない生活は、寂しいものです。
そんなある日、ご主人がお家にアヤさんを連れてきました。それはそれは可愛らしいお方で、悔しいけれどご主人とお似合いでした。
私が部屋の隅で警戒心をむき出しにしていると、アヤさんはそれを気にすることなく見事な猫さばき(?)で私を抱き上げました。
「可愛い。名前なんて言うの? まだ子猫でしょう?」
アヤさんはしきりに可愛いを連発しながらご主人に話しかけます。可愛いって言ってる自分が可愛いと思ってるんでしょ、どうせ。まあ、実際アヤさん可愛いんですけど。
それからアヤさんは私を気に入ってしまったようで、ボールや猫じゃらしで一緒に遊びました。いえ、私が遊んであげたんです。。……不本意ながら楽しかったのは事実です。
2、3時間いたでしょうか。アヤさんは「また来るね」と、私の頭を撫でて帰って行きました。勿論、優しいご主人は駅まで彼女を送ります。うう。羨ましい。
その日から、当面のライバルはガールフレンドのアヤさんになりました。失礼、ナツキ君も立派なライバルでした。
負けませんよ。二人とも。
あっと、こうして長話をしている間に、ご主人が学校から帰ってきました。お出迎えをしなくては。
ナツキ君よりも誰よりも、一番に「おかえりなさい」を言って迎えて差し上げるんです。それからいつものように頭を撫でてもらいます。
そして、ご主人のお膝の上で言ってあげるのです。
昨日よりも今朝よりも、明日はもっと大きな声で、心から気持ちを込めて。
「好き好き好き。だーい好き」
ってね。
……なんて、こいつが思ってるわけないか。
と、僕は我が物顔で膝の上に陣取っている愛猫を一撫でしてそう思う。
マルは小さな口をいっぱいに広げてあくびをすると、丸くなって目を閉じた。
「そうだよなぁ? ご主人様は僕じゃなくてお前だもんな?」
僕の言葉を理解したのだろうか。小さなご主人様はにゃあと一回小さく鳴いた。
と、いうことで、ひたすら猫のマルちゃんがご主人への愛を独白するお話です。でも実はご主人の妄想だったり。
ペットの考えていることを、人間が完全に理解することなんてできません。こうであったらいいな、と妄想に走る智也君でした。