村上太郎
俺の名前は村上太郎。
今年40になる。無職だ。もし、俺が就職活動をするなら、職歴は空欄になる。仕事になるものは何もやってこなかった。地元の友人に、上から目線で話をされることが多々あった。結婚しただの、仕事で管理職に就いただの。人工知能がどうだの。どれもこれも、俺には無縁な話だった。
ただ、俺は夢を追い続けた。
どこにも所属せず、幼い頃に父から習った体の動かし方を何度も繰り返し、俺は大木に渾身の一撃を与え続けてきた。
この日も、俺は近所にある裏山に出向いた。そこは、熊だの猪だの、野生動物が出没する危険な場所だった。
俺が道着姿で、山道を歩いていると、黒色のリュックサックを背負った集団を見つけた。年齢は10代や20代に見えた。金髪の青年が一人いるくらいで、ほとんどが黒髪だった。皆が皆、短髪で、足の太さも大きなものだった。大学の山岳サークルのようにも見える。女子はいなかったので、硬派な集団とも受け取れた。
集団は山道の脇にリュックサックを降ろし、山なりになっているところに腰かけて休憩しだした。俺は彼らを抜かすことになった。山での出会いは、共通の目的を持っているせいなのか、話掛けられることが多く、彼らも同様だった。
「すみません」
男の一人は息を切らせながら、声をかけてきたのだ。短髪の黒髪で、笑顔で尋ねてきた。好青年な顔付きで、決して悪い印象はない。
「はい?」
男は隣の男と顔を見合わせた。隣の男は苦笑いを浮かべていた。
「空手ですか?」
男はそう言って、拳を前に突き出した。様になっていて、空手の経験者のように思えた。
「そうです。これから日課をしようと思って」
一同は感嘆声をあげた。
「僕たち、ボクシングの合宿で、大蔵スポーツ、ボクシングジムっていうんですけど」
「おいおい、名前を言っちゃったよ」
隣の男が合いの手を入れる。
「有名なジムなんですか?」
男は隣の男を見る。隣の男は首を傾げてみせた。
「一応、神谷純也さんのいるジムですね」
「神谷さんですか」
俺は記憶を辿ったが誰か検討も付かなかった。
「あまりテレビは見ないもので」
「ああ、そうですか」
奥のほうで、声がした。
「神谷もまだまだやな」
そう言うと、皆は一斉に笑い出した。腹を抱えて笑い出すものもいた。
「そんなに有名な人なんですか?」
「まあ、プロ戦績1敗で。世界のベルトを持ってますから」
「それはすごいですね」
俺が言うと、男は顔を歪めた。沈黙が流れ、少しして奥のほうから一人の男が現れた。金髪で、いかにもヤンキーらしい雰囲気があった。
「お兄さんも、何かやられているんですか?」
「いえ、特に」
「そうですか」
金髪の男はそう言って、後ろを振り返った。どういうわけか、嫌な空気が流れていた。金髪の男は拳を構え、誰もいない方向に拳を突き出した。シャドーボクシングというもので、空手の型のようなものだった。
「どうです。神谷はもっとすごいんですよ」
金髪の男が言う。
「止めとけって」
奥で声がして、もう一人男がやってきた。
「すみません」
この男が一番強そうだったので、俺は神谷がこの男に見えた。顔は潰れていないので、今までダメージをあまり受けていないのだろう。綺麗な顔をしていた。身長は170を超えていて、階級は中くらいだろうか。
「あなたが神谷さん?」
俺が言う。
「そうですよ」
神谷はそう言って、頷いて見せた。
「すみません、こいつら喧嘩越しで」
「修行中に通りかかった自分も悪いです」
俺が言うと、神谷は苦笑いをした。
「まあ、熊とか猪は普通に出るので、そっちを気を付けたほうがいいんですが」
一同は声を上げた。
「出るんですか」
神谷が言う。
「まあ、出ますよ。ボクシングの世界チャンピオンなら楽勝かもしれませんが」
神谷は笑ってみせる。
「いくら自分でも野生動物は無理ですよ」
神谷の発言を聞いて場は和んだ。
「そうですか?」
俺が言うと、すっと空気が締まった。
「おいおい、神谷馬鹿にされてるぞ」
金髪の男が笑って見せたが、神谷は俺を上目遣いで睨みつけていた。
「熊くらいなら倒せると思いますが、ボクシングだと無理なのかな」
俺が言う。
「無理ですよ」
神谷が言うと、さきほどの好青年な男が俺に聞いてきた。
「熊でても、倒せるんですか?」
「まあ」
一同は感嘆声をあげた。
「まじですか?」
金髪の男も聞いてくる。神谷だけは嫌な顔を向けていた。
「まあ、ここら辺の熊は俺のことを襲ってきませんが」
「襲ってこないって」
好青年が言うと、金髪の男が尋ねてきた。
「証拠にならないじゃないですか」
「呼ばますよ」
俺はそう言って、口元に指を持っていき、熊を寄せる指笛をした。しばらくして、彼らの後方に黒い熊がやってきた。体長は2mくらいで、ここらではでかい熊だ。
一同はリュックサックを背負い、熊に向かって、身構えた。何人かは、このおっさんまじかよって言う顔をしていた。
「おーい」
俺が言うと、熊は身を大きくして、立ち上がった。
「今日はやれるか?」
熊は後ずさりをし、振り返って走り去っていった。ボクシングの一同は皆同様の顔を俺に向けてきた。
「熊と会話ができるんですか」
「まあ、慣れてるから」
「慣れてるって」
好青年はそれ以上何も言わなかった。俺は会釈をして、山道を歩きだした。




