表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/12

4 走り続ける


 ボクたち四人はO博士に別れを告げ、ナンブ記念館を出た。

 ()ちた睡蓮(すいれん)の浮かぶ池を越えて振り返ると、灰色の記念館は黙って微かに振動しているようにも見えた。


 地上へ戻るエレベーターの中で、ボクはこんなことを考えていた。

 いつかはボクも#Gと接続するだろう。#Gはネットワーク型コンピュータなので、#Gと接続した後の情報量は指数関数的に増加するはずだ。それは人間の構造や宇宙の仕組みを理解するのに役立つはずだ。変化が見えるようになるかもしれない。四十年前の第一次大戦の後で、大津波を避けるために完璧な堤防で閉じられたこの星の「海」と言われるものが何なのか、それも分かるかもしれない。



 地上に戻ると既に暗く、上空にある鈍色(にびいろ)の月はボクたちを見張っていたが、ボクたちはまだ帰る気にはならなかった。


「明日のテーマは何にする?」ボクが言う。

「二次元の膜を量子化するために、ⅡA型超弦理論におけるD0膜を自由度とした行列模型によってF時空を背景とする行列を量子化する方法か? へへッ!」フネが笑って答える。

「流体力学上の抽象的なベクトル場の非線形偏微分(ひせんけいへんびぶん)方程式であるナビエ・ストークス方程式の解の存在とその滑らかさの証明だろう?」64もワザと言う。

「万葉集第九巻、一六九三番歌『玉櫛笥(たまくしげ)明けまく()しき可惜夜(あたらよ)衣手(ころもで)離れて(ひと)りかも寝む』はどう?」

 #Gが笑った。

「未来だよ、この星のミ、ラ、イ。どうせ、いつか爬虫類か昆虫が世界を制覇するのかもしれないけれど。どうなの、64?」

 そう言ったボクの中で、その時何かが動いた。


「いや、それよりも海だ!」

 ボクが言う。


「海!」

 全員が叫ぶ。


 ボクたちのインコアの最も奥深くにあるヒトの遺伝子がその言葉を特殊なものにする。深淵なる幽玄の中にある僥倖(ぎょうこう)寂寥(せきりょう)零落(れいらく)の中の驚嘆(きょうたん)

「海!」

 何て新しくて、何て懐かしい言葉なのか!


 ボクたちは動き出す。

 今は夜。

 明けてしまうのが惜しいくらいの美しい色彩と音楽の時空に満ちた夜である。

 十一次元の中ですべての素粒子が振動し、物理的な観測が行われ、事物が固定化される。個別のメモリーの中に、あるいはネットワークの中に、実際には二次元表面上にあらゆる「思い出」が作られる。

 その美しい瞬間。

 ボクたちはもうしばらくこの夜を楽しむのだ。



 ボクたちは疾走(しっそう)する。

 銀色の月を追い、疾走する。

 大地の穴を超え、疾走する。

 故郷の海を目指し、疾走する。

 どこまでも美しいこの夜の中を。

 今は可惜夜元年。電磁気力から解放され、しかし未だ重力の桎梏(しっこく)に縛られたボクたち。

 やがて空は群青から薄紫(うすむらさき)へ、そして乳白色に変わり、いつか夜が明ける。

 しかし、今はまだ夜。

 ボクたちもまだ、何も知らない。


 ボクたちは走り続ける。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ