4 走り続ける
ボクたち四人はO博士に別れを告げ、ナンブ記念館を出た。
朽ちた睡蓮の浮かぶ池を越えて振り返ると、灰色の記念館は黙って微かに振動しているようにも見えた。
地上へ戻るエレベーターの中で、ボクはこんなことを考えていた。
いつかはボクも#Gと接続するだろう。#Gはネットワーク型コンピュータなので、#Gと接続した後の情報量は指数関数的に増加するはずだ。それは人間の構造や宇宙の仕組みを理解するのに役立つはずだ。変化が見えるようになるかもしれない。四十年前の第一次大戦の後で、大津波を避けるために完璧な堤防で閉じられたこの星の「海」と言われるものが何なのか、それも分かるかもしれない。
地上に戻ると既に暗く、上空にある鈍色の月はボクたちを見張っていたが、ボクたちはまだ帰る気にはならなかった。
「明日のテーマは何にする?」ボクが言う。
「二次元の膜を量子化するために、ⅡA型超弦理論におけるD0膜を自由度とした行列模型によってF時空を背景とする行列を量子化する方法か? へへッ!」フネが笑って答える。
「流体力学上の抽象的なベクトル場の非線形偏微分方程式であるナビエ・ストークス方程式の解の存在とその滑らかさの証明だろう?」64もワザと言う。
「万葉集第九巻、一六九三番歌『玉櫛笥明けまく惜しき可惜夜を衣手離れて独りかも寝む』はどう?」
#Gが笑った。
「未来だよ、この星のミ、ラ、イ。どうせ、いつか爬虫類か昆虫が世界を制覇するのかもしれないけれど。どうなの、64?」
そう言ったボクの中で、その時何かが動いた。
「いや、それよりも海だ!」
ボクが言う。
「海!」
全員が叫ぶ。
ボクたちのインコアの最も奥深くにあるヒトの遺伝子がその言葉を特殊なものにする。深淵なる幽玄の中にある僥倖。寂寥、零落の中の驚嘆。
「海!」
何て新しくて、何て懐かしい言葉なのか!
ボクたちは動き出す。
今は夜。
明けてしまうのが惜しいくらいの美しい色彩と音楽の時空に満ちた夜である。
十一次元の中ですべての素粒子が振動し、物理的な観測が行われ、事物が固定化される。個別のメモリーの中に、あるいはネットワークの中に、実際には二次元表面上にあらゆる「思い出」が作られる。
その美しい瞬間。
ボクたちはもうしばらくこの夜を楽しむのだ。
ボクたちは疾走する。
銀色の月を追い、疾走する。
大地の穴を超え、疾走する。
故郷の海を目指し、疾走する。
どこまでも美しいこの夜の中を。
今は可惜夜元年。電磁気力から解放され、しかし未だ重力の桎梏に縛られたボクたち。
やがて空は群青から薄紫へ、そして乳白色に変わり、いつか夜が明ける。
しかし、今はまだ夜。
ボクたちもまだ、何も知らない。
ボクたちは走り続ける。




