プロローグ②「おひな様部屋」の日常?
私、川神亜里沙は入社2年目が終わりかけていた時に最初の人事異動が決まった。
まあ二年で異動するのは大企業でよくあることなのだが、異動先がかなり特殊な部署だったため私は大いに戸惑った。
私の居る電機メーカーの三友電機は、戦前から続く三友財閥グループの中核会社だ。
入社以来、私は第二営業部でアシスタント業務…早い話が雑用…を滞りなくこなしたので、次はいよいよ営業職としての一本立ちを目指せるのか?と思っていた矢先に別組織への異動だ。
普通、営業以外の別組織への異動だと、よほど何かひどい失敗でもしでかしたのか?と思われがちだが、異動先が「おひな様部屋」で、異動理由が私の苗字に「神」の字がついていたこと…で周囲は皆、何かしら察してしまったようで、誰一人、異を唱える人がいなかった。
そう、私の異動先は、三友グループ次期総帥候補、三友陽菜子のための部署、新規事業開発室、通称”おひな様部屋”だった。
出世部署と持て囃す人もいるが、花形の情報システム部署でもなく、伝統の重電部門でもない、捉えどころない”新規事業”では、将来のキャリア実績を積む上で汚点にしかならない、と切り捨てる人もいるくらい、つまりどうでもいい部署なのだ。
そして異動挨拶をした今日、いきなり私は新しい職場の歓迎会に誘われた。
まだ第二営業部の送別会すら行われていないのに、だ。
だが次期総帥候補の陽菜子氏のお誘いとなると断れるはずもなかった。
まあ、どうせこのまま帰宅しても、夕食は家で一人飯をするだけなので、構わなかったが。
それに、三友グループ次期総帥の誘うような店だと、きっと幸路町あたりの高級イタリアンとか、インバウンドの外国人しか行かない店に連れて行って貰えるのではないかと、私は内心期待していた…
だが、ここって…
壱賀矢駅前の安國通り沿いにある、チェーン店の中華料理屋…
まあ、そこそこ安くて美味しいので、たまにランチに行っているお店なのだが…
「カンパーイ!」
林室長の掛け声で、室員一同、ビールジョッキを空けた。
おひな様部屋の飲み会って、とても庶民的なのですね…
まあ、私もそこそこ飲めるからいいんだけど、でもこのコースって飲み放題付きのつまみ二品以上って、これ単なる飲み会だよね。。
そんな私の様子などお構いなしに、酒席が勝手に盛り上がっていく。
「え…と、川神さんって、第二営業部からだっけ??」
林田係長が聞いてくる。
「はい…」
「そっかぁ、、もしかしてうちの部屋に異動が決まって落ち込んじゃっている?」
「え??」
「おいおい林田君、いきなりそんなこと聞いちゃダメだよぉ!まるでウチが島流しの部署みたいじゃないかぁ!」
上機嫌になっている林室長。
違うのかよ?って私は思わず突っ込みたくなったが、陽菜子氏もいるので、ここは様子見だ。
「あのぉ、新規事業開発室の飲み会って、こんな感じで頻繁に行われているんですか?」
とりあえず話題を変えてみる私。
「そうだね~、ほぼ毎日…かな?」
「毎日…?」
私は一瞬耳を疑った。
第二営業部の飲み会なんて、定期異動の時の歓送迎会と社内表彰が出た際のお祝会の時くらいしか集まらないので、せいぜい年数回の規模だ。
今時、飲み会で職場内の活性化を図るなんて令和のこの時代に、どこまで"昭和"な部署なんだろう…
飲み会そのものは別に嫌いではないのだが、本来は気心が知れた友人同士などで行くべきものだろう、と私は考えていたからだ。
「そういえば、川神さんって智仁さまのラインに配属なんだっけ?」
林室長のラインの中林が聞いて来る。
「ええっと、企画チームのことですよね?今のところ林田さんの下に付くことしか聞いてなくて…」
「そうなんだ、まあいろいろ大変かと思うけど、頑張ってね!」
「はあ…」
「まあまあ、そんなに川神さんにプレッシャー与えないで…智仁さまは気難しそうに見えるけど、案外気さくなところもあるから大丈夫だよ!」
林室長が慌ててフォローしたが、この島流し部署の中でも大変な場所って、あるのだろうか?
でも、なんで晴野川智仁のことをみんな「さま」付けで呼んでいるのだろう?
次期総帥の陽菜子氏ならまだしも、今は単なる婚約者なのに…
まあ、あだ名の「王子」なんて呼び方をするのは末端の女子社員たちくらいだろうから、別にいいのかなぁ…
そういえば今日の飲み会の席に同じチームである課長代理の晴野川智仁の姿が見えなかった。
「あのぉ晴野川さんって、今日は?」
「ああ、彼は遅れてくる予定だから…」
「ああみえてね、いろいろ忙しいのよ、彼…川神さん、これからは、どうかよろしくね」
ようやく陽菜子氏が声を掛けてきた。
さすがに次期総帥は晴野川を"彼"呼ばわりしている…
「あ、はい…よろしくお願いします」
私は軽くお辞儀をすると、陽菜子氏は微笑み、
「ふふふ…あなが、どのくらい持ち堪えるのか楽しみにしてるわ」
「ちょっと陽菜子さん、悪い冗談はやめてくださいよ」
「ああそうよね、管理職は大変よね、林…前の人は確か3か月で休職?だっけ??」
「また噂になったらどうするんですか、たまたま体調を崩しただけですから」
すごい、上司なのに林室長を呼び捨てにする…だけど、陽菜子氏の方は「さん」付けなんだ??
それよりも私の前任者が休職?って聞いていなかったんだけど…
そんなにヤバい部署なの?ここって??
「大丈夫ですよ、川神さんは、名字に”神”がついてますから…久しぶりに三人"神"女の完成です!」
若手の林原がフォローするが、
「ダメよ…川神さんは"カミ”で"カン"じゃないわよ…ねえ、神田さん?」
神崎未歩が隣に座る神田英子に話しかける。
「別にどうでも良くない?周りがそう噂しているだけだし…」
「まあ…そうなんですどね」
確かに、二人は"カン"だな、と私はあらためて気付いた。
実は私の配属って、語呂合わせになっていないのか??
「遅くなりました!」
晴野川智仁が颯爽とお店に入って来た。
"王子"と陰で言われるだけあって気品あるオーラに溢れている。
「お疲れ様です!」
陽菜子氏を除く室員全員が立ち上がり、お辞儀をする。
私も釣られて立ち上がり、とりあえず周りに合わせて動いた。
「あー、お疲れ~、智仁さま」
陽菜子氏だけ座って手を上げる。
さすが次期総帥…だが、なぜに陽菜子氏まで婚約者でもある晴野川に"さま"付け?
「あの…これって?」
私は思わず小声で林田に尋ねた。
「ああ…まあこれが日常風景だと思って、すぐに慣れるから」
日常?これが??
二人の室長代理、通称、お代理(お内裏)様の存在って一体なんなの?
次期総帥の陽菜子氏はもちろんのこと、単なる課長代理級と思っていた晴野川も何か特別な存在とみなされているようだ。
私はあらためて、とんでもない部署に配属されたことを実感した。
本当にここは単なる島流し部署なのだろうか?
「川神さん、せっかくの君の歓迎会に遅れて、すみません」
「いえ…何かお仕事だったのですか?」
「ええ、例祭の準備で、ちょっとね…そうだ、良かったら明日、君も見学かたがた同行してみませんか?…林田君、いいよね?」
「もちろん、大丈夫です。川神さんにも早く慣れて貰わないと」
なんか、私を抜かして勝手に話が進んでいる…
「あの…でも私の正式の異動発令は来月1日なんですけど?」
「引継ぎ業務ということで構わないさ」
「でも例祭…て企画チームの仕事なんですよね?」
私の聞き間違いでなければ、例祭って神社かなんかの祭りではないのか?
「うん、私の副業でもあるんだけどね、まあ、それも追い追い説明するよ」
「はぁ」
こうして訳の分からないまま、少し前倒しで私の新規事業開発室での日常が始まったのだった。