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三十四話 真相②

 僕は梨子を連れて走った。

 あの地下道を通って、村から出る事も考えたが、それでは埋女達に追いつかれてしまうだろう。


『健、本堂の中に入って、結界を張りなさい! 後はばぁちゃん達がなんとかする。何があっても朝が来るまで、決して扉を開けるんじゃないよ』


 悪僧達を浄霊し終えたばぁちゃんが、僕の隣で並走しながら飛ぶと、そう言って、後ろに下がっていく。

 背後から迫りくる多数の怨霊達の声は、耳を塞ぎたくなるくらい恐ろしい。

 僕は梨子の、乱れた呼吸音を感じながら、目の端に視えた女達の顔に絶叫する。間一髪で本堂に転がり込むと、中から扉を閉め、慌てて札を張った。


「急急如律令!」


 僕はお腹に力を込め、ばぁちゃんがやっていた、結界の方法を反射的に試してみた。数体の埋女達が、開かない扉にぶつかるような激しい音がし、僕はへなへなと座り込んでしまう。


「間一髪だったけど、この結界もすぐに破られそうだな」


 全員、浄霊出来るか分からないけど、朝までここにいれば、助かるんだろうか。だけど、内側から結界を張ってしまったら、ばぁちゃんもここに入って来られないんじゃないのかな?


「梨子、あの……さ?」


 振り返った瞬間、僕の体は硬直してしまった。先程まで呼吸を乱していた梨子が、手をだらんと垂らし、首を傾げて立っている。

 その目は虚ろで、僕を見ているようで視線は合っていない。

 彼女の背後には、鳥頭村でオハラミ様として信仰された、ダキニ天の大きな仏像が安置されている。仏像は加藤さんの霊視で見た姿よりも、禍々しくて、その体は赤黒く染まっていた。

 古い仏像なのに、妙に綺麗に残っていて、生きているかのように生々しく、不気味だ。

 オハラミ様を凝視していると、キーンという耳鳴りがして、自分の鼻から血が滴り落ちるのを感じた。


「雨宮くん、鼻血」


 そう言うと、梨子はくすくすと笑った。

 梨子は、僕の事を『雨宮くん』なんて呼ばない。彼女は、まるで着物を着ているかのような小さな歩幅で、僕にゆっくりと歩み寄る。


「梨子は、僕をそんなふうに呼ばない」


 そう言うと、目を見開いた梨子の口から、低い女の笑い声が漏れる。彼女の体に重なるようにして、赤い着物の女が視えた。

 夢の中で直視しようとすると、どうしても視えなかった彼女の顔が、ピントが合っていくように、ぼんやりと形をなしていく。  


「芳恵さん、梨子から離れるんだ!」


 ようやく、あの事件の記事に載っていた芳恵さんの顔が視えた。その瞬間、目の前にいるのは梨子ではなく、赤い着物を着た芳恵さんの姿に変わっていた。

 本堂の中は地震が起きたように揺れ、結界の外にいる、埋女達の嘆きの悲鳴が、鼓膜が破れそうなくらい大きくなっていく。


『――――返して。私の赤ちゃん返してよ』


 梨子に憑依した芳恵さんが、そう言って僕の首を掴んだ瞬間、モノクロの映像が目の前に広がった。


 ✤✤✤


智則(とものり)さん!』

『辞めて下さい、彼女は身重なんです。あんた、自分の娘に何をさせる気なんだ! 離せ! 芳恵!』


 鳥頭村と思われる場所で、マタニティ姿の芳恵さんが、若い男性に手を伸ばしていた。

 彼は村民達に捕らえられ、どこか別の場所に、連れて行かれようとしている。

 僕には、この村の情報なんてないはずなのに、智則さんが芳恵さんの夫である事を理解していた。

 彼は製薬会社の人間で、鳥頭村に訪れた際に芳恵さんと親しくなり、両親の反対を押し切って、結婚したようだ。

 鳥頭村を忌み嫌っていた芳恵さんにとって、東京での智則さんとの新婚生活が、どれほど幸せだったのか、そんな感情が頭に入って来る。

 智則さんと芳恵さんは、妊娠してから鳥頭村に寄り付かず、髑髏本尊の御告げが来ても、引っ越しなどをして役目から逃げ回っていたようだ。

 しかし、ついに住人達の手によって拉致され、強制的に連れ戻されてしまった。


『すまない、芳恵。お前が逃げると、父さん達はこの村には居られなくなるんだ。埋女になれば、智則くんは無事に返してやれるんだぞ』


 芳恵さんは、ひたすら手を合わせて祈る父親と、泣き声を押し殺す母親に、絶望と嫌悪、そして悲しみの感情を抱いていた。抵抗する智則さんが、村人達に暴行される様子を見ながら、芳恵さんは泣き叫けぶ。


『分かりました、埋女になります』


 そして、突然場面が変わる。

 産気づいた芳恵さんは、本堂の天上を見ながら、必死に陣痛に耐えていた。

 彼女の両手両足は拘束され、密教僧達が、芳恵さんのお産を見守るように読経をしている。僕は、助産師が赤ちゃんを取り上げようとしていた瞬間を霊視しているようだ。

 ここには、助産師の他にこの鳥頭村の大地主である夫婦と、その息子夫妻が手を合わせ、固唾を飲んで出産を見守っていた。


『うう、ああ、出て来ないでぇ!』


 芳恵さんは絶叫したが、その願いも虚しく彼女の子は、元気な産声を上げる。その時の喜びと絶望感は、男の僕には、とても言葉にする事は出来ない感情だった。

 これから、自分が何をされるかも知らずに、赤ちゃんは元気な産声を上げている。

 助産師から赤ちゃんを受け取った僧侶が、有力者である彼等に見せると、全員が目を輝かせて喜んでいた。

 

『元気な男の子ですよ。これより先も、吉村家の繁栄は、約束されるでしょう』


 今では信じられないが、吉村家に嫁いだ嫁は子供が出来ず、石女(うまずめ)と罵られていた。そして、彼等が最後に頼ったのは、信仰するオハラミ様だったんだろう。

 我が子を奪われ、オハラミ様の元へと向かう、僧侶を見た芳恵さんは獣のように絶叫する。

 オハラミ様の手前に安置された髑髏本尊の前まで来ると、その祭壇に母親を求めて泣く赤ちゃんを置いた。

 

(この髑髏本尊は猿じゃない、あれは人間の子供の頭蓋骨……だよな? まさか)


 産声を上げる赤ちゃんを、密教僧達が取り囲むと、読経は力強くなっていく。その中で一番の高僧だと思われる老人が、ナタを恭しく取り出し、大きく振り上げて、赤ちゃんの首を跳ねた。

 芳恵さんの絶叫が本堂に響き、あまりにも鬼畜な所業に僕は吐き気がした。おもむろに赤ちゃんの両足が掴まれ、逆さ吊りにされると、滴る血が髑髏本尊を真っ赤に染める。

 僧侶が殺生するだなんて、とても信じられないような光景だ。

 贄を捧げられたオハラミ様の目が、闇の中でぼんやりと、妖しく光ったように見えた。

 

『ぎぇぇぇぇぇ』


 その瞬間、晴子と呼ばれた吉村家の嫁が、何かに憑かれたように白目を向き、正座したまま後ろに倒れ込んだ。晴子さんの絶叫を聞いた高僧は、袈裟を鮮血で滴らせながら振り返ると、にんまりと笑みを浮かべる。


『オハラミ様より託宣がありますぞ。今宵、晴子様の腹に、吉村家の立派なお世継ぎが宿りましょう。これで鳥頭村も安泰ですな』


 芳恵さんの精神は限界に達し、言葉にならない咆哮を上げ、罵倒し、泣き叫んでいたが、とうとう猿轡をされて、本堂から連れ出されてしまった。

 もう、これ以上この残酷過ぎる光景を霊視したくはなかったが、芳恵さんはそれを許してくれるつもりはないようだ。


 ✤✤✤

 

 さらに場面は変わり、座敷牢で赤い着物を着せられた芳恵さんの後ろ姿が視える。

 かごめかごめを歌いながら、彼女はしきりに何かをあやしていた。芳恵さんが抱いていたのは、赤黒い血のついたお包みの中で、真っ黒に干からびた赤ちゃんの遺体だった。


「――――あの時の光景だ」


 僕は、その光景をいたたまれない気持ちで、見守るしかなかった。僕が御札の間で会った時の彼女は、あの儀式を終えて、完全に精神を壊した後だったんだろう。

 芳恵さんは、優しい眼差しで亡骸を抱いている。

 この座敷牢で、彼女が何日監禁されているのか分からないが、髪は乱れ、肌は垢にまみれていて、霊視だというのに、糞尿の匂いまで立ち込めるほど、不衛生な場所で監禁されていたようだ。

 しばらくして、数人の足音が聞こえると、村人達が乱暴に芳恵さんを座敷牢から連れ出す。

 奇声を発して抵抗する彼女を引きずると、今度は本堂から脇に少し逸れた、あの大穴がある場所へと連れて来られたようだ。

 僕は、埋女達から逃げるのに必死だったせいで、詳細まで確認していなかったが、大穴を見下ろすようにして小さな祠が安置されている。

 どうやらここにも、オハラミ様の石像が安置されているようだった。


『最後の仕上げです。赤子が無事に育つようオハラミ様に、埋女(うずめ)を捧げましょう。産穢(さんえ)の穴で、オハラミ様の血肉となるのは光栄な事ですぞ』


 産穢には、枯れ葉や小さな枝の他に骨らしき物が見える。正雄さんは、ここに放り投げられた、埋女達を埋葬すると言っていたが、上から土をかける程度では、動物達に掘り起こされてしまうだろう。

 その証拠に、動物に掘り起こされたであろう人の骨が、あちらこちらに見える。

 確かにこれを、マスコミに嗅ぎ回られてしまったら、村の秘密はバレてしまうな。


『ああ……智則さん……嘘よ……』


 穴の中に、彼女は見覚えのある時計と、衣服を身に着けた遺体の一部が落ちているのに気付き、一瞬正気を取り戻したようだった。

 あの新聞記事には、智則さんの事は書いていなかったよな。

 となると、一家惨殺事件が起こった時には、まだ彼女は監禁されていたのか?

 事件の報道を見た智則さんは、彼女の行方を探すべく、この村に戻ったんだろうか。

 ともかく、芳恵さんの約束は果たされなかったんだ。


『智則さんだけは助けると言ったのに!』


 やがて産穢の穴が、黒い霧に包まれていくのが分かった。それが底の見えない漆黒の闇まで深くなると、その穴にはこの儀式で亡くなった、埋女達の顔がぎゅうぎゅうにひしめき合うようにして、浮かび上がっていく。その誰もが苦悶の表情を浮かべ、恨みに満ちた目で、村人達、一人一人を睨めつけるように見ている。


『あの女の子供は、無事に生まれるだろう。だが残念ながら、お前達の子孫は繁栄しない。この村の人間全員に不幸が訪れ、死を迎え、根絶やしになる。私の命をかけて、この村の奴ら全員を呪ってやる!』


 芳恵さんは冷たく、憎しみに満ちた目で村人達を見ると笑いながら言い放った。老若男女問わず、儀式に参加した村人達は、芳恵さんの強い呪いの言葉に怯んだ。

 どの家も、一度はこの村で犠牲を出し、またその恩恵を受けていたのだから、後ろ暗い思いがあるんだろう。

 だが、彼女の言葉を遮るようにして、縄が首にかけられる。芳恵さんが絶命するまで、僧侶達がギリギリと縄を引っ張った。

 村人達はその光景にひたすら手を合わせ、ぶつぶつと経を唱える。絶命した彼女の体は、無造作に産穢に放り投げられた。



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