二十九話 天野梨子①
「本田さん、秋本さんは鳥頭村に向かったのかもしれません。なんだか……嫌な予感がするんです。僕を鳥頭村に、連れて行ってくれませんか?」
これ以上、手をこまねいている訳にはいかない。
「健くん、私も行く。このままじっとしてなんていられないもの」
『そろそろ、決着をつけないといけないねぇ。このままじゃ、梨子ちゃんにも魔の手が伸びちまう。それならこっちからぶっ飛ばすしかないよ』
ばぁちゃんは何時にも増して過激だ。
本田さんは、僕達の鬼気迫る様子に唸り、頷く。もう、十分過ぎるほど僕の友人達は罰を受けているし、裕二と梨子を死なせる訳にはいかない。
出来れば、もはや魔物と化した芳恵さんの魂も、救ってやりたいんだ。
✤✤✤
念の為、秋本さんが住んでいるマンションまで訪ねてみたが、やはり不在だった。管理会社の方に鍵を開けて貰ったけれど、秋本さんが自宅に帰って来た様子はない。
僕達は鳥頭村に向けて出発する事にした。
しかし、早朝に車を出すつもりが、思わぬトラブルが重なり、結局僕達が廃村に着いた時には、既に夕陽が傾いていた。本当に、懐中電灯を用意しておいて良かったな。
「雨宮さん、なんだか私達は鳥頭村に来る事を、拒まれているようですね」
「辞めて下さい、本田さん。ね、ねぇ……健くん、真っ暗になる前に御札の間に行きましょう」
車を降りると、鳥頭村は鬱蒼とした森の中にあり、既に薄暗く、怖気立つような厭な感覚がしていた。山村はこの季節でも夜は冷え込み、体温が奪われるので、梨子が言うように早く終わらせた方が良いだろう。
助手席から車を出た梨子と、先に後部座席から降りていた本田さんが、神隠しの家を懐中電灯で照らす。
そこには、動画に写っていた落書きがぼんやりと浮かび上がっていた。
「やっぱり、現地まで来ると迫力があるな」
僕は、上京する前にばぁちゃんから貰ったお札や、お守りなどをリュックに詰めて持ってきた。直ぐに出来る簡単な除霊方法から、本格的な事まで、一応手順としては習っているものの、自慢じゃないけど、簡単な浄霊方法以外僕は、実践した事がない。
だけど、高名な霊能者を探している暇はないのだから、僕がやるしかないよな。
ふと、僕の肩からニュッと顔を出したばぁちゃんが、車の外をじっと眺める。
『なるほどねぇ、集団自決した村人の霊が、成仏出来ずに、村を徘徊しているようだ。今のところ無害だけど、あいつ等、容赦なくあんたを襲うかもしれないから、覚悟おし』
「ちょっと、ばぁちゃん。フラグ立たせるの辞めてくれない? ビビらせないでよ」
『まぁ、ばぁちゃんがついてるから、あの程度の浮遊霊なら一網打尽さ。それより……健は、気付いてないのかい?』
「何が?」
ばぁちゃんは、意味深な事を言いながら本田さんを見る。一体、どういう意味なんだろう?
ばぁちゃんは僕の問い掛けにそれ以上何も答えず、孫を置いて、鳥頭村に偵察に向かう。
そう言えば、KCソリューションの事務所に行った時も、本田さんの事を見ていたよな。
僕は、モヤモヤしながら車を降りると梨子の側に駆け寄る。恐らく、彼女の心中は不安や恐怖で一杯だろう。ここに来るのだって、かなり勇気が行った筈だ。
必ず、梨子を守るという気持で、僕は神隠しの家の玄関先まで来る。動画ではこの場所に、芳恵さんが佇んでいたのだと思うと、鳥肌が立った。
本田さんは、懐中電灯を玄関に向けその姿を映す。
「雨宮さん、私が御札の間まで貴方がたを案内しますよ。ここに秋本くんもいるんですかね」
一度、この鳥頭村を訪れている本田さんは、落ち着いた様子でそう呟いた。秋本さんの見た夢からして、この村の、雑木林のどこかにいるのは間違いないだろう。彼はもう既に、生きていないかもしれない。
そう思うと、気持ちが重くなる。
「おそらく……ですが。だけど今は、祟りの元凶になっている、芳恵さんをなんとかしないと、全員が危ない」
その言葉に反応するように、梨子が僕の服を掴む。
「ね、健くん……怖いから、袖だけ掴んでてもいい?」
「えっ、う、うん……良いよ」
僕は、梨子の言葉に内心喜びつつも懐中電灯を照らし、本田さんを先頭にして、神隠しの家に足を踏み入れた。
霊視で見た通り、この家は生々しい生活感と、すえた匂いがする。
左側から、ブツブツと男の独り言が聞こえてきたが、目の端に見えたのは、あの動画を霊視した時に、最初に出会った男の霊のようで、こちらの存在は全く目に入っていない様子だ。
僕は彼を無視し、本田さんの背中を見ながら梨子と共に慎重に歩いた。それにしても、こんな状況でも、本田さんはハンディカムカメラを手放さないんだな。
ある意味、プロ意識が高いんだろう。
「秋本くん、ここで見つかったらかなり絵になるなぁ。それにこの展開……ドキュメンタリーとしては最高ですよね?」
「え……?」
さすがに、自分の会社の従業員が行方不明になっているというのに、不謹慎な台詞だ。
僕が、本田さんをやんわりと嗜めようとした時、突然あの小さな子供達二人が目の前に飛びだして来て、心臓が止まりそうになる。
彼等が鬼ごっこを始めると、僕は動揺のあまり、反射的に立ち止まってしまった。
梨子は僕の反応に戸惑った様子で、裾をぎゅっと握りしめ、背後から震える声で尋ねる。
「な、なに? 健くん、何か視えたの?」
「いや、ちょっと躓きそうになっただけだよ」
彼等は僕が話し掛けない限り、こちらに気付く様子はない。多分、危害を加えず、ここでぼうっとしているだけだと思う。
僕は、梨子を怖がらせないようにそう言うと、ミシミシと軋む廊下を歩いた。本田さんはライトを前方に向けながら、こちらをチラリと振り向くと、様子を伺った。
「大丈夫ですか」
「はい、すみません」
梨子が隣りで、ゴクリと喉を鳴らす音が聞こえた。あの日の事を思い出しているのだろうか。僕の服の裾を握りしめる彼女から、恐怖が伝わって来る。
それにしても、あの動画内を霊視した時には気付かなかったが、一家が惨殺され、手がつけられていないこの家には、血痕らしき黒い液体が所々飛び散った形跡が、生々しく残っているじゃないか。
僕は梨子にそれを見せないように、本田さんの後について行く。
御札の間に向かう途中、真っ暗な部屋から、厭な視線を感じそちらを向くと、暗闇の中で幾つもの真っ赤な目と、揺らめく人影が視え、僕は息を呑んだ。
『――――この家の先祖だね。儀式に加担した奴らだ。健、この屋敷に外の浮遊霊達を集めて来ているようだよ。だめだ、ここにいる奴らも、駒にされる! 式神を出しなさい』
神隠しの家の気配が、さっきより重くなってきている。ばぁちゃんが言うように、外から地獄の亡者が嘆くような唸り声が聞こえた。
僕が慌てて、リュックから式神を取り出すと、何事かと梨子が不安そうに見上げる。彼女に説明しようとした時、不意にばぁちゃんが僕の耳元で囁いた。
『健、時間がない。今はあんたの体に入らせて貰うよ』
そう言うと、ばぁちゃんは僕の返事を聞く前に、首の後ろからするりと体内に入って来た。自分の意識はあるが、体の中にもう一人誰かが入ってきたような、居心地の悪さ。
これを、俗に言う『憑依』という状態なのか。
「健くんっ……、地震!? 変な唸り声が聞こえてくるっ……や、やだ!」
僕は無言のまま、ヒトガタの式神を、数枚指先に左手に挟むと、素早く右手の指で印を描いて、急急如律令と唱えた。
式神達が漫画のようにふわりと浮き上がり、部屋を駆け抜けて外に飛び出して行く。
「外の霊は彼らに任せる。あの人達は大人しくして貰わないと!」
式神達が外の霊を浄霊している間に、ゆらりと起き上がった男の霊と、鬼ごっこを中断し、無表情で見つめる子供達の霊の目が、赤く染まった。
僕は、霊を浄霊という完全に無に帰してしまうような、強引なやり方は好きじゃないけど、そんな悠長な事はこの際言っていられない。敵意を剥き出しにして、襲い掛かって来る悪霊をどうにかしなきゃ。
『ばぁちゃんが、あんたの体を使って浄霊する。健、感覚を覚えておくんだよ。あいつらは成竹家の先祖、ひいては埋女の芳恵さんに囚われて、あんた達を襲うのさ。全く下っ端の悪霊如きが、生きてる人間様を襲うんじゃないよ!』
そう言うと、僕はばぁちゃんに操られるままに指で印を結んでいく。突然凶暴になって、畳の上で四つん這いになる子供達と、まるで首吊りのように、宙ぶらりんの姿の男の霊に、霊感ゼロの視えないはずの梨子が、悲鳴を上げた。
「っ……!」
高速で笑いながら移動してくる子供達に向かって、僕は素早く両手で印を結ぶ。
僕に襲い掛って来る寸前で、子供達は吹き飛ばされてしまった。
拒絶される事に苦しみ、腹を天井に向けて、大きく背中を反らす。やがて子供の霊とは思えない断末魔の絶叫を上げて彼女達は薄くなると、消えて行く。
僕は、梨子を庇いながら札を素早く右手で取り、宙ぶらりんのままこちらに音もなく襲い掛かって来た男に、片手で印を作りながら、札を前に突き出す。
霊体に札が当たったのか、地面に転がり落ちて悶え、そのまま這いつくばってやってきた男の霊に、つかさず僕は札を押し付けると、空気が弾け飛ぶようにして消え去った。
「はぁっ……はぁっ……」
「た、健くん……今の何?? 幽霊? やだ、私初めて見ちゃった……幽霊見ちゃった……」
青褪める梨子をチラリと見ると、僕は彼女の手を引いた。
暗闇の部屋の中で、我先にと藻掻き飛び出そうとする、喪服の紅い目をした老人達を睨み付けると、僕は叫んだ。
「髑髏本尊は、僕が壊した。僕は、雨宮神社の白龍神様の巫覡だ。僕達に、危害を加えるつもりなら、龍神様にここにお越し頂いて、あんた達全員を、転生なしで消す事も出来るぞ!」
ばぁちゃんが憑いているせいか、急に強気になって、僕がそう言い放つと、彼等は暗闇から伸ばした手をゆっくりと引っ込めて行く。




