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二十五話 中山裕二③

 僕は、その光景に息を呑んでしまった。

 自分の手が、血塗れになっている事も意に介さず、女性はまな板の上で野菜を切っている。あれは本当に野菜なんだろうかと、嫌な考えが過った。

 違う、台所の床にも赤い血溜まりが広がっているじゃないか。

 よくよく見ると、彼女の頭はどうやら左半分は吹き飛んでいるようで、そこから大量に血が滴り落ち、腕を伝って、まな板や床に広がっているんだ。

 一体、この屋敷で何が起こったんだろう。

 過去の記憶だけじゃなく、あの屋敷に囚われている霊が、この頭蓋骨に宿っているんだろうか。だけどあの動画で確認した、神隠しの家で彷徨っていた霊は視えない。

 僕は意を決すると、彼女に声を掛けてみた。


「あの、お邪魔します。失礼ですが貴方は、この家にご住まいの成竹さんですか? 少しお尋ねしたい事がありまして。神棚に飾られている頭蓋骨は、一体なんなんです?」 


 女性は僕の方を見る事もなく、淡々と夕食の下準備をしている。


『いらっしゃい。ああ、あれね。家に来ちゃったのよ。髑髏本尊が来たら、家から一人ウズメを出さなくちゃいけない決まりなの。芳恵(よしえ)が、妊娠したからね。昭和の時代に馬鹿馬鹿しいでしょ。これだから年寄り連中は、迷信深くて嫌なの』

 

 成竹さんは、淡々とした口調でそう答えた。背負っている赤ちゃんが急にぐずりだして、母親の血飛沫を浴びながら、わぁん、わぁんと、火が付いたように泣きじゃくっている。

 子供をあやしている彼女が、万が一こちらを振り返ったらどうしよう。吹き飛んでしまった無残な顔を、正面で直視してしまったら、とても正気でいられる自信がなかった。僕は成竹さんから、距離を取りつつ、ブラウン管テレビの前で座る、二人の少年のところまで戻った。

 無音だった筈の部屋に、耳障りなノイズ音と、赤ちゃんの泣き声だけが響き渡って、頭が割れそうだ。


「ねぇ、ちょっとだけお話し聞いても良いかな?」


 コタツに座っている二人の少年の脇に座ると、僕は砂嵐を見ている子供たちに問い掛けた。彼等は僕の方は見ないで、うん、とだけ短く答える。


「君達のお家にある、あの神棚に飾ってあった頭蓋骨って、一体何か分かる?」

『あれはだいじな物だよ。あれをおむかえしたら、お家からにえをださないといけないんだって。それがいやで芳恵お姉ちゃんは、とうきょうに逃げたんだよ』

『にえを出さないと、オハラミ様におこられるんだよ。オハラミ様はハラペコだから』

『しっ、またお父さんが来た!』


 もう少し詳しく、彼等に話を聞こうと思ったのだが、少年たちは急に怯えて、泣き出してしまった。

 突然、セピア色だった空間は失われた時間を取り戻したように、カラーになる。玄関の扉が荒々しく開き、廊下を踏みしめる音がした。台所から男女の激しい口論が聞こえ、殴るような音がして、硝子が割れる音が響く。

 暫くして、女性の悲鳴が聞こえたかと思うと、破裂音がして僕は思わず構えてしまった。

 土足のまま居間に入ってきたのは、猟銃を構えた中年の男で、その目はギラギラとして、興奮状態にあった。

 怯える二人の子供達は、卓袱台の下に隠れようとしたが、一人は逃げようとして頭を撃たれ、もう一人の少年は父親に捕まり引き寄せられると、持っていたナイフで、何度も刺された。

 男は凶行を終えると、呆然として泣きながらその場に崩れ落ち、座り込んだ。これは、あの一軒家で起こった惨劇で、成竹家の末路なのか。

 僕は、あまりにも陰惨で悲劇的な現場に、吐き気がし、口を押さえる。ばぁちゃんは、こういった悲惨な物を、拝み屋としてずっと霊視してきたせいで、顔色を変えず、じっと成り行きを見守っている。


『すまない、許してくれ……許してくれ。芳恵が逃げなければ、こんな事にはならなかった。こうするしかなかったんだ、こうしてオハラミ様にお許し頂かないと、全員根絶やしになる。それならいっそ……』


 弱々しい赤ちゃんの泣き声がする。

 僕は、彼女の背中におぶられたあの子だけが、まだかろうじて生きているのだと悟った。この家の主人と思われる男が、嘆き悲しみながら座り込み、自分の口の中に銃口を咥えると、迷いもなく引き金を引いて、絶命した。

 

「っ……!」


 その瞬間、また台所には何事もなかったかのように、中年の女性が立ち、二人の子供たちが、砂嵐を眺めている。たださきほどと違うのは、父親によってつけられた子供達の傷口から、血が溢れている事だろう。

 なんだ、無限ループなのか?


『この一家は、呪物の中で最期の瞬間を、永遠に繰り返しているようだねぇ。それが、生贄を出さなかった者達への祟りなのか』

「やっぱりこの信仰は、妊娠に関係があるみたいだね。この一家は、贄を出せずに、父親が凶行に走ったんだ。オハラミ様がそうさせたのかは、分からないけど」


 不意に誰かに肩を揺すられて、僕は現実の世界に戻って来た。そして、反射的に梨子を振り向くと、彼女は心配そうに、僕を覗き込んでいる。


「健くん、大丈夫? 鼻血が出てるよ」

「え?」


 梨子がティッシュを差し出し、それを受け取ると、僕は唇まで垂れてきた鼻血を拭いた。霊視をしていて、こんな目に遭ったのは、生まれて初めての事なので、かなり動揺する。

 今までだって呪詛や呪物が、雨宮神社に持ち込まれる事もあったのに、何ともなかった。

 これはそれよりも、強力なのか。その場にいる全員が、僕を不安そうに見つめ、心配している。


「雨宮さん、大丈夫ですか?」

「す、すみません。霊視した物がきつくて、体が影響を受けたのかも」

「なるほど、それで……雨宮さんにはどんな物が視えたんですか?」


 本田さんは僕を心配するように尋ねたが、その目の奥は、ギラついている。この呪物を通して、一体何が視えたのか、興味津々というところだろうか。

 なんだかそれが、とても居心地が悪く感じてしまう。僕は、この人が苦手なのだ。


「僕が視えたのは、この呪物に囚われた魂の記憶でした。神隠しの家と呼ばれたあの成竹家で、妻と子供二人を殺して、無理心中した男の姿です。どうやら鳥頭村の民間信仰では、選ばれた家から、生贄を出していたみたいですね。多分、この髑髏が届けられた一族から、若い女性を贄として出していたんじゃないかな。成竹家の娘さんが、ウズメに選ばれたようですが、この方は逃げ出したようです」


 僕は娘さんの妊娠の事を口にするのはなんだか憚られて、ぼんやりと濁す。僕がこれまで霊視し、彼等から聞いた話を繋ぎ合わせると、どうしても吐き気を催すほど、嫌な想像が過るからだ。


「うーん、雨宮さん、素晴らしいですね! 貴方は本物の霊能者ですよ。いやぁ、実はほんの少し、貴方の事を疑っていたんですが、本物っているんだな。そうですよ、あんな山奥で夜逃げだなんて、無理ですからねぇ。閉鎖的な村だったようだから、昼間だって目立ちそうだ。あの家には、神隠しと呼ばれるような要因があった筈だって、私も考えたんですよ」


 本田さんは急に声のトーンを上げてそう言うと、タブレットを取り出し、国立図書館のデーターベースから、古い記事を取り出した。僕の隣で覗き込んでいた梨子が、撮影である事も忘れて、身を乗り出すとそれを受け取り、読み始める。


「昭和五十年七月十八日の記事ですか……? かなり昔の記事ですね」


 梨子が本田さんを見ると、彼は何故か嬉しそうに、笑顔で答えた。僕は記事に視線を移し、それを読み始める。


「S県、Y村の山間集落で惨劇事件! 将来を悲観して無理心中か? 静かな山村で起こった、悲劇の裏には一体何が……」


 昭和五十年七月十六日、Y市の成竹正蔵(しょうぞう)(五十歳)さん家で、妻の史恵(ふみえ)さん(四十一歳)と長男、正則(まさのり)くん(十一歳)と次男文宏(ふみひろ)くん(十歳)が、猟銃で撃たれ、刃物でめった刺しにされているのが見付かった。三男の正雄(まさお)(0歳)くんは、軽症を負ったが、村の住人によって無事保護された。警察では、正蔵さんによる、一家心中とみている。正蔵さんはここ最近、酒に酔っては、家で暴れる事があり、家族の事について悩んでいる様子だったと、複数の証言があった。将来を悲観して無理心中を図った可能性があるとして、捜査中だ。

 僕は新聞の記事を読みながら、モノクロ写真を見つめる。父親の写真を見ると、紛れもなくさきほど霊視した時に現れた、犯人の男だった。あの泣き叫んでいた赤ちゃんは、なんとか無事だった事に、胸を撫で下ろしたがこんな陰惨な事件が、過去にあっただなんて、全く知らなかった。

 さらに僕は記事を読み進める。


「長女の芳恵(よしえ)(二十歳)さんは結婚後、東京に移り住んでいたが、臨月のまま行方不明になっており、事件との関連性を……え?」


 僕は行方不明になっている、成竹芳恵と言う女性の写真を見て硬直した。モノクロの写真で写りは悪いが、この芳恵さんという女性は、赤い着物の女の霊に雰囲気が良く似ている。彼女は、成竹家の長女で、行方不明になっていたんだ。


「健、どうしたんだ?」


 思わず裕二が乗り出し、僕に話し掛けて来たが、本田さんはカメラを止めなかった。じっと僕を食い入るように見ている。


「この人。芳恵さんて言うのか……。今だから言うけど、梨子が僕にこの話を持ち掛ける前に、この人が夢に現れたんだ。あの動画にも、赤い着物を着た芳恵さんが映っていた」

『ばぁちゃんも、あんたの夢の中で視たよ。そしてこの霊が、恐らく元凶になっているんじゃないか』


 ばぁちゃんはそう言うと、髑髏本尊を見下ろす。


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