二十二話 人でなくなる時
それから、葬儀まであっという間だった。
田舎ならではの、葬儀を手伝ってくれたご近所さんへのお礼や、諸々の役所の手続きなど、悲しむ暇もなく色んな事が、怒涛に押し寄せてくる。僕も母さんも疲れ切ってはいたが、休んでいる暇はなかった。
梨子と裕二には御守と御札を渡し、お祓いの日までそれぞれの実家で、待機して貰う事にした。
秋本さんについては、僕の父さんが書斎にしていた部屋に結界を張り、そこで暫く寝泊まりして貰う事にする。彼は、普段から撮影がなければ、リモートで仕事をするので、何処にいても変わりはない、という事だった。
本田さんは、相変わらず辰子島には来られないようだが、心霊現象等は特に起こっておらず、普段の生活をして裕二の特番編集に力を入れている。
神域では、龍神様の守護が強いせいか、秋本さんがこれまでに体験したような、心霊現象は起こらなかった。だからといって、あれは潔く諦めるような霊ではないだろう。
――――そして、ようやくお祓いの日がやってきた。
✤✤✤
「ごめんなさいねぇ、随分とお待たせしちゃって。もう落ち着いたから、早速お祓いしましょう。ここに座ってくれるかしら?」
のんびりとした口調で、母さんは三人に微笑み掛けた。梨子を真ん中にして、畏まって正座をしている彼等に、祈祷を始める。
母さんは巫女服に着替え、色鮮やかな榊を手にすると、雨宮神社の御神刀と、御神鏡に一礼した。この雨宮神社は、辰子島に辿り着いた僕のご先祖様が建てた社で、陰陽道の流れを汲んだ神道だ。
ちなみにばぁちゃんは、じぃちゃんと結婚してから、興味本位で真言密教まで手を出したので、巫女の役割と拝み屋の仕事を、その場その場で使い分けている異端児だ。ある意味、個人で神仏習合だな。
「なぁ、ばぁちゃん。裕二が実家に戻ってから、平穏なんだと言ってたんだけど。本土から離れたんだから、祟りを断ち切れたんじゃないのかな? あの村にさえ、近付かなければこのまま裕二達は……」
僕は、ばぁちゃんと祝詞を上げる母さんを見守り、部屋の隅に邪魔にならないよう、控えていた。
『辰子島には龍神様の加護があるからねぇ。島の中で産まれた悪霊なら、ばぁちゃん達が、直接そこに行って祓わなきゃいけないけど、特殊な例を除いて、外からは中々入れないもんなのさ。そのための土地神様だからねぇ。だから今は静かでもこの島を出れば、祟りや呪いが再び発動する』
僕の隣で正座をしているばぁちゃんは、涼しい顔付きで、このお祓いも一時的に効果があるだけだと言った。原因となっている問題を取り除かないと、根本的な部分は解決しないのだろう。
『健、あんたも霊視してみなさい。黒い影が三人を覆っている。薄くなっているけど、消えないだろう? 愛ちゃんの霊は祓えているけれど、探している様子が視える。特に裕二くんに執着しているようだねぇ。達也くんは、悪霊……いや、もう魔物化してる霊の手先みたいになっているよ』
ばぁちゃんは、僕に教育するように説明した。確かに黒い影は薄くなっているものの、完全に彼等との繋がりは切る事が出来ないようだ。
加藤さんが裕二に執着するのは、恋人だからだろう。達也に関しては、あのマンションで霊視した記憶が蘇ってくる。
「悪霊……じゃなくて、魔物化? マンションで、達也の霊に助けてくれと言われたんだ。達也は僧侶達に囲まれていて、悪霊に主導権を握られているのかも」
『そうさ。恨みを持って死んだ霊はやがて悪霊になり、怨霊になる。そこから色んな浮遊霊、恨みつらみを持つ地縛霊、自然霊、動物霊、そして念の強い生霊、そんなもんをどんどん飲み込んで吸収していくと、やがてそれは魔物になるんだよ。魔物になった者に魂が捕まったら最後、式神みたいに使われる側になるのさ。あんたも視た事があるでしょう』
僕は背筋がゾッとした。
ずっと忘れていた記憶が、蘇ってくる。僕は幼い時に、魔物のようになった霊を、視た事がある。あれは無機質な霊とは異なっていて、純粋な悪意の塊だった。
「そうだった……思い出したよ、ばぁちゃん」
――――あれは、夕暮れ時。
保育園に通っていた僕が、ばぁちゃんに手を引かれ、バス停で帰りのバスを待っていた時の事だ。
突然後ろの茂みから、背の高い男の人がやぁ、と声を掛けてきた。何度かここを通ったが、こんな事は初めてだったと思う。
声を掛けてきた人は、釣り人の格好をした、優しそうなおじさんで、僕はばぁちゃんの手を握りながら、無言で肩越しに声の主を振り返った。
『坊や、魚釣りに興味はないかな?』
このバス停の後ろは、獣道が続く。
その先に、今は禁止になっているけれど、釣りが出来る薄暗い沼がある。大人達や学校の先生から、あそこは危ないので、絶対に遊びに行くな、と口酸っぱく言われていた場所だ。
大人になって話を聞けば、僕が生まれる前から、あの沼では子供が誤って転落して亡くなったり、入水自殺する人が絶えなかった。この島の出身じゃないけど、釣りをしている途中で、行方不明になった人もいるらしい。
『坊や、あの沼には珍しい生き物がいるんだよ。近くの木にはカブトムシもいるんだ、遊ぼう』
「…………」
彼は何処にでもいるような、普通の釣り人だったと思う。
けれど、辰子島では見た事がない人だ。釣りやマリンスポーツは、辰子島の観光業の一つでもあり、周辺の島や本土からフェリーに乗ってやって来る人も多いので、当時の僕は彼の事を、島の外からやって来た、観光客なのだと思い込んだ。
だけど、ばぁちゃんや母さんから知らない人とは話すな、着いて行くなと言われていたので、僕は返事をせずにそっぽを向いた。
『おい、おーい! おーい! こっちにおいで。こっちにおいで、坊や。ここは君のお友達も沢山いるよ。君のお兄ちゃんや、お姉ちゃんになってくれる子もいる。もちろん君を可愛がってくれるお父さんもね。だから、遊ぼうよ』
僕は少し興味を持って、もう一度しっかりおじさんを見ようとすると、ばぁちゃんが、ぐっと僕の手を握りしめて引き寄せ、タイミング良く停車したバスに乗り込んだ。
「ばーば……? あのおじさん、ぼくとあそぼうって」
「あれは、辰子沼に住む魔物だよ。返事をしたり、着いて行ってしまったら沼に沈められて、健は食べられてしまうのさ。健、あんたは大人になっても、あの場所に近付いてはいけないよ」
「こわい、ばーば」
「大丈夫だよ、あれはあの沼から出られないから。何かあってもばーばが守るからねぇ。さ、ばーばと約束しようね」
僕は怖がりつつも好奇心が抑えられず、バスから釣り人の魔物を見下ろした。男の顔は真っ黒で、その中に赤い目が三つ鈍く光り、蠢いている。
釣り人の背中から、黒い腐った水草のような触手が伸びていて、老若男女の霊を捕らえていた。彼等は項垂れたり、あるいは上を向いたまま、ゆらゆらと数珠つなぎに連なって、沼まで続いていた。
あれが、ばぁちゃんの言う魔物に取り込まれた霊の末路なんだろうか。
『だから、魔物に関わらないのが一番なんだよ。こっちが殺されて取り込まれる可能性もあるからねぇ。だけど……、その村にいる怨霊は魔物になっているかもしれないよ。それにしても、龍神様もいきなり厳しい試練を課すもんだ』
あれは、今まで視てきた霊の中で釣り人の魔物に近いかもしれない。僕は内心、重く伸し掛かる恐怖を感じながら、どうにかしなければいけないと思った。
「だけど、これ以上犠牲を出す訳には行かないよ。梨子を……みんなを守らなくちゃ」




