十九話 秋本宗介④
加藤さんの行動は、常軌を逸していたし、あれはどう考えても生きている人間の動きには思えなかった。まるで、全身の骨が折れるようなバキバキという鈍い音を思い出す度に、鳥肌が立つ。
僕は、次の撮影の打ち合わせという名目で裕二さんに会い、それとなく加藤さんの事を尋ねてみた。そして、初めて彼女が、行方不明になっている事を知らされて、愕然とした。
「なんで……加藤さんはいなくなったんですか?」
「分かんねぇよ。あれから愛ちゃんは実家に帰って、そのまま精神病院に入院したんだよ。そっから抜け出して失踪したらしい。俺も何度も携帯に連絡してるけど、音信不通なんだ。お前、俺が愛ちゃんと付き合ってんの、知ってただろ?」
裕二さんは、あまり眠れていない様子だった。恋人が失踪したという心労からなんだろうか。詳しく聞けば、その事もあるが、毎晩金縛りに合っているせいだと言う。
頻繁に自宅に遊びに来る加藤さんと、裕二さんが付き合っている事は、僕も本田さんも薄々勘付いていた。
人気配信者として、そこそこ有名になってきた裕二さんには、女性ファンも多く、ガチ恋勢のグッズ売り上げは、馬鹿には出来ない。
だから、僕達の中で売り出し中の芸能人と同じく、今は裕二さんの女性関係を隠し通さなければいけない、暗黙の了解があった。
本田さんに、加藤さんの失踪の件を報告すると、興奮したように『真恐動画』で、彼女の話題を入れようと言い出した。
『失踪した彼女の事は、呪物に祟られた少女として紹介しよう。本当は、偽物の霊能者だったって事も付け加えておけば、一段と怖くなるぞ。実際にあれは、モキュメンタリーの為の演出だしねぇ。永山くんに証言して貰おうかな? 彼、そういうの気にしないタイプだろ』
「それ、裕二さんにも言うんですか。相手は彼女さんですし……、うんと言うか分かりませんよ」
僕は、電話越しに苦笑する。
多少なりとも霊感のある加藤さんが『偽霊能力者』というのはその通りで、アドリブを入れつつ二人共打ち合わせ通りにやっていた。
しかし、失踪した彼女を記録に残る形で『呪われた少女』として、作品に残すのはどうだろう。加藤さんの了承も得ず、生死も分からないのに、不謹慎に思えたが、ホラードキュメンタリーとしては最高の鉄板ネタだ。
『言うわけないよ。裕二くんは基本的に、ビジネスライクのオカルトやってるだけだから、俺達の作品も見てないだろ? やったもん勝ちさ』
「はい、分かりました。もちろん加藤さんの名前は伏せますよね?」
罪悪感はありつつも、オカルトネタとしては、最高だと僕も思ってしまった。本田さんの作るモキュメンタリー映画に、実際に起こった『呪い』『祟り』を思わせるような事件が、本当に発生したんだからな。
それこそが、僕達が造りたかった作品じゃないかと思うと、ワクワクしてしまった。
『もちろんだよ。裕二くんも加藤さんも匂わせ程度さ。それより君、永山くんから例の呪物を受け取ってくれないかな?』
「あの頭蓋骨……ですか?」
僕は一瞬身構えてしまった。
あんな事が起こった後で、あの禍々しい物に触れるのかと思うと、無意識に体が拒否するような、厭な感情が沸々と湧き上がった。それと同時に、あれが手元に来れば、確実に何かが映るような、そんな気がしてならない。
『そうなんだよ。今日の早朝に電話が掛かってきてね。もう、手元に置きたくないから、俺に取りに来いと言うんだ。ありゃあ、絶対になんかあったんだろうなぁ』
「分かりました、何があったのか、それとなく永山さんに聞いてみます」
『頼んだよ』
そう言うと僕は電話を切り、永山さんが指定した時間にカフェで、待ち合わせをする事にした。
✤✤✤
久しぶりに見た永山さんは、鳥頭村で見た時とは、かなり印象が変わっていた。二三日も経っていないと言うのに、目が落ち窪んでげっそりとしている。
明るい店の中で、彼の姿だけが暗く、周囲に何か得体のしれない物が渦巻いているような、不気味な気配がした。
ネクタイを緩めた彼は、紙袋に入った頭蓋骨を、僕に押し付けるように手渡す。それを受け取った瞬間、指先からミミズが這い上がって来るような、厭な感覚がした。
「永山さん、大丈夫ですか? 凄く顔色悪いですよ」
「大丈夫。とりあえずこれ。本田さんに、インタビューの件、断っといて下さい」
永山さんは、間髪入れずにそう言った。とりつく島もないとはこの事だ。何があったのか、僕に質問させる事を拒んでいるようだった。
ただ、永山さんが何者かに憑かれている事だけは、僕にも分かる。
「分かりました。あの……これは預かりますが、お祓いした方が良いと思います」
僕は、彼にそれだけ言うのがやっとだった。永山さんは僕に呪物を渡すと、珈琲を飲む事もなく、そっけなく礼をしてそのまま退店する。
この呪物が自分の手元に来ると、何故か一気に気分が滅入ってしまった。
自分の側にあるだけで、厭な感覚に襲われる。
僕は、一刻も早く事務所に持っていき、本田さんに引き取って貰おうと思った。
「鈍感な本田さんが羨ましいよ」
僕はそうぼやくと、助手席に頭蓋骨を入れた紙袋を置き、事務所へと車を走らせる。急に降り出した雨が、ポツポツとフロントガラスに当たった。
都内の道路トンネルに差し掛かると、かけていたカーラジオにノイズが走る。それはやがて、砂嵐のようにザーザーという不気味な音に変わり、音楽に切り替えようとした瞬間、手が止まった
「……っ」
視界の端に、赤い着物の裾が見えた。青白い両手を、膝の上に置いた着物の女が座っている。
長い黒髪が、バサバサと揺れているのが分かった。助手席に座る着物の女が、上半身だけこちらを向け、頭を前後に振りながら、憤怒の形相で口をパクパクとさせている。
恐らく、ありとあらゆる罵詈雑言を僕に浴びせながら、頭を振っているのだろう。
「うわぁっ!!」
助手席の女に気を取られていたせいなのか、トンネルの出口で僕は対向車とぶつかりそうになり、蛇行しながら停車した。慌てて助手席を見たが、もうそこには、着物の女の姿はなかった。
「はぁっ……はぁ……今のは、一体……?」
あまりの恐怖に、僕はこの体験を本田さんに話す事が出来ず、猿の頭蓋骨を引き渡した。だが、永山さんは僕に呪物を渡した事を忘れてしまっているのか、本田さんと僕に何度も連絡をしてきた。
少しずつ、精神を蝕まれていく永山さんの様子を見ると、僕がこれまで経験した中で一番恐ろしいと感じた。そして、この件に関わってしまった事を、強く後悔し始めた。
撮れ高なんてどうでもいい、ホラードキュメンタリーで一発当てて、有名監督になるだなんて、単なる夢物語だ。あの不気味な屋敷も呪物も本物で、自分は殺される。
そして、ある日を境にピタリと電話が途絶えてしまった永山さんが、こちらの連絡にも反応しなくなると、更に恐怖が増してしまった。
『あの日、永山さんの遺体を発見した時に分かったんです。あのグレーのトレーナーの男って、亡くなった永山さんなんだって。雨宮さん、助けて下さい……僕も当事者なんです。このままじゃ、僕も殺されます!』
次に殺されるのは、裕二さんか僕か、本田さんなのかと頭の中でぐるぐると回って、雨宮さんに助けを求めた。




