十五話 永山達也③
翌朝目が覚めると、玄関先に置いておいたはずの猿の頭蓋骨が、枕元にきちんと置かれていた。
昨日の事は全部、夢だと思いたかったけど、アレはそんな生易しい物じゃねぇし、頭蓋骨を枕元に置くだなんて、絶対にあり得ない事だ。
あんなリアルに、匂いまでしっかりと覚えているような悪夢なんて、俺は今まで一度も経験した事がない。
消した記憶もないのに、愛ちゃんが送ってきた不気味なメッセージは、履歴に残っていなかった。
もしかして、俺は本当に幻視や幻聴に見舞われているんじゃないかと、不安になってしまう。
何気なく携帯を見てみると、何十件ものSNSの通知がついていた。
「なんだよ。なんか俺の発言バズったのか?」
通知欄は全て、AICHI♡。
愛ちゃんのアカウントからの返信で、何十件も文字化けしたコメントが現在進行系でつけられていた。
俺は、いよいよ怖くなりSNSもブロックして、震える手で本田さんに電話をかける事にした。
「もしもし、本田さん。永山です」
『……はいもしもし。永山くん? こんな朝早くに何かあったの? まだ朝の四時じゃないか』
「本田さん、今日の夜にでもあの呪物、引き取れませんかね?」
『今日かぁ。ちょっと編集で手が離せないんだ。明日はどうだろう? 秋本くんを行かせるよ』
「それでいいです! とにかくもう自分の手元には置きたくないんで」
俺の反応に、本田さんは何かを察したようだ。あの呪物を家に置いていて、なにか心霊現象が起こったのかとか、根掘り葉掘り聞いてきたので、遮るようにして俺は「お願いしますよ」と念押しする。
(全部あの骨のせいだ。あいつらが、あんな場所に行こうって言うから! 明日でアレは、俺の元からなくなる。もう俺は無関係だ。恨むなら、企画した本田と裕二を恨めよ!)
その日は、散々だった。
仕事のミスが続き、同僚に心霊スポットで骨を持ち帰った事を話せば、あいつ等はすっかりそんな事なんて忘れていて、マジで心霊スポット行ったんだ、と馬鹿にしてきた。
そんな事より、ゆうじぃのサイン入りグッズを見せろよと笑ってからかわれた。
佳奈も、俺の事を避けているようで会社であっても、怖がって軽く会釈するだけだ。連絡手段も、全てブロックされているのか無反応だもんな。
それに、あの赤い着物を着た女が目の端に写り込む。
外回り中の電信柱、カフェ、電車の向かいのホーム。気配を感じて凝視しても何故か見えないのに、目の端にあの女の存在を感じるんだ。
とにかく早く、秋本くんにあの猿の頭蓋骨を渡さなくちゃ。
退社してから俺は、自宅近くの珈琲チェーン店で、秋本くんと待ち合わせをした。
「永山さん、大丈夫ですか? 凄く顔色悪いですよ」
「大丈夫。とりあえずこれ。本田さんに、インタビューの件、断っといて下さい」
「分かりました。あの……これは預かりますが、お祓いした方が良いと思います」
店に入って来てから、本田にパシリに使われた秋本くんは、顔色が悪くこの呪物に触れる事を、躊躇っているようだった。
そうか、秋本くんも霊感が強いって言ってたよな。
もしかして、まだ何か俺に憑いているのが視えるんじゃないかと思って、最寄りの神社で御守りを買った。
だけど、それから二日経っても三日経っても、お守りの効果はなく、あの女が俺の行く先々で視界に入る。
そして、いつの間にか俺の部屋のテーブルには、あの猿の頭蓋骨が置かれていた。
あれ、秋本くんに渡したはずだよな、と本田さんに確認の電話をしても『何を言ってるんだ、貰っているよ』と何度も呆れたように説明される。
俺は徐々に眠れなくなり、体調不良を理由に会社を休んだ。上司に、君ねぇ、繁忙期に困るよと小言を言われたが、知った事じゃないな。
もう家から一歩も出たくない。
何もしたくないし、誰とも会いたくない。
――――ピコ、ピコ。
梨子からのメッセージだ。雨宮のメッセージもきてる。
『達也、元気? 神隠しの家に行ってから全然返信ないから心配してるよ。大丈夫? 既読にもなってないから、あれから気になっていたの』
俺、梨子からメッセージ来てたのも気付いてねぇわ。
『達也、久しぶり。梨子から心霊スポットに行ったって聞いたんだけど、気になるから連絡くれないか。お前は霊とか信じないかもしれないけど、力になれると思う』
『達也、健くんから連絡きた? 健くん、本当に視える人みたい。思い切って、相談してみたよ。拝み屋の楓お婆ちゃんとも連携してくれるかも。明日健くんと家に行くね』
通知越しに、梨子と雨宮のメッセージが交互に入っている。俺は、高校の時から、雨宮が梨子の事を好きなのは知っていた。
俺が先に告ったから、梨子と付き合えたんだ。
友達以上、恋人未満の二人の間に入ったのは俺で、もし俺が押さなければ、おそらく梨子は雨宮と付き合っていただろう。
だから、最近疎遠になっていたと聞いていたけど、本当はこいつら付き合ってんじゃねぇかと、頭によぎった。
――勝手にしろよ、面倒くさい。
俺はこの隙間が安心するんだ。
ベッドの下に隠れていたら、あの女に見つからないだろ。
この猿は俺の方がいいんだって、本当にこいつ、可愛いなぁ。
この子は生まれたての赤ちゃんなんだよ、俺の事を本当の父親だと思って、頼ってきているんだ。
『かごめ かごめ
籠の中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの晩に
鶴と亀が滑った
後ろの正面だあれ』
あはは。
また、あの女の歌が聞こえてきた。
もう、夜中の3時かぁ、早いなぁ。
明日、無断欠勤したらクビになるかもしれないけど……ま、いーか。
この隙間に隠れていたら見つからないよ。
かくれんぼしているんだ。見つからないから俺の勝ち。
あの女は、いつも俺を探してウロウロしてる。
ほら、汚れた白い足が見える。あーあ、またフローリングが土まみれになっちまうよ。
『ふふ』
だけど、今日は違った。
女の足が立ち止まると、そのまま動かずにいる。
長い黒髪が、ベッドの隙間から見えた。赤い着物の女がかがみ込んでいるんだ。
気付かれた、気付かれた、気付かれた。
女の顎が見え、赤い唇が裂けるように笑っている。そして焦点の合わない濁った死人の目が俺を見つめた。
俺はガタガタと震え、目が飛び出るほど見開いた。
「あぁ……」
『みぃつけた』
絶望の溜息が出た。
何人もの女の笑い声が部屋中にけたたましく轟き、俺は絶命した。




