十四話 永山達也②
俺はそのままマンションに帰るのが怖くなって、朝までファミレスで時間を潰す事にした。
連休だった事もあり、家に帰ってから、風呂にも入らずに翌日の夜まで爆睡していたらしい。部屋に幽霊が出たりだとか、金縛りにあったりだとか、別段体に変化が起こるような事はなかった。
佳奈のやつ、マジで意味分かんねぇし。
あの時裕二と心霊スポットに撮影に行った事もちょろっと話したから、あんな事言いだしたのか?
「あほらし」
もしかするとあいつ、愛ちゃんみたいに自称霊感あります系の、構ってちゃんだったのかもな、と苛つきながら心の中で吐き捨てた。
俺は愛ちゃんも、裕二の気を引きたくて、ああいう嘘を言ってんだろうなって思ってる。その辺は、自称霊感持ちの雨宮と共通してるわ。
ばぁちゃんが霊能者か何だか知らねぇけど、霊なんてこの世にいるわけねぇんだよ。他人から注目を浴びたくて、嘘並べて、承認欲求を満たしている詐欺師だろ。
とは言うものの、俺はなるべく寝室から猿の頭蓋骨を遠ざけたくて、玄関先に置いた。
明日、あいつらに証拠品を見せたら、さっさと本田さんに預けよう。遅かれ早かれ、譲る予定なんだしな。
俺は幽霊なんて全く信じてないが、愛ちゃんが倒れた矢先に、佳奈との電話のやり取りがあった事もあって、急に熱が冷めてきた。
あんな気持ち悪い物を、家に置いておきたくない。
俺は風呂に入って、コンビニに食い物を買いに行くと、一日ぶりの食事を取る。ビールを飲みながら、真剣に見る気のない、バラエティ番組をぼーっと見て寛いでいた。
――――時計を見ると、時刻は二十二時を回っている。
かなり爆睡したな。
最近は残業続きだったし、昨日遅かったもんな。
不意に、心配そうにする梨子の顔が頭に過ぎった。付き合って三年が経ちマンネリ化してきて、俺から連絡する回数も減ったけど、急にこの部屋に居るのが心細くなってきた。
連絡しようと床に置いた携帯に手を伸ばした瞬間、ピコピコと新着メッセージの音が鳴る。
「あれ、愛ちゃんか?」
新着メッセージを開くと、やはり可愛いゆるキャラの、愛ちゃんのアイコンが見えた。外傷はなかったし、病院で精神安定剤を注射されて、落ち着いたのかもしれない。
あのまま愛ちゃんの意識が戻らず容態が悪化していたら、後味の悪いままだったから、俺は内心ホッとした。やっぱり、単なるパニック状態だったんだろう。
『達也くん 今 どこにいるの?』
『俺? 今家にいるよ。てかさ、愛ちゃん大丈夫だった? ぶっ倒れるとかほんと霊能者じゃん』
『今 達也くんは 家にいるんだね』
気を遣ってメッセージを入れたのに、愛ちゃんからの返信はちぐはぐで、俺の質問をスルーしていた。
心配してやってるのに、なんだよこの女。相変わらず、マイペースだし梨子の友達じゃなかったら、あんな地雷女のID交換してねぇわ。
雨宮もそうだが、自称霊感持ちのやつって、ほんと陰キャでコミュ力ゼロだよな、と思いながら俺は意地になって質問した。
『あぁ。だから、家にいるけど? そういや、おばさん達、辰子島から来てくれたのか? 梨子がすげぇ心配してたぞ。なんでぶっ倒れたんだよ』
『達也くん 持って 帰ったでしょ』
『は? さっきからなんなの。意味分かんねぇし怖いって。正直何で俺に連絡して来たのかも分からねぇし。うぜぇんだけど』
文面を見た瞬間、背中が寒くなって、きつい言葉で返信してしまった。
突然白目剥いて泡吹いてた愛ちゃんが、どうして俺があの猿の頭蓋骨を持ち出した事を、愛ちゃんは知ってるんだよ。
梨子が教えたのかとも思ったけど、心霊スポットに行って、ぶっ倒れた友達に、そんな話題をわざわざ振るわけねぇか。
いや、もしかして俺への当てつけに、梨子と共謀してんじゃねぇの。
普段は、俺にもゆるキャラのスタンプを使ったり、短文で媚びたような文面を送ってくるんだが、今日の愛ちゃんの文章は、わざとではなくたどたどしくて、それが返って不気味だった。
『オハラミ様が凄く怒ってる達也くんがそれを持ち帰ったせいでなんでおまえは持ち帰ったのオハラミ様は怒らせた怖いそれはオハラミ様の襍、縺。繧?sなのにまた儀しきししなくちゃねウズメはもうみつかったから儀式しないとだめおまえのせいでみんな死ぬんだおまえのせいでせせせせせいみんな死ぬだからもう終わり、終わり終わり終わり終わり終わり終わりおわ。シぬオマエオマエ終わりおわをおわりおわもうすぐオハラミ様が迎えに来るから逃げても無駄繧ゅ≧邨ゅo繧贋ス輔d縺」縺ヲ繧らオゅo繧頑ュサ縺ャ』
句読点のない、不気味な文字の羅列が送られてきて、気持ち悪くなった俺は、愛ちゃんをブロックし携帯を思わず投げ捨てた。
その瞬間、部屋の電気が消え心臓が止まりそうなほど驚いて悲鳴を上げる。停電か、それともブレーカーが落ちたのか、俺はパニックになりながら玄関まで向かう。
「くそっ、んだよ! このタイミングで停電かよ、くそっ! ブレーカーが落ちたのか?」
恐怖のあまり、キレて大声を上げた瞬間、俺の目の前に信じられない光景が広がって、硬直した。
見慣れた自室だと思っていたその場所は、手掘りで掘ったようなジメジメとした地下通路になっている。
一体、何が起こってるのか理解が追い付かない。真っ暗な闇の中で何かが蠢いている気配がする。
光なんて、そこにあるはずもないのに赤い布が揺れ、女の汚れた艶めかしい青白い太腿が、こちらに向かって歩いて来た。
『かごめ かごめ
籠の中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの晩に
鶴と亀が滑った
後ろの正面だあれ』
遠くの方で、消え入りそうな女の歌声が聞こえる。
鮮やかな赤い着物を来た女が、高らかに笑いながら、音程の外れた童謡を歌っていた。おぼつかない足取りで、ガク、ガクと揺れながらこちらに向かって来る。
俺の体は、全身汗びっしょりになっていて、金縛りに掛かったように動けなかった。
赤い着物の女の腕の中には、何かが抱かれているが、俺はそれを直視する事が出来ない。穢れた白いお包みに抱かれた者がモゾモゾと蠢き、ちょうど今息絶えたように赤い染みが広がる。
楽しそうに歌いながら、こちらに向かって歩いて来る化け物に、俺は恐怖で目が離せなかった。
顔が、顔が分からない。
違う、俺はこの女の顔を本能的に見る事を拒んでいるんだ。
――――これは夢だ、夢なんだ。
俺は夢を見てるんだ、そう必死になって、一刻も早く目が醒めるようにと祈っていたが、女の体が残像のように揺れ、ガクガクとぎこちない歩調で歩いて来る。
まるで、歩き始めたばかりの赤ん坊のようだ。赤い女の口から、おんぎゃあ、おんぎゃあと赤ん坊の泣き叫ぶ声が聞こえる。
ほつれた髪の間から見える女の顔は青白く、美人なのが返って不気味だった。見開かれた目は死んだ魚のように瞳孔まで白く濁り、トロンとして焦点が合っていない。
本能的に、死んだ人間の顔だと思った。
赤い着物の女の腕に抱かれていたのは、首のない臍の緒をつけたままの小さな赤ん坊だと知った瞬間、俺は絶叫して目を覚ました。
「なんだ……」
俺は布団の中で眠っていた。
そう言えば、コンビニで缶ビールを買って、酔っ払ってそのまま寝たんだっけ。
――――今のは夢か、リアルすぎて現実かと思った。
寝汗をびっしょりかいて体を起こしたが、天井に蠢く存在に気付いて俺は震えが止まらなかった。
真っ暗な闇の中で、瞬きもせずに自分を覗き込む視線を感じる。顔はよく見えないが、天井を覆い尽くす黒髪の中で動物みたいに、鋭い眼光を放っている。
その闇の中で、掠れた女の呼吸音が聞こえた。
きっとあの女だ。
あの赤い着物を着た女に違いない。
生臭い匂いと鉄の匂いが部屋に充満し、子犬ほどの生き物がずるずると這うような、濡れた音がした。
来るな、来るな、来るな。
女の顔がくしゃりと歪んで笑うと、白い歯が見え、俺の意識はそこで途絶えた。




