《六章 悪魔と絶望》
何が起きた?
まだ情報が整理し終わっていないルーグナーは精一杯頭を奮わせて思考をまとめていた。
まず、羽衣の悪魔はどこから現れた?視界にはいるまで一切存在感がなかった。だというのに、目の前に現れた途端の存在感は凄まじく、今までに遭遇した悪魔をすべて合わせても感じなかったほどのもの。それに近づかれるまで気づかなかったという異常事態。
そして、あの速度。龍化した俺をも凌ぐであろうあの動きは、戦って勝てるという未来を一切想像できなくなる。今この状況で戦って確実に勝てると言える相手では絶対にない。
最後に、何故か目の前のこいつから感じる妙な感覚だ。おかしな話だが、こいつからどこか懐かしさを感じてしまう。それが一番の疑問だ。敵である悪魔、それに俺達を攻撃した存在だというのに、何故か、何故だか、ルナの存在を感じ取ってしまう。
そして、その違和感は確信に変わった。
悪魔を観察していると、その両手に意識が向き、一つ気づいた。あれを俺は見たことがある。間近で、何度も。
それは────
「────ルナの神祝、【龍手】……?」
そんなはずはない。頭の中で俺は自分が呟いた言葉を否定する。ありえない、ありえるはずがない。何であの悪魔が、ルナの物を持っているんだ。あれはきっと、似ているだけ。そうに違いない。この時、ルーグナーの頭の中ではとある状況を可能性の中に含めてしまった。
心の中で必死で考え否定するルーグナー。だが、一度頭に上がった考えはさらなる情報を求めて望まぬとも観察を続けてしまう。
そして、ルーグナーは他の悪魔とは違う決定的なことを悪魔から見つけた。
あの悪魔の目は、人のものだ。
いくら心で打ち消そうとも情報は勝手に精査され、一つの仮説、いや事実へとルーグナーはたどり着いた。
「あれは、ルナか?」
ルナが殺されて、悪魔が神祝を奪ったとは頭の中で一度たりとも思い浮かべてはいなかった。ただ、ルーグナーが考えた最悪の想定、起こってしまった最悪の状況、それはルナが悪魔に乗っ取られたことだった。
「……みたい、ですね」
ニコラスもありえないとは思っていた。聖女であるルナが悪魔に乗っ取られるわけがない、と。聖女である存在は悪魔にとって毒そのもの。今まで一度もそんな事例はなかった。だから、自身の目で悪魔の魂を確認した際に、ルナのものが含まれていたことを悟って言葉にならない絶望を感じ取った。
過去一度たりともあり得なかった、聖女と悪魔の組み合わせ。否定しようにも、現状目の目で起きてしまっているため、それから推論を立てたニコラスはさらなる考えが頭に思い浮かぶ。
「ルーグナー、さっきの武器はまだ使えますか?」
「いいや、あれだけだ」
ソフィアがなんとか作り上げたのは一発分。これ以上は存在しない。
「そうですか。なら、万策尽きましたね」
「何を、言ってる?」
ニコラスの言葉が理解できないルーグナー。悪魔に詳しいルーグナーだが、教会の上位に位置するニコラスのほうが悪魔について知識も経験も豊富であり、ニコラスが気づいたことをまだ分かってはいなかった。
「聖女と悪魔、それが共存しているということは、互いに適応が済んでいるということです。つまり、あれには神聖魔法が弱点になりえません」
唯一、悪魔の浄化という直接的な悪魔に対する効果を持つ神聖魔法の攻撃だった【聖なる弾丸】。もしもこれがあれば、確かにこの悪魔に対してそれなりの効果は発揮し、浄化とまではいかないまでも多大なる傷を負わせることはできていた。だが事実として、銃の弾は残っておらず、神聖魔法を含めた他の魔法であっても戦いにならないことは明白であった。
「だったら、どうしろってんだ?」
成すすべがないと言われたルーグナーは、最善の選択を模索する。
「ルーグナーは逃げてください。私でも時間稼ぎくらいにはなります」
「いいや、無理だ。見ただろ、あいつの速度」
ニコラスの提案をすぐに断るルーグナー。逃げられないのもあるが、ニコラスの命を犠牲にしてまで生きながらえる選択をルーグナーは取れないというのもあった。
「だとしても、まだ悪魔が動いていない今なら逃げられるかもしれないでしょう!」
ニコラスは聖職者である。そして人の死というものについて人生の中で考えない日はない。すべての命は等しいという考えは持っておらず、自身の命と王家の血を引いているルーグナーを秤にかけた結果から導いた提案を軽々と却下されてニコラスは僅かに感情的になる。
そんなニコラスとは対照的に、ルーグナーは冷静だった。ニコラスの言葉の中で引っかかった言葉を頭の中で何度も反芻するルーグナー。
動いていない、動いていない。何であの悪魔は今こうやって喋っている俺達をただ見ているだけなんだ?少なくとも、俺達を攻撃してきたことから敵意はある。だが、追撃はない。
行動に一貫性が見えてこない悪魔の様子を理解しようと必死で考えたルーグナーは、一つの考察を口にした。
「……何で、あの悪魔は俺達を殺しに来ないんだ?もしかして、まだルナはそこにいるんじゃないのか?」
言葉にしてルーグナーは初めて、自分の推察がこの状況を説明するのに一番適しているものだと気づいた。
「そんなはずは……いや、確かにそうかもしれません。私の目にはあの悪魔の中に聖女様の魂が見えました。考えてみれば、悪魔に乗っ取られたら魂は悪魔に吸収されるはず。なら、望みは薄いですが、一つ策を思いつきました」
ルーグナーの発言を否定しかけたニコラスだが、瞬時に情報を精査した結果、それが可能性として高い割合を持っていることを理解し、逆転の策を思いついた。
「方法は?」
「魂を目覚めさせるんです。まだあの悪魔は完全に肉体を制御しきれていないんです。だから、こうやって動きを止めている。ならば、今聖女様の魂が目覚めれば、肉体の主導権は戻ってくる、はずです」
ニコラスもそれに確証はない。だがそれでも、僅かながらの希望に期待せざるを得ない。
「まぁ、それしかないな。俺がなんとかルナに語りかけてみる。だから、お前もアシストを頼む」
語りかけるためには、近づかなければならない。
この距離ではルナに俺の声は届かない。
「分かりました。ルーグナー、好きに動いてください。私がそれに合わせますから」
「頼んだぞ」
その言葉と同時に、ルーグナーは自身が封じていた力を開放した。背中と腕だけだった龍化は、全身にまで広がり、人の形をした龍。龍人と呼ぶべき存在がその場に現れた。
そして、動く気配のなかった悪魔は唐突に動き始め、完全に龍化したルーグナーに突撃をした。だが、先ほどとは違い、ルーグナーはその動きに対応する。直線的な動きをルーグナーは空へと羽ばたき回避すると、そのまま悪魔の体を力のある龍の腕で捉える。
「起きろルナ!!!!!お前は聖女だろうが!!!!こんな悪魔に────」
一度目の呼びかけの最中、悪魔は体を大きく揺らして甲高い声を上げたかと思うと、突然その体はルーグナーの手から抜け出しており、部屋の中心に移動していた。
今度は確実に目を離していなかったし、確かに手で捕まえていた。なのに、次の瞬間には部屋の中心にいる。これは速さがどうという次元ではない。もっと別の、何か不思議な力、悪魔の持つ力を使ったのだと理解する。だが、何が起こったのかは理解の外側であった。
「起きるまで何度でも呼んでやるよ」
悪魔の力を理解しきれていない状態ではあるが、今この場で戦うことを止めたのならば、自体は何も改善しない。
さらなる追撃を仕掛けようと空からまた接近したルーグナーは、悪魔が右手をかざしたかと思うと、不意に全身が重くなり、地面に叩き落された。
これもまた、何をされたのか理解できなかったルーグナーだが、悪魔の攻撃であるのは明白であり、それを考えることはしなかった。未だにかかり続ける重さ、重力に対処するために、ルーグナーは龍の体をより体になじませる。人のものよりも圧倒的に力のある龍を呼び起こし、ルナを取り戻すことは諦めていない。
重力を振り払い、更に速く悪魔へ距離を詰めたルーグナーは自身の爪で悪魔の体の一部を傷つける。ルナの体ではあるが、何もしないままでは自体は好転しないとそこは腹をくくっている。それに、ニコラスにある程度の傷ならば直してもらえる。ルナの体を理由に攻撃を諦める選択肢はルーグナー達にはなかった。
一撃、二撃、三撃と連続して悪魔を傷つけるルーグナーの攻撃だが、悪魔もただ何もせず食らい続ける訳では無い。ルーグナーの攻撃に合わせるように、悪魔の右腕、ルナの龍手を使って攻撃を受け止める悪魔。攻撃を受けて止められた龍手に力が集まっていることを見抜いたルーグナーは、すぐさま空へと距離を取ろうとしたが、自身の足に鎖が絡まっていることに気づいた。そして、その鎖の先を悪魔が掴んでいる。
「クソッ!」
この後何が起こるのかを悟ったルーグナーはなんとか逃げようと鎖を攻撃するが、傷一つ付かない。そして右の龍手へ力が最大限集まったかと思うと、鎖が引っ張られ、ルーグナーは悪魔の正面に引きずり落とされた。危機を察していたルーグナーは防御の構えを取る。
また、この後の惨劇を同じく予期していたニコラスは、ルーグナーが悪魔と戦っている現状、自身がその戦闘に入っても役立たないことを理解しており、完全なサポートに徹していた。
「【聖なる障壁】」
ニコラスは自身と大きく距離の開いているルーグナーに遠隔で魔法を発動させて見えない魔法の壁を作った。魔法の行使とほぼ同じタイミングで、力を溜めていた悪魔の右腕がルーグナーに向けて放たれた。
ニコラスの魔法による防御、ルーグナーの龍という耐久力、それらを持ってしても、神祝である龍手と最上級に位置するであろう悪魔、そして聖女の力を完全に受け止めるには至らなかった。
なんとか両腕で拳を受け止めたルーグナーは口から血を吹き出す。そして、攻撃によって完全に使い物にならなくなった腕は力なくだらんと落ちた。
────成すすべがなく、このまま全滅をたどるかに思われたルーグナー達だが、まだ誰も諦めてはいなかった。
「【聖なる祝福】」
戦闘、補助、そして回復まで行える万能のニコラスはルーグナーに回復魔法を使用する。戦闘になった際に、自身の補助だけに全力を注げと指示されているニコラスは最適な行動を瞬時に選択する。そして、それを必ず行ってくれるという信頼の元でルーグナーも動いている。
だからこそ、ルーグナーは悪魔に近づくことができた。
さっきの一撃は凄まじい力だった。威力が通常の何倍か、何十倍かまで膨れ上がった一撃をなんとか受け止められたが、腕はボロボロ。ニコラスの回復で多少マシにはなったが、まだ衝撃が残っていて戦えはしないだろう。だが、これでいい。ここまで近づけさせたのは、他でもないこの悪魔自身だ。この距離なら、ルナに声が届く。
悪魔の攻撃を受け止めたルーグナーは、悪魔に近づいている今を好機と捉えており、それは正しかった。
「起きてくれ!!!!!ルナ!!!!!」
心からの叫びをルーグナーは出した。
そして、それに呼応するかのように、ルナの、悪魔の口が開いた。
「お前、たちは、まだ、この女、が、目覚めると、思って、いる、のか?」
その言葉は、ルーグナーのものでも、ニコラスのものでも、ルナのものでもなかった。それは二人以外の唯一この部屋にいる存在、悪魔から男の声で発せられたものだった。
言葉を理解していると分かったルーグナーとニコラスは顔を見合わせる。言葉を、言語を介するということは、この悪魔の存在は上位のものと確定する。そして、先ほどから放っている風格から最上級に匹敵する存在であると改めて実感した。
「あぁそうさ、悪魔。俺達はそいつを、ルナを信じてる。だから、おまえはさっさとその体から出ていけ」
悪魔の言葉に怖気づくこともなく、ルーグナーは言い返す。
「出ていけ、というのは困る。俺も、こいつも」
「……どういう、ことだ?」
「教える義理は、ない」
意味深な発言を問い返したルーグナーだったが、悪魔はそれに答えなかった。
「そうか。だが、油断しすぎだ」
ルーグナーは何も好奇心だけで話していたわけではない。この部屋に入った際に毒の悪魔と戦うためにニコラスには、とある魔法の下準備をするように命じていた。そして、その魔法をルナの悪魔が目の前に現れたときから構築しているのを悟っていたルーグナーは、悪魔と会話することによって時間を稼いでいたのだ。
────そして今、ニコラスの魔法の構築が終わった。
「【聖域】」
ニコラスの言葉と同時に、悪魔とルーグナーを囲うようにして光の円が現れる。半径二メートルほどの円は、悪魔の魂をその場から逃さないために使われる結界であり、教会の悪魔祓いの際に使われる奥義でもある。
「聖域、か。考えた、ものだ」
悪魔は徐々に縮む円を見ながら呟いた。聖域は悪魔を捉える結界でありながら、最終的に悪魔を祓うためにも使われる神聖魔法。発動から一定時間で円は完全に収縮し、消滅。それと同時に、内部の悪魔の魂を強制的に浄化させる掟破りの魔法。
「ニコラスは優秀だからな」
ニコラス・フォルトゥーム、その実力をルーグナーは信じていた。
「だが、壊すのは、造作、もない」
悪魔は向かい合っているルーグナーに興味がなさそうに背中を向ける。相手にもならないと、悪魔はそう思った。
「させねぇよ」
「まだわから、ないのか。魂は沈んだ。起きるはず、もな────」
まだ諦めないルーグナーに対して、ここまでの実力差を理解しながらもまだ抵抗してくる人間達に呆れ、振り返った悪魔。
そして、目の前にルーグナーの姿があった。だがそれでも相手にもならないと警戒をしなかった一瞬の隙、そこにルーグナーは切り込んだ。
翼で浮かびながら悪魔に近づき、自らに眠る龍の力を最後の最後まで振り絞り、悪魔の両腕を抑え込みながらもう一度ルナへと言葉を投げかけた。
「こんな悪魔に乗っ取られるお前じゃないだろう、ルナ・カルディア!!!!そんなところで寝てる暇があるなら、さっさと起きやがれ!!!!でないと、みんな死んじまうぞ!!!!」
部屋に響くルーグナーの声が木霊する。
少し間をおいて、悪魔は「無駄だ」と言った。
これでも無理なのかと、悔しさを噛みしめるルーグナーだったが、諦めてはいない。
「……クソ、さっさと起きやがれ。でないと、俺は、俺は……」
言葉が詰まる。今まで考えないようにしていたことが頭の中いっぱいに広がった。ルナと出会ってからの数年の記憶。その中にはたくさんの思い出があった。ルナやインペル、街や騎士団、教会、色んな人と関わって作っていった楽しい思い出。そのどれもに、ルナの笑顔がちらついている。
前からずっと考えていたルナへの感情。色んなやつが、俺のこの感情を恋だと言った。最初はそれを信じていなかった。俺が誰かを好きになるはずがないと。そんな資格はない、と。
でも、日々高まるこの感情を抑えるのは難しくなっていった。それでも俺は自分の感情が恋ではないと言い聞かせていた。だが、ルナが誘拐されたと聞いて、初めて俺は自分の感情に正面から向き合い、そして完全に気づいた。
────俺のこの感情が恋なのだと。
「もうこれが最後だと思って言ってやる!俺はお前が好きだ!!!!だから、また俺にお前の笑顔を見せてくれ!!!また俺の名前を呼んでくれ!!!!」
ルーグナーは自分の感情に突き動かされて、すべてを言った。
「その姿、龍か。つまり、お前は、王家の、人間。……ならばこの戦いは───〈ルーグナー〉」
そして悪魔の謎の言葉の途中、別の声が混ざった。それは女の声だ。
「─ッ!?なんだ、と」
悪魔はありえないことが起きたと驚きを見せる。
「…グ…、ルーグ……ルーグナー!!」
女の声は俺の名前を呼んだ。
「ありえない。魂が目覚めるなど、そんなはずは……」
今度は悪魔の言葉で何かを言っているが、俺には関係がなかった。
そして最後に、女の言葉がルーグナーに発せられた。
「私はあなたを愛してる!」
その言葉とともに、悪魔の体の表面が少しずつ剥がれ始める。
「フッ、ならば、また我は、眠る。そしていつかまた、その日が、きたのならば、我が願いを、叶えるとしよう」
体から悪魔が完全に剥がれる直前、悪魔はそう独り言を呟いた。それが何を意味していたのかは、今この場に分かる者はいなかった。
***
暗闇の中で何度も誰かが私を呼ぶ声がした。
その声が聞こえるまで私の意識は曖昧で、窓の内側から外の景色を眺めているみたいな状態。どこかはっきりしない意識の中で自分の体は悪魔によって動かされていた。記憶が途切れ途切れになる。
ノックスを倒したと思ったら、実はまだ倒しきれていなくて。それで、私は死ななくちゃって思って、それで……そこからのことはあまり覚えていない。
ただ、いつの間にか目の前にルーグナーやニコラスがいて、私の体が二人を殴っていた。それを見て私の意識は少し覚醒し、ルーグナー達を傷つけてしまうものかってあらがったけど、あんまり長くは続かなかった。また意識がぼやけて、そして何度も私の名前を呼ばれて。少しずつ力が戻っていったのを実感した。意識もはっきりしてきて、悪魔をなんとかして引き剥がしてやるって私が決めた時、いきなりルーグナーに好きだと言われた。
なんで今なのよって思ったけど、不思議と嫌な気持ちはしなかった。
一言言ってやろうって心の中では思ったけど、別の言葉が私の内側から溢れ出す。そして悪魔を引き剥がしてルーグナーに言ってやったの。「私はあなたを愛してる」ってね。
私はただ告白に浮かれるだけの女じゃないのよ、ルーグナー。私だって、あなたに愛を伝えるわ。あなたが私を好きなように私もあなたのことが好きなのだから。
***
「よかったルナ。無事だったか」
「えぇ、あなた達のおかげよ。ルーグナー、それとニコラス、ありがとう。本当に危ないところだったわ」
「いえいえ、私は使命を果たしただけですよ。それに、この作戦にはアリスとアデル殿も関わっていますので、そちらのほうにも感謝をお伝えになられたほうがよいかと思います」
「そうなのね。分かっ────」
ルナはその時、ふと自身の手に液体が垂れていることに気づいた。龍手についているそれは艶めかしいほどの美しい赤色で、着ていた服にまで染み付いている。
────それは真っ赤な血だった。それも一人分ではない。
そんなはずは、一体どうしてと考えるルナ。まだルーグナーやニコラスはルナが無事だったことに安堵していて、そこまで思考は至っていない。ただ単純に自分達の血だと考えたが、それは間違っている。ニコラスでさえ、ルナの傷は少し見ただけでないことを把握していたために、ルナの無事を確認して満足している。
ルナ一人だけが、自分の置かれている状況に気づいていた。そして、突如龍手がルナの手から外れ落ちたかと思うと、ルナはそのまま地面に倒れ込んだ。
「おいどうしたルナ!!ニコラス、早く回復魔法を!!」
ルーグナーとニコラスは急いでルナに駆け寄るが、意識はあった。ルーグナーは何かしら悪魔によって影響を受けたと考えてすぐに治療するようにニコラスに言う。
「……いえ、ルーグナー。それはできません」
ニコラスは険しい表情でそう言った。
「なぜだ!!!早く神聖魔法を────」
意味のわからないニコラスの発言の説明を求めることなく、感情のまま声を荒げるルーグナーと同調するように、ニコラスも聖職者あるまじき態度で言った。
「だから!!!使ったら、ルナの魂は消えてしまうんですよ!!!」
ニコラスの言葉と同時に扉が開き、アデルとアリスがルナの様子を見て心配そうな顔をする。そして、ニコラスの言葉を聞いて顔から表情が抜け落ちた。
ニコラス以外の者は誰も状況を理解しておらず、ただ呆気にとられていた。
「どういう、ことだ」
ルーグナーの言葉は静寂の中に消えていった。




