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美しいものに目がない令嬢の話。

作者: 寒咲

追加した場面あります。


■■

 草葉の陰から、なんとやら。

 下の妹は、努力家で、家族思い。とても優しい子である。

 私は、美しいものがすきだ。その審美基準はそれぞれで、美しい宝石も好きだし、造形の整った男性も大好きだ。他にもいろんな美しいものがすきだ。眺めている間、私は私でなくなって、それを愛でるだけの個になれる。

 私が一目惚れした瞬間は、妹の婚約者に出会ってしまったときだ。

 紫色の瞳は、王族の血を引く者にしか許されない。

 なぜ、長女の私より先に、妹に婚約者があてがわれているのか。それは、少し複雑だが理解できないことではない。

 勤勉な妹を、魔省と帝国の交流を仕事とする父母は、畏れていた。

 手前味噌な話だが、私は妹よりも魔法の才能がある。

 元々、家門自体が魔寄りのためみな体質的に魔法使いなのだが、私はもとより格別らしい。治癒魔法の素養が優れているのだ。しかし、両親的には公爵家を継がせたいのは妹。

 魔法の素養があるというのは、精霊に好かれる。祝福されており、魔を行使できるということである。対して、妹には魔術の才能がある。精霊に認められ、魔導士になる素養がある。公爵家に必要なのは、祝福されることではなく、認められること。

 私が一目惚れした瞬間、傍らには妹がいた。それはそうだ。


「ねえ、リア。イライアス様、とても美しいわね」


「はい。とても素敵な方です」


 一歩引いた言葉遣い。昔から妹はこうだ。美しいものを愛でる私をどこか恐れている節がある。それは、勘違いだと訂正したくなる。危害を加えるつもりは一切なく、私は私で自己完結しているのだ、と。でも、この溝はもう一生かけても埋まらないだろう。

 私と彼女、生まれは同じはずなのに、価値観がずれているのだ。


「リア、私がこの家を継げば、あなたは自由になるの、知っている?」


 妹が息をのむ音が聞こえた。

 妹の頬に触れると、彼女は目を震わせた。私の体は魔力の膜で覆われていて、普段は制御しているが今はそれを解いていた。すると、魔力のあるものは、帯電したような痛みを覚えてしまう。才があるほど、痺れるのだ。

 彼女には、魔術の才能がある。それを両親は家門でそのまま花開かせたい。でも妹自身は、魔塔と言われる大学に行きたいと考えている。

 知っていた。私は、妹のことはなんでも知っている。魔塔に送った赤い瞳の少年がどうしているか心配なことも知っている。私に見つかったら、絡めとられてしまうと考えていることを知っている。私は魔眼の剥製を秘密裏にコレクションしていることを妹は分かっているのだ。


 だって、彼女は美しい。

 妹が可愛くて愛おしくて仕方ない。もうこれは、美しいという基準に入りっぱなしなのだ。


「それにはね、私はイライアス様を手に入れないといけないの」


 首を傾げて髪を揺らす。そして隣にたつ妹に顔を見せる。瞳に映る私の顔はうっとりしている。これはイライアス様に向けた恍惚の表情ではないことを私自身がよく知っている。


「これから、私をいじめなさい。いや、虐められていると彼に糾弾し続けるの。そうしたら……あなたは今後、そうねえ。今度入学する学園、私が卒業する年に、私が彼の隣に立てるようなお膳立てをするの」


「そんなこと」


「やるの。やって。ねえ。お願い。私、彼が欲しくなってしまった。そうね。魔眼のコレクション、“彼”のためなら止められるかも?」

 妹の瞳から、感情がすーっと消えていくのが分かる。私はそれをみてまたも美しいと思ってしまう。

 頭の片隅に残る倫理観が吹き飛ぶ。

 もっと見たい。妹の色んな表情をもっと見たい。

 私の中に、イライアス様への恋心は残っていない。ただ一瞬、美しいなと目を奪われただけ。私にとって美しいのは目の前の妹なのだ。


 イライアスの真剣な表情を見て、私は噴き出しそうになる。

婚約者のいる身ながら、使用人の目があるとてその婚約者の姉と二人で顔を突き合わせて座っているからだろうか。

 外聞と違わず真面目な姿に、両親がこの令息を妹にあてがったことは正解に近いことがよくわかる。

 皇族所以の瞳も外交に役立つことこの上なく、漏れ出す魔力も心地よい。

 それだけで傍にいる価値があるだろう。


 「それで、要件は」


 「イライアス様は、リアとの婚儀をどのようにお考えで?」

 ふてぶてしい私の質問に彼は眉一つ動かない。貴族が他人の前で顔色を変えるんなんてご法度、おかしはなしないか。


 「貴女はリアを幸せにしたいのですか。お人形にしたいのですか」


 「私の質問の答えが見えないわ」


 「私とリアの結婚について、貴女が口出すことは論外です。私がこうして赴いたのは、花嫁の姉と親睦を深めたいなどという理由ではございません。貴女とは溝を深めても構わないと思っています」


 「待って。いいわ」

 横で忠実な騎士が動く気配がしたので制す。このぐらいの気迫がなくてはつまらない。

 その瞳は、美しく気高い。純粋なものしかなくて、私にはガラス玉にしか価値が見いだせなかった。


 「私は、貴女が怖い。リアの言葉がウソに塗れていく。それを見る貴女の眼差しは、人間には見せません」


 馬鹿正直に物事をいう貴族は生き残れない。馬鹿馬鹿しい化かし合いは当たり前の世の中で目の前の相手は不快感を丸出しにする。悪い気はしない。澄まし顔をする余裕がないのだろう。私は邪悪な魔女にでも見えるのだろうか。


 「あはは。面白い冗談」


 「どうしたら、止めていただけますか」


 「イライアス様が、リアと別れたら。彼女の絶望の瞳が見えたら」


 「…………」


 「役者を手配しましょう。常識的に考えて醜聞を広げるのはよくないわ。私。幻影も得意なの。イライアス様、あなたの隣に似合うのはリアではないし、リアの隣に似合うのは、やはりアナタではないのよ」


 私が言葉を放つほど、彼の目線は私を透過する。

 うなだれたように観念するように、言葉が通じないとでも思われているらしい。

 卒業パーティーで彼女を振れという私の提案に彼は応じる。根っからの貴族ならはねのけるようなモノなのに、生真面目な彼は受け入れた。愛はなくても誠実さを持ち合わせている彼であれば、きっと末永く妹を大切にするだろう。でも、それではリアは幸せになれない。


 私はもうすぐ尊いものがみられる。そういう快感が胸を躍らす。


 ああ、もうすぐ、楽しいことが始まっていく。





 ■

 数年後。

 妹は立派に成長した。私の言いつけ通りに悲劇のヒロインになりきっている。

 一度、スイッチをいれたら最後までやり通す。本当、どこにだしても不足がない。

 学園を卒業したら最低限の花嫁修業をさせて結婚する。そして家を継ぐ素地を刷り込むという両親の思惑をひっくり返す準備が整ってきた。


 護衛騎士のベイカーが呆れたため息を漏らした。

 「歪みが、ひどいです。お嬢様」

 双眼鏡を手渡す彼に、私は静かにというように指を立てる。ドレスではなく、パンツスタイルである。そのため庭に膝をついても煩わしくない。汚れても横の騎士がすぐにきれいにしてくれる。最高の環境である。

 「静かにしなさい!私がいると分かったら、リアは表情が硬くなるの。わー!!みて、あのこたち、すごい。ダメ。私目覚めた」

 ベイカーはハンカチを手にして私の鼻から垂れかける赤い血をぬぐう。

 「今度、庭園に百合を植える様に交渉いたしましょうか」

 「なかなか良い発想ね」

 視線の先には、愛しい妹とそれに付随する護衛騎士の姿がある。

 エアリアンという女騎士は、男装の麗人という表現が似合いそうなほど凛々しく目が鋭い。しかしリアが微笑むたびに緩むその目元は、なんとも……。

 イライアスとリアが婚約することで、妹のそばについた女騎士。そういう趣味はないけれど、二人の並び立つ姿は私の新たな趣味を目覚めさせた。絶妙に合っている。

 これが運命の相手同士なのかもしれない。二人を盗み見するのが日課となっている。

 エアリアンは、もともと王宮付きの騎士だとかで父が直直に引っ張ってきたらしい。

 ベイカーに彼女のことを知っているか尋ねても情報の塵芥も出ない、何故なら、ベイカーは魔塔出身の魔導士資格のある騎士なのだ。所属が違う。

 私の暴走を止める役割を持つ彼は、政治の中枢である王宮のことは疎いと言っていた。それに10歳になる前から、両親からの枷、もといはプレゼントとして私専属として傍にいる彼が知っていることはあまりないだろう。彼は私にとって、妹よりも近い兄妹だった。実の妹には怖がれていてそこまで親交がない……。

 「エルお嬢様、貴女はイライアス様を愛していないですよね」

 ため息をつきながら、まだ垂れる赤い血をおさえる。

 「そうねえ。もうあまり興味はないわ」

 「それならば、もうリライアンス様の誤解を、解きましょう。それでイライアス様からも手を引いて」

 「ダメよ」

 「何故?」

 鼻からハンカチが離される。まったのか血は流れてこない。

 「だって、そうしたら騎士と姫は駆け落ちできないじゃないの。リアはね。大学、しかも魔塔に進みたいのでしょう。見て、幸せそうな顔。ああ、なんて愛おしいのかしら」

 「私は、エルお嬢様の幸せにしか興味ありませんよ」

 「ふふ。よく出来た騎士。私の幸せはそこよ。御覧なさい。ああ、なんて美しいのかしら」

 騎士はまたため息をつく。そして籠からサンドウィッチを出すと私の口に添える。それを食す。令嬢の身としてマナーはなってないが、これはこれでよい。ここは私有地であり、公共の場ではない。

 「美しいものを閉じ込めるのがお好きかと思っていましたが」

 「私も成長するのよ。年端も行かない頃から一緒にいるのだから、ベイカーもリアのこと、リアって呼んでもいいのにね」

「エアリアンのことをエリーとでもエルお嬢様は呼びますか?」

 「それとこれとは別。絶対に呼ばないわ。あの子の騎士でしょ。残念ながら、他人だわ。私の愛称もエリーになるのに、愛しの妹は絶対に呼んでくれない。あなたもね」

 「呼び方を変えましょうか」

 「結構、エリーはもういるもの。被るのはイヤ。私は、私、エルで結構」

 「はい」

 ベイカーは果実ジュースを渡してきた。ストローを咥えて飲む。満足そうなベイカーをみて私がため息をつきたくなった。

 「ベイカー、あのこたち、屋敷に入ったわね」

 「そうですね」

 「あのね、ベイカー」

 「はい?」

 言い淀むような私の口調に何かを察したのか居住まいをただすと、私から離れて指を鳴らした。するとなにもなかった場所に、椅子、テーブルとパラソルが並ぶ。ベイカーは椅子を引く。そうして私の傍によると手を差し出す。そのまま立ち上がり、引かれるままに椅子に腰かける。


 「どうしましたか。マスター」


 腰かけた横に跪いて指に唇を添える。彼が“マスター”と呼ぶときは最上級の敬意の表れであった。

 私にはそれはむず痒いと感じるときがある。

 敷地内にいる私は大体、魔力帯電の魔法を解いている。触れると痛みが走るだろうにベイカーはそんな素振りを一切見せない。飄々と、畏れ多くも気安くも触る。触れる。食べさせるなんて行為、絶対に彼以外にはやらせられない。

 彼の顔は整っていると言っていいが決して貴族のような華やかさがあるわけでもない。また屈強で精悍な騎士の顔つきであるとも言い難い。どこにでもいそうな顔で、でも目障りな顔でもない……という風体なので、特に私の“美しい”基準をクリアするものではない。ただ、こうして私のことを慮る姿勢だとか、私の幸福を願うのは目の前の彼くらいなのだ。両親は私の魔法能力を認めていながら跡継ぎは妹と考えているし、妹は私を潜在的にも最近は顕著に恐れている。

 多分、一生、私の傍で仕えるのだろうと思っていた。

 まずに彼は、私に心底惚れているんだろうと自惚れていた。私にはそんなつもり全然ないけれど、まあ別に、彼が私の傍にいたいならばずっといればいいし、私が無事ここを継いだ暁には、婿に入れてもいいけどねくらいには思っていた。イライアスと結ばれる気など私には毛頭なかったのである。


 「侍女、あのローサリーとかいう侍女」

 「はい?ローサですか。どうかいたしましたか」

 「なんか、あなたに気があるというか。告白していたのを見たというか」

 「透過の魔法、習得されておりましたね」

 「初歩だもの」

 透過の魔法は文字通り、体を透過するものである。その魔法の実行中は人と話すことが出来ないので妹の可愛さを語り合いたいときには不向きである。

 「あの魔法は初歩ではないですよ。然るべき身分でなければ実行部隊に大抜擢です」

 「それで、アナタ、誰にでもキスしようとするの、感心しないわ」

 「はい。承知いたしました」

 「承知、……承知ってね。私はそういう心の制限をしようとしているわけでもないの、ってベイカー、すごく笑っている。すごく嫌」


 「はい。私は、お嬢様に制限されるのは、この上ない幸福ですよ。呆れるくらいに」


 ベイカーは私が割と勇気をもって注意したことを軽くとらえているのだろうか。楽しそうに目を細めて誤魔化すかのようにまた指に唇を落とす。そしてそのまま私の足を持ち上げて、靴を脱がす。そして、今度は足の指に触れた。

 どこにでもいそうな顔をしているのに、彼はどこにでもいる振舞をしない。

 私がその侍女の精いっぱいの告白を聞いたとき、彼は断るだろうと思った。すると彼はそのローサに『君に対する好意を僕は分からない。今は推し量れないので、キスしてもいいだろうか』と言いのけた。侍女は、涙して去っていった。残酷なやつだ。そのキスで好意が確認できなかったら、ローサを弄んだと同義である。私はいつの間にか侍女の方に肩入れしていた。


 「私、ローサを専属の侍女にすることにしたわ」


 「はい?」

 突然の宣言にベイカーは顔を上げて固まった。

 私には専属の侍女がいない。お風呂も着替えも一人で行う。食事はベイカーが運んでくる。

 私はもうローサに話をつけていた。また、ローサに似合う男性まで紹介した。パティシエである。その男性はローサに片思いしていたことを知っていたのだ。私は誰からも期待されないことを分かっていたゆえに、自由に動ける機会も多いため、家の情報を出来る限り集めていた。

 「お嬢様は私だけでは不満で?」

 「いいえ、別に。ただローサって可愛いじゃない。健気で。それに、ほら、私も同性の侍女ほしいなあって。両親には許可を今日にでも取ろうかと思っているの」

 「そうですか。同性ですか。はい。かしこまりました」

 そういうやいなや、一陣の風が吹く。すると目の前の青年が女性に変貌した。

 私は呆れてしまう。その見た目は、エアリアンとは正反対の可愛さに溢れている。

 どこか目元がリアに似ている。街で誰もが見返りそうなかわい子ちゃんである。これが彼の好みなのか。いや、リア似という点で、彼が私に寄せているだけだろう。


 「違うのよ。ベイカー」

 「この姿でベイカーはいかついでしょう。ベイリンとでも」


 「ベイリン、違うのよ」

 一応、その名乗りに応じることにした。あっさりと受け入れた私にベイカーが、いや、ベイリンが驚いたように琥珀色の瞳を揺らしたのが愉快だった。

 「何が、でしょうか」

 「私、あなた以外の人を初めて傍に置きたいと思った。それがローサなの」

 「へえ。そうですか~」

 ベイリンは、また一瞬のうちにベイカーになる。目は笑っている。なにも変わらない。

 「ええ、もうあの子は、あなたに気がないだから大丈夫。気兼ねしないで仕事を振って。そうね。就寝準備は全部、彼女に仕事を振って。配膳も。ベイカーは護衛に集中してもらおうと思って」

 「なんでですか」

 ベイカーが食い気味に文句をいう姿を初めて目にする。私は目を泳がせつつ言葉を紡ぐ。浮気を問い詰められている気分だ。気まずくないのに気まずい。ベイカーの飄々とした言動に触れると私は別に変わり者ではないのかもしれないと思える。

 「なんででしょうね。よく分からないの。ローサなんて今まで気にも留めていなかったけれど、私のモノを欲しいと思った勇気に感服したのもある。彼女、魔力を空っぽの出来る能力がある。それに気づいたの」

 公爵家の使用人はいずれの人も一般人より魔力を帯びる。それは雇用の絶対条件である。魔具を扱えること、その機能を理解すること。最低限の条件。それをもってしてその特異体質には目を見張るものがあった。私に触れることができる。リラックスした状態の私に触れても彼女は無事で私も心が痛まない。

「そうでしたか。お嬢様には、そういう拾い癖がございましたね」

 ベイカーは頷いた。納得したらしい。本当に納得したかはさておいて納得した体をとったらしい。

 「ええ。その拾い癖、付き合ってくれるのはあなたぐらいだったけれど、仲間がいたほうが今後はもっと動きやすくなるでしょう」

 この家を掌握するにも侍女を一人ぐらい囲んでおきたい。

 「そんなこと、お嬢様が気にする必要はないのですが、貴女の赴くままにお付き合いいたしましょう」

「助かります。ありがとう」

「いえいえ」

 その後、何ごともなかったように、次の予定に映る。書斎で勉強に励むリアを観賞していた。唸りながらも知識を吸収しようとする妹の姿は美しく今夜もぐっすり眠れそうだ。


 ◇■


 その部屋は、遮光カーテンがかかっている。

 本棚には日記帳、観察記録、そして培養液に入った眼球たち。

 その瞳は淡く光っている者から、ただ色が濃いものと実に様々だ。この部屋に侍女が入ることはない。この部屋の主が禁止令を出しているためである。

 書斎というには実に雑然としているうえに、寝台まで持ち込まれている。おおよそ高貴な令嬢の寝床とは思えない。

 着替えも朝の支度も一人で行うにはもってこいの部屋だと部屋の主であるエルヴィーダは思っている。彼女にとって眼球は美しいものの一部である。眠るとき、目覚めるとき、それがあるというのは彼女にとって幸福度の高いことである。それがいまいち共感されにくいことも承知していた。そのため、彼女はここで寝ている。不干渉領域として、この部屋は独立しているのだ。

 一日の業務──彼女が最も美しいと思う妹の観察を終えて、食事を終えて、お風呂を終えて、全ての終わり。彼女は床に就く。


 「いやー、女になるとか、思わないじゃない……」


 内心、とても驚いていた。しかしそこで驚いたら負けだと思っていた。

 独り言を漏らす。誰かに伝えたい意図は勿論ない。誰もいないからこそ、声を出してしまうのだ。

 自分の護衛騎士が割となんでもできる有能な人物だとは思っていたが、変身魔術まで使いこなすとは思っていなかった。それも自分の趣味に寄せてくるとは不意打ちだったのである。彼女にとって、同性は特に恋愛対象ではない。なので、惹かれるとかそういうのは全くなかった。ベイカーに対しても、傍にいても良いと思っているが惚れているとかそういうのは、ないのである。

 優秀な魔法使い、魔術師、魔導士はどこかゆがんでいる。それは性癖だったり、倫理観だったり様々であるがどこか自分でもどうしようもない致命的な欠陥のようなものがあると言われる。彼女にとってそれは“美しい”の感性である。護衛騎士は、……今まで自分に従順な彼について、彼女はそこまで深く考えてこなかった。

 ──でも、まあ。害はないし、いいかあ。

 と彼女は眠りにつく。

 しばらくすると、幾重にもかけられた防御魔法をいともたやすく、なんでもないように突破して扉が開かれる。

 彼女は微睡のなかで、来やがったなと口悪く思う。

 最初は親が睡眠の挨拶にわざわざ訪問しているのだと思った。それくらいしかここを突破できる魔術師を知らなかった。

 ただ段々と、両親がそこまで自分に将来を期待していないことが分かってきた。すると、これは、期待通りの尋ね人ではなかった。

 その人物は寝ている彼女の瞼の上に唇を落とす。軽く触れるだけ、一瞬にだけその人の体温が移る。すると眼球が熱くなって、眠りにすぐついてしまう。意識が手放される。

 その一瞬、目を開こうとすると朦朧とする意識の中で目の前に白い手袋が覆いかぶさる。


 「お休みなさいませ、お嬢様」


 護衛騎士であるベイカーだ。

 その毎晩の行動で、彼は自分に惚れていると思っていた。でも、彼は侍女から告白されたらキスを提案するような軟派者だったと位置付けてしまった。

 否、否。

 彼女が意識を手放すころ、その護衛騎士の瞳は真っ赤に染まっている。真っ赤な虹彩のなかに緑の輪っかが入っている。

 真っ赤な瞳は濃いほど、魔力の含有量が多く魔女の瞳と言われている。

 そして、緑は妖精の瞳と言われる。いわゆる、人外にしか許されない色味である。


 「あら、いやだ。ベイカー様、不法侵入でしょうか」


 部屋を出たベイカーを非難するような高い声。ベイカーは大仰にため息をつく。

 「面白い女を装って近づくなんて考えたじゃないか」

 侍女の姿が膨らみ、別の人物となった。華美な衣装を身にまとう男性となる。

 「君が執心する花嫁さんを確かめたくて、ね。魔力を吸ったのかい」

 銀色の髪を持つ男性は、瞳を揶揄するように指さす。

 ベイカーは頷いた。恍惚にひたるその表情を、銀髪の男性は見たことがなかった。

 「毎度、蓄積するんだ。困ったもんだ。真っ赤な瞳だと余計な羽虫がつくだろう」

 「ふうん。騎士殿は気苦労が耐えないとみる。よかったら、背負おうか」

 「あはは。虫唾が走るから、ローサごと消えてくれよ」

 「明日から、専属侍女なので、無理ですね。直々のお願いだったので」

 ローサの姿になった男性をみて、ベイカーは首を振る。

 「エルお嬢様に触れたら消す」

 「大丈夫です。私に下心なんて一切、ありません。性別も不確かなのですから、あなたと同じで。それにお嬢様の御心のままに動くのが信条なのでしょう?」

 「………まあ、いいか」

 「いいの?」

 またローサが青年になる。

 「公爵にエルお嬢様を花嫁にすることを約束してもらっているからもう十分だ」

 「脅しじゃなくて?」

 「平和協定だろう」

 「傑作だ」

 「何が?」

 「君が、人間ごときに夢中になるのが」

 「素晴らしく美しいだろう」

 「まあ。魔力の器としては最適だね。怖い顔、しないでくれよ。とるわけないだろ。ああ、哀れなお嬢様、慈善で魔眼に苦しむ民を助けたばかりに恐ろしい精霊に目を付けられちゃって」

 銀髪の青年はまた侍女になる。ころころと姿を定めない。

 ベイカーは、嬉しそうな顔をする。

 「違うよ。レイン。お嬢様は慈善なんかしない。本当に、美しいと思って集めているんだ。暴走した人間を見て、魔眼が欲しいと思ったから助ける。最高に狂っているんだ。聖女だったら選びやしない」

 「趣味が悪い」

 「オレの趣味は、十分にいい」

 「どっちも悪いよ。お似合いさ」

 「ありがとう」

 青年は、ふっと姿を消す。何事もなかったようにベイカーは部屋に戻っていった。


 ■


 彼女は、精霊に愛されてしまった。

 両親は、どうすることも出来ない。家督を継がせることも干渉することもできなくなった。

 ただ、不幸中の幸いに、その精霊は特異な人外だった。

 人外は、彼女の愛を待つことにする。

 これは、長い求愛の話。


 多分、まだ彼女は気づかない。

 多分、まだ人外は分かっていない。

 人外は、引き返せないほどに惹かれていることに、まだ気づかない


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