表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
99/215

【Case1】4.「危ない橋」もいろいろ (5)

「それはそれは。開発関係の資料というと、なにか、設計図のようなものですか?」


 タイミングよく、カウンターの向こうでバーテンダーが優雅に首を傾げた。


(ほらな)


 こっそり胸を撫でおろした翔馬の耳に、


「いやいや」


 隣の男が、軽く笑う声が届く。


「さすがにそこまでいくと、内部でもアクセス権限とかあるんで。けど、たとえば開発会議の議事録なんかでも、見る人が見れば宝の山っすからね」


 ――「議事録」という単語に、一気に酔いがさめた。


(……それは、どういう)


 震える指に煙草をはさんだまま、グラスを見つめて硬直する翔馬のすぐ目の前で、


「なるほど。今後の、戦略上の重点だとか?」


 わかったというようにうなずくバーテンダー。

 隣の男が、カウンターに両肘をついて身を乗り出した。


「そーそ。関係者の名前だけでも、いろいろとね。わかる人にはわかるもんなんですよ」


 得意げに説明する客に、


「そうなんですか」


 バーテンダーが感心したように言う。


(……そんな。まさか)


 俯いていた翔馬の視界が、ぐらりと揺れた。


 低く流れるジャズとムーディーな照明の下、すがりつくように握ったグラスの中で、泡の消えかけたビールが小刻みに震える。


「……お勘定を」


 気づいたときには、カウンターに手をつき立ち上がっていた。


 火のつけられていない煙草を灰皿に残し、ドアを押し開けふらふらと店の外に出ていく翔馬に、右隣の客とバーテンダーが、カウンターから気づかわしげな視線を向けていた。



   ~・◆・~・◆・~



 週明け、月曜日の昼休み。


 開発部の先輩と喫煙所から戻ってきた翔馬は、なにげなくエレベーターホールの方を見て目を見開いた。


(……境さん)


 いつも通り、身体のラインがはっきりわかるタイトなスーツ姿の境が、こちらに背を向けエレベーターを待っている。


 なんとかその視線を捉えようと首を伸ばしかけた翔馬に、隣を歩く開発部の先輩社員が、ベルトの上に乗った腹を揺すりながら耳打ちした。


「知ってた? 人事の境、今日で辞めるってよ」

「……え?」


 凍りついた翔馬に、先輩がさらに顔を近づける。


「Y社に、ヘッドハンティングされたって噂。ずっと商品開発やりたがってたって」


 ありえるよなー。仕事できるし、美人だし。

 ニヤニヤして言う先輩の言葉に、翔馬の頭の中で、バーで耳にした会話がよみがえった。


 ――『退職した社員が、開発関係の内部資料持ち出したらしくて』

『同業他社にヘッドハンティングされてて、手土産代わりに』

『会議の議事録なんかでも、見る人が見れば宝の山っすからね』


(……いくらなんでも、境さんがそんなこと)


 彼女にUSBを渡した金曜の夜、ひとり暮らしのアパートに戻って一度は打ち消した疑いが、夕立前の雲のように胸の中で急激にふくらんでいく。


(まさか。……でも)


 青ざめる翔馬の顔を、


「どうした本郷? なんかすげえ汗かいてるけど、大丈夫?」


 先輩社員が怪訝な表情で見上げた。


「おまえ、熱中症とかなら」

「大丈夫です」


 無理に笑顔を作った翔馬が、肩にかけられた先輩の手を外す。


「――俺、ちょっと挨拶してきます。境さんに」


 軽く頭を下げると、翔馬はエレベーターホールに向かって駆け出した。


「境さん!」


 切羽詰まった翔馬の声に、黒いスーツを着た境が振り向く。

 幸い、周囲に他の社員の姿はない。


「あの。どういうことですか? 辞めるって」


 息を整えながら話しかける翔馬に、


「――ああ」


 赤く塗った唇を軽くゆがめて、境が不機嫌そうな声を出した。

 見たこともないその表情に気圧されながらも、


「……商品のこと、勉強するっておっしゃったばかりじゃないですか」


 思いきって翔馬は切り出す。

 いくらお世話になった先輩でも、ここははっきりさせておかなければ。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろう 勝手にランキングに参加しています。クリックしていただけたら嬉しいです(ぺこり)
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ