【Case1】4.「危ない橋」もいろいろ (1)
週明け、月曜日の夜九時。
翠と俺は、椿さんの彼氏である「翔馬さん」の勤める会社の正面玄関そばで、彼が出てくるのを待っていた。いわゆる、張り込み的な。
今日の現場は都心、それも、人通りの多いオフィスビルの立ち並ぶ場所だから、ミーコは留守番だ。あいつの「勘」によると、父親の追手は今の家の周辺には届いていないそうで、最近は俺らと一緒に近くのショッピングモールくらいなら出歩くようにはなっているものの、人の多い場所はまだ基本NGにしている。
椿さんの学部時代のサークルの先輩だという彼氏の名前は、本郷翔馬さん。精密機械メーカーZ社の開発部で働く、入社四年目の若手社員だ。
椿さんが彼とうまくいかなくなったのは、最近彼が、ある年上の女性社員と急接近しているせいらしい。椿さんに言わせると、その社員の動きがどう考えてもおかしいのだが、彼はそれを椿さんの嫉妬だと、まともに取り合わないそうだ。
境さんというその先輩社員は、美人で気風がよくて仕事もできるという、絵に描いたようなデキる女性。周囲からの信頼も厚く、翔馬さんたち若手社員の憧れの存在らしい。所属は人事部で、翔馬さんの新人時代の研修も担当したそうだ。
「いいのか? 恒星」
不意に、隣に立つ翠が口を開いた。
今日の俺らは、会社員の多いエリアでの尾行ということでスーツ姿。黒髪のウィッグをつけて紺のスーツを着た俺は、誰がどう見ても就活生だが、俺の目の前でスタイリッシュにたたずむ黒縁の伊達眼鏡をかけたこいつは、高そうなグレーのスーツをさりげなく着こなしている。
くそー。これがただの学生とお坊ちゃま起業家の違いか。
「いいって何が?」
俺は建物の入り口に視線を戻して、翠に聞き返した。
さすが大企業。こんな時間でも、出入りする社員はちらほらいる。
晴れてよかった。夜とはいえ街灯でそこそこ明るいものの、これで傘を差されたら、事前に椿さんから画像をもらっただけの翔馬さんの顔を見分けるのは、ずっと難しかっただろう。
低い声で翠が言った。
「……椿さんの恋を、手助けすることになる」
思わぬセリフに、目だけ動かして翠の顔を見ると、ぱっちりお目目に無表情に見返される。
「……いいんだよ」
俺は、翠の顔から目をそらした。
自分の気持ちをごまかすのは、もうやめた。
どう考えても、好みのタイプとは真逆だけど。どうやら俺は、椿さんのことが好きらしい。……最初っから失恋確定の、バリバリの片想いだけどな。
てか、なんでバレてんのよ、こいつに。
「そうか」
つぶやいた翠に、
「おまえこそ、なんで椿さんの手伝いなんか」
俺はたずねた。
別に、椿さんから便利屋に依頼があったわけでもないのに。椿さんには黙って彼氏の動向を探るなんて、何を考えてるんだろうこいつは。真山グループにも、特に関係はなさそうだし。
わずかに間を置いて、翠が口を開いた。
「……巻き込まれてるような気がしたんだ。椿さんの彼が」
思わぬ返事に、
「……って、何に?」
俺は眉根を寄せて翠を見返す。
「巻き込まれてる」? 何の話? 会ったこともない椿さんの彼氏のことを、なんでこいつは。
「社内トラブルに」
俺の問いに、いつも通りの穏やかな表情でこたえると、翠は続けた。
「あんなまっすぐな人が、無駄に傷つくのを見るのは忍びない」
まっすぐな人――椿さんのことか。
翠がちらりと俺の顔を見た。
「だけど、椿さんの彼の社内での立場が悪くなることで、恒星が有利になるなら」
「……バカにすんな」
無表情に俺はつぶやく。