【Case1】1.怪盗ブルー登場 (9)
『なかなか考えたものだな。美術館に加えて、系列の警備会社と損害保険会社にもダメージか』
暗い部屋の中で、電話越しに相手の低い笑い声が響いた。かすれた声が特徴的な、高齢の男性の声だ。
「……今回の事件を受けて、『L家秘宝展』の来場者数は急増しているそうです。ある意味、先方にとってプラスの効果もあったといえるかもしれませんよ?」
様々な電子機器の置かれた広いデスクに座って、スマートフォンに向かい淡々と告げる翠の言葉を、
『心にもないことを』
男性が苦笑まじりに一蹴する。
少し間を置いて、
『……賽は投げられた、ということか』
一転して真面目な調子で言われ、翠は電話を手にしたまま、無言で長い睫毛を伏せた。
『翠』
ざらりとした声が呼び掛ける。
『今ならまだ、引き返せる。敵の多い相手だ。『ブルー』という名前と、実行犯の外見だけでは、おまえのしわざだと気づかれてはいまい』
「……計画の変更は、ありません」
感情を乗せない声で、翠がこたえた。
『……そうか。だが、気が変わったらいつでも言ってくれ。……それに、恒星君といったか? 彼の都合もあるだろう』
気分を害した風もなく言う男性に、
「ありがとうございます。では、今後も予定通りに」
静かに翠がこたえる。
『……おやすみ、翠』
「そちらも、良い一日を」
電話を切った翠が、デスクに両肘をつくと、組んだ手の上に額を預けた。
「……それでも、やめるわけにはいかないんだ」
食いしばった歯の間から押し出すような、低い声。
翠の部屋の窓に差し込む月明かりが、俯くほっそりした後ろ姿を照らす。
秀でた白い額の下、普段は穏やかな笑みを湛えている両の目は、鈍い光を放っていた。