【Case1】1.「気づいてない」ってことに気づくのが、一番の難関 (7)
それにしても、桜田門勤務のこのおっさんが、どうしてこんな二十三区の外れの、カウンターとテーブル席三つでいっぱいの小さな定食屋にわざわざ通ってんのよ。確か以前、娘さんがどうとか店長の奥さんに言われてたけど。
「お勘定」
俺がそんなことを考えている間に噂のおっさんは完食したらしく、厨房に声を掛けて立ち上がった。田崎警部は、びっくりするくらいの早食いなのだ。
「はいはい」
割烹着姿の奥さんが、慣れた様子で入り口脇のレジに入る。
そのとき、入り口の引き戸が開いた。
「いらっしゃいませ。……あら、椿ちゃん」
振り向いた奥さんが、ちょっと目をみはると笑顔になった。
「珍しいわね、こんな平日に。ちょうど今、お父さんが」
慣れた様子で店に入ってきた若い女性が、レジで会計中の田崎警部に気づいて立ち止まる。
「――お父さん」
女性に呼び掛けられた警部が、
「……おお」
上着のポケットに財布をしまいかけたまま、急に目を泳がせた。
(あれが噂の娘さんか)
奥のテーブルにいる俺ら三人の目が、入ってきたばかりの女性客に注がれる。
すっぴんっぽい白い肌に、低い位置でゴムでひとつに結んだだけの髪。霜降りグレーのパーカーにブルージーンズ、肩にはA4サイズのトートバッグ。大きな目が、もの言いたげに父親に向けられている。
椿という名前らしい田崎警部の娘さんは、見るからに真面目そうというか、なんだか張り詰めた感じの人だった。
(てか、やるじゃんおっさん)
こんな大きい娘さんがいる割にはふっさふさ、というか見た感じごわごわの、田崎警部の剛毛に俺はちょっと感心する。
「またこんな方まで来たの?」
咎めるように娘さんに言われて、
「……いや、そういうわけじゃ」
普段の固い口調が嘘のように、しどろもどろに警部がこたえた。
「これは、捜査の一環で」
「いい加減なこと言わないで」
はねつけるように娘さんが言うと、首の後ろでひとつにまとめた髪が揺れた。
「やめてよ。もう子どもじゃないんだから、私」
「いや、それが本当に」
そのまま、レジの前で押し問答を始めた父娘に、
「まあまあ、勘弁してあげてちょうだいよ。椿ちゃん」
レジの中から、奥さんが笑顔で口を挟む。
「かわいいお嬢さんがひとり暮らししてたら、お父さんも心配されるわよ。それに田崎さん、ほんとにお仕事で来られてるんでしょう? 今は」
「おっしゃる通り。怪盗ブルーの手掛かりといいますか、私の長年の刑事の勘が、必ずやこちら方面に何かあると」
奥さんに言われて急に元気になった田崎警部の言葉に、俺ら三人は奥の席でこっそり目を見合わせた。
「……あれ、ホント? こーちん」
ミーコにささやかれて、
「……“嘘”ではない」
俺はこたえる。
実は、“特殊能力”があるのは、ミーコだけじゃない。
シアトルにいる翠の親父さんも、そして、何を隠そうこの俺も。なかなか信じてもらうのは難しいと思うけど、それぞれに“能力”を持っていて。
翠の親父さんの持つ能力は、自分やまわりの人の未来のワンシーンが見えてしまうというものだそうだ。自分の意思とはまるで関係なく。
一方、俺のそれは、いわば「嘘発見器」。他人の話す声の“響き”で、それが本心からの言葉かどうかがわかってしまうというやつで。
これって説明しづらいんだけど、人には、個人個人の声の違いとはまた別に、その人固有の声の“響き”があって。……といっても、もしかしたら、それっていわゆるオーラみたいなものかもしれないんだけど。
とにかく、昔から俺には聞こえてしまう。その“響き”が。
そしてその“響き”が、不思議と濁って聞こえるんだよね。嘘言ってるときって。
残念なことに、さっきの田崎さんの声――“響き”に、濁りはなかった。
ってことは、またあのおっさんの「刑事の勘」が発動しちゃってんのか。
しかも当たってんじゃん、それ。




